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#008 50頭の牛を飲み込む巨大魚

今日は、魯迅が『中国小説史略』で、「小説」という単語の最も古い例として紹介した

小説を飾りて以て縣令を干[モト]む

という一文が載っている『荘子』の説話を載せておきたいと思います。この一文は、『荘子』雑篇外物篇の6つの説話のひとつにありました。

任公子爲大鉤巨錙、五十犍以爲餌、蹲乎會稽、投竿東海、旦旦而釣、期年不得魚、已而大魚食之、牽巨釣、陥沒而下、馳揚而奮鰭、白波若山、海水震蕩、聲侔鬼神、憚赫千里、任公子得若魚、離而腊之、自制河以東、蒼梧已北、莫不厭若魚者、已而後世銓才諷説之徒、皆驚而相告也、夫掲竿累、趨灌瀆、守鯢鮒、其於得大魚、難矣、飾小説以干縣令、其於大達、亦遠矣、是以未嘗聞任氏之風俗、其不可與經於世、亦遠矣

任の公子、大鉤[タイコウ]・巨錙[キョシ]を為[ツク]り、五十犍[カイ]を以て餌[ジ]と為[ナ]し、会稽[カイケイ]に蹲[ウズクマ]り、竿[サオ]を東海に投じ、旦旦[タンタン]にして釣る。期年にして魚を得ず。已[スデ]にして大魚これを食[クラ]い、巨鉤を牽[ヒ]き、陥没して下[モグ]り、馳せ揚がりて鰭[ヒレ]を奮[フル]う。白波は山の若[ゴト]く、海水震蕩[シントウ]して、声は鬼神[キジン]に侔[ヒト]しく、千里を憚赫[タンカク]す。任の公子、若[コ]の魚を得、離[サ]きてこれを腊[ホジシ]にす。浙河[セッカ]より以東、蒼梧[ソウゴ]已[イ]北、若[コ]の魚に厭[ア]かざる者莫[ナ]し。已[スデ]にして後世の銓才諷説[センサイフウセツ]の徒、皆驚きて相告ぐるなり。夫[ソ]れ竿累[カンルイ]を掲げ、灌瀆[カントク]に趨[オモム]き、鯢鮒[ゲイフ]を守るは、其の大魚を得るに於いて、難[カタ]し。小説を飾りて以て県令に干[モト]むるは、其の大達に於いて、亦[マ]た遠し。是[ココ]を以て未[イマ]だ嘗[カツ]て任氏の風俗を聞かざれば、其の与[トモ]に世を経[ケイ]すべからざるや、亦た遠し。

任(山東省)の国の公子が、大きな釣針と太い黒綱の釣糸とを作った上、五十頭もの去勢した牛を餌にして、会稽の地(浙江省)にうずくまり、竿を東海にむけてつき出して、朝な朝なに魚釣りをつづけたが、一年たっても魚は得られなかった。ところが、やがてあるとき大魚が食いつき、巨大な釣針をひっぱって水中深くもぐりこんだかと思うと、忽ちまた勢いよく海面におどり出て、その鰭を烈しくばたつかせた。白い波だちは山のようなうねりを見せ、海水は震動してひっくりかえり、大魚のうなり声は鬼神かと思うほどで、千里のかなたまで人々をふるえあがらせた。任国の公子はこの大魚を釣りあげると、それを小さく切りわけて乾肉にしたが、なんと浙江の流れから東、蒼梧の山から北の地方では、すべての人々がこの大魚の肉を食べて満腹したのだ。やがて、後世の小賢しい才能で無責任な噂好きの手合が、みなびっくりしてこの話を伝えるようになった。いったい釣竿と釣糸を持ち出して、小さい水たまりや溝川に出かけて小魚や鮒のたぐいを目当てにしている連中では、大きな魚を釣りあげることはとてもむつかしい。(それと同じことで)つまらない弁説を飾りたてて、県の長官にとりいって職を得ようとしているような手合は、それをすぐれた達人と比べるとやはり大きな隔たりだ。だから、任国の公子の(ばかでかい)風格をまだ聞いたこともないというような手合は、いっしょに世を治めることなどとてもできず、やはり大きな隔たりだ。

いかがでしょうか。漢文・書き下し文・翻訳文と並べてみたのですが、文章が、どんどんダラダラと長くなっていくのが面白いですね。あと、漢文を横書きにすると、どうも「据わりが悪い」というか「格好がつかない」というか、カタチとして落ち着かないのも面白いですね。

この説話に関する具体的な考察は明日にしたいと思います。

ではまた、近代でお会いしましょう!

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