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水と緑と土

富山和子の「水と緑と土」を読みました。
あとがきの「水と緑と土は同義語」という言葉がとても印象に残っています。
水があるところに緑と土がある。
緑あるところには水と土がある。
土は水と緑によってもたらされる。

分業化・機械化・工業化が進むと、そういった有機的なつながりが切り離されてしまい、目に見えなくなってしまいます。
土から離れて、生きることに直結しない仕事に時間と労力を費やし、必要なものはお金で買えばよい。
そんな暮らしを続けるうちに、何が大切だったのか、わからなくなってしまう。
身近な緑を愛でたり、余暇に自然を楽しむ一方で、自分たちの暮らし方が、社会のあり方が、遠く離れたところで自然を破壊し続けていることには気づかない。

そう考えていくと、改めて農林業の尊さを思うのです。
農山村で暮らす人たちは、自然からの恵みで生活してきたので、それが持続できないような利用はしなかった。
目先のことだけ考えて、取るものを取り尽くしてしまうようなことはせず、将来も恵みを受け取れるよう、大事に大事に扱ってきた。
それが一昔前の日本人にとって、当たり前の自然観だったのだと思います。

暮らし方が変化することで、日本人が古くから大切にしてきた精神も失われてしまう。
とても悲しいことだと思います。

所用で数年ぶりに東京に行くことになり、新幹線の車内でこの本を読みました。
東京駅から一歩外に踏み出すと、足元を埋め尽くすアスファルトや、建ち並ぶ巨大なビル群が目に入ります。
何度も見た景色だけれど、この本を読んで改めてその光景を目にすると、これが持続可能なはずはないのに成り立ってしまっているのを恐ろしく感じました。
この裏では、地方であったり、遠い外国であったり、普段目につかないようなところで大きな犠牲が払われているはずなのです。

そういうことに目を向けるきっかけと、多くの示唆を与えてくれる本でした。

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