#015 夢のあとの別れ
魯迅は「中国小説の歴史的変遷」で、唐代の小説として、いくつかの作品を紹介しています。
・沈既済(750-800頃)『枕中記』・白居易(772-846)『長恨歌』・白居易の弟の白行簡(776-826)『李娃伝』・元稹(779-831)『鶯鶯伝』・李公佐(770頃-?)『南柯太守伝』『謝少娥伝』『李湯』
この中で、『枕中記』『南柯太守伝』『謝少娥伝』は、夢の中で別の人生を送ったり、夢の中でお告げを受けることが、お話のキーポイントとなっています。これは、仏教や道教の占夢と関係があるのでしょうが、今は一旦置いておきましょう!w
魯迅は『枕中記』の概略を語っています。
この書はたいへんよく読まれ、知らない者はほとんどいないほどですが内容はおよそ次のとおりです。慮生という若者が、邯鄲へ行く街道沿いの茶店で
自分の不遇をなげいていますと、たまたまやって来た呂翁という道士が枕を一つ授けます。慮生がその枕を敷いて眠りますと、夢の中で清河県の崔氏の娘を娶ることになりますー清河の崔氏は名門ですので、清河の崔氏から嫁を取ることも、たいへん名誉なことなのですー同時に彼は進士に合格し、その後とんとん拍子に出世をつづけて、尚書兼御史大夫にまでいたります。数年してさらに中書令に補せられ、燕国公に封ぜられます。のちに年老いて身体がおとろえ、床につくようになりますが、やがて息絶えて死にます。夢の中で死ぬと、眼が覚めます。覚めてみると、鍋の中の粟飯はまだたきあがっていなかった、そんなつかのまのことだったのですーこれはむやみに出世にはやってはいけない、功名富貴に対してもっと淡泊でなければならないという寓意をこめたものです。
もっと具体的な内容を知りたかったので、下記のサイトを参考にしました。
全文を読んでみると、このお話が、かつての寓話と違って、ちゃんと小説になっている!と感じるところがあって、それは、魯迅が概略で説明している部分ではなく、「目を覚ましたあとのやりとり」が描かれているところです。
上記サイトから引用すると、
盧生欠伸して悟むるに、其の身は方に邸舎に偃し、呂翁は其の傍らに坐するを見る。主人黍を蒸して未だ熟せず、触類故のごとし。生蹶然として、興きて曰はく、「豈に其れ夢寐なるか。」と。翁生に謂ひて曰はく、「人生の適も、亦是くのごとし。」と。生憮然たること、良久し。謝して曰はく、「夫れ寵辱の道、窮達の運、得喪の理、死生の情、尽く之を知れり。此れ先生の吾が欲を窒ぐ所以なり。敢へて教へを受けざらんや。」と。稽首再拝して去る。
盧生があくびをして目覚めると、自分自身はまさに宿屋で伏せていて、呂翁がその近くに座っているのが見えた。主人は黍を蒸していて、まだ蒸しあがらず、周りのものすべてがもとのままだった。盧生ががばとはね起きて、立ち上がって言うには、「なんと寝て夢を見ていたのか。」と。呂翁が盧生に向かって言うには、「人生における快適も、同様にこのようなものだ。」と。盧生は、少し長い時間、深い感慨に沈んでいた。感謝して言うには、「そもそも、寵愛と恥辱へ道筋、困窮と栄達の運命、成功と失敗の道理、死と生の実情、それらをすべて知りました。これが先生が私の欲望を塞ごうとした理由なのですね。どうして教えに従わないでしょうか。」と。頭を地につけて丁寧なおじぎをして立ち去った。
最後の「お辞儀をして立ち去った」という二人の別れは、寓話の部分を重視するならば、本来必要のない部分です!教えを受けた後に、その場を立ち去ったのか、二人で粟飯を食い始めたのか、そんなことはどうでもいいことだからです!
しかし、教えそのものではなく、教えを受けた人に焦点を当てるならば、そこを描いてこそ小説なのです!
魯迅の授業は、このあと、宋代へと移るのですが、
それはまた明日、近代でお会いしましょう!
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