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#017 全部マンガで読めますからね!

魯迅の「中国小説の歴史的変遷」は元代(1271-1368)をすっ飛ばして、明代(1368-1644)に突入します。元代をすっ飛ばすのは、いうべきほどの変化がないからだそうです。魯迅は明代の「小説」の特徴を2つ挙げます。

1.神と魔とのたたかいを述べたもの

2.世情を述べたもの

魯迅は、「神と魔とのたたかいを述べたもの」を「神魔小説」と名付け、次のように語っています。

この思潮が起こったのも、当時の宗教、方士の影響によるものです。宋の宣和年間(1119-1125)は、道教がたいへん信奉されました。元では仏教、道教ともに尊崇され、方士の勢力も小さくありませんでした。明になって、方士の勢力は本来衰えつつあったのですが、成化年間(1465-1487)にはいってまた頭をもたげてきました。……歴代の儒・仏・道三教の争いは、みな無解決のまま、たいていたがいに調和しあい、妥協しあって、最後に「同源」の名によってうやむやとなってしまいます。新しい一派がはいってきますと、決まってたがいに外道と見なし、紛争が生じるのですが、いったん同源と認めますと、一視同仁となってしまいます。……小説に描かれた正と邪も、決して儒と仏、あるいは道と仏、あるいは儒・道・仏と白蓮教といったものではなく、単に不明確なあれとこれとの争いにすぎません。

次に、「世情を述べたもの」に関しては、このように述べています。

この種の小説はおおむね男女の情事や淫蕩を述べ、悲歓離合の間に人情定めなき世間の姿を写しています。そのもっとも有名なのが『金瓶梅』です。……明人の小説が人間の醜行を描こうとする場合、人物はつねに指すところがあり、文字を借りて宿怨をはらそうとしたものなのです。……これよりのち世情小説ははっきりと応報を説く書に一変し、勧善の書となるわけです。

この明代に書かれた小説に、『三国志演義』『水滸伝』『西遊記』『金瓶梅』という、いわゆる「四大奇書」があります。ここまでくると、もう誰がなんと言おうと立派な小説ですよね!

なんせ、何がすごいって、これ全部マンガで読めますからね!w

中里見敬氏の「中国小説入門」では、『五雑俎』の著者・謝肇淛[シャチョウセツ](1567-1624)のこんな一文を紹介しています。

小説は稗官も記録しなかったものであり、うそっぱちででたらめばかりだけれども、そこに至高の真理が含まれてもいるのだ。小説と戯曲はすべて、事実と虚構が混ざりあって、はじめて遊戯三昧の文章となるのだ。また感興と描写をとことんまで追求すればよいのであって、それが事実かどうかは必ずしも問題にならない。・・・・・・もし事実かどうかを問題にするのであれば、史伝を見れば事足りるのであって、戯[遊戯=芝居]と名づける必要などないではないか。
https://catalog.lib.kyushu-u.ac.jp/opac_detail_md/?lang=0&amode=MD100000&bibid=15431

孔子が「小道と雖も必ず観る可き者有り」と述べたとき、「小説」は、あくまでも「史伝」より下に位置していました。しかし謝肇淛の一文には、「小説の価値は、史伝との比較で計られるものではなく」「小説には小説としての、別の価値があるのだ!」という意味を読み取ることができます。

そして、魯迅の授業は、清代(1616-1912)の小説へと移るのですが、そのお話は…

また明日、近代でお会いしましょう!




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