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【余白がないとは?】日本帰国から感じていた違和感の正体

私は去年日本に帰国してからずっと何か分からない違和感がありました。

「この言葉にできない違和感の正体は一体なんなんだろうか」とずっと考えてました。

・長い間日本にいなかったから感覚にギャップがあるのか?
・カルチャーの違い?
・考え方の違い?
・自由度の低さゆえの生きづらさ?
・なにか分からないけど縛られている感覚?

海外生活が長くなればなるほど現実には、”違和感を感じるということ"は要因としてあるだろうし、環境がガラリと変わって久しぶりの日本での生活なので、馴染めないこともあると思います。

なので事実としてちょっとした考え方など、少なからず海外での環境も受けていてミックスしているでしょう。

実際に、「これの一体何がだめだの?」って思うことも多々あります。

でも私は日本で生まれ、日本で育った日本人。根底にあるものは一緒なはずです。

そこで気がついたこと。

「他者との生きるペースが違う。私の生きるスピードは他の人よりゆっくり。」

「私の生きるペースは、正しいと言われているであろう社会のスピードよりゆっくりなのだ」という結論を導きだしました。

例えるなら他の人は1日24時間というペースで過ごしているけど、
私の場合は1日48時間のペースで過ごすのが適切だという感覚です。

そういうゆっくりさ加減が私にはちょうどよくて心地がよく、
「ちゃんと楽しく人生を楽しく過ごせるスピードなのではないか」と気がつきました。

一般的にみんながすでに経験をしているであろう人生における大きなイベントにも急げない。

むしろ追いつけない。

合わせられない。

でも周りは先に進んでいってしまっていて、置いてかれてしまっている感覚。

それに焦る気持ち。

=人生がつらく感じる

だから、「これが正しいと社会で言われている生きるスピードに、無理に合わそうとして疲れてしまったのだ」と思うのです。

これが私にとっての「余白がない」という状態です。

個々の生きるペースをよしとしない、認めてもらえない、焦らされるようなよく分からない縛られている感覚。

これが私が日本に帰国してから感じていた違和感の正体です。

まとめ

他者との生きていくスピードが違う。ペースについていけない。

その違和感が「余白」がないという状態。

人生を楽しく生きることが出来るのであれば、
他者の生きるペースとスピードを合わそうとして疲れてしまうのであれば、
やめてしまえばいい。

私と同じように何か違和感や生きづらさを抱いていて、一旦休むことを選んだ自分を肯定してあげてもいいのではないでしょうか。

最後までお読み頂き、ありがとうございました!

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