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人間関係には年相応な会話のテーマというものがある。年相応のレールを逸脱してしまった挙げ句に待っているのは、会話のない孤独な世界。『デタラメだもの』

先日、御年80も半ばのご老人と会話をする機会があり、なるほど80も半ばの方にはその年齢なりに年相応な考えるべきことがあるのだなあと、少しく人の一生を想ふ時があった。

やはり年代ごとに考えるべきことも異なるだろうし、そうなると年代ごとに会話のテーマというやつも異なってくるなと、蕎麦をすすりながら会話の話題というものに思考を巡らせてみた。

幼き頃の会話と言えば、そりゃ目の前の事象について盛り上がるのがほとんどだわな。昨日のテレビの話題だったり、下校後に何をして遊ぶのかだったり。あとは、ほんのちょっぴり好きなガールの話だったり。そういったテーマでワーキャー盛り上がるのが一般的でしょうな。

10代になると、幼き頃にほんのちょっぴり触れていたガールの話がさらに現実味を帯び、ガールの話題が活発化してくる。男ども皆、平静を装ってはいるものの、常に頭の片隅には異性のことを思い浮かべ、快感というものは如何にして得られるものかと頭を悩ませる日々。多々、妄想。

20代前半になると、ガールからレディに昇華し、話題もやや生々しくなる。そして、幼き頃に会話していた目の前の事象というやつにリアリティを加味し、そこに過激さもプラスした類の話題を多くなる。

20代後半に差し掛かると、会話のテーマにややばらつきが生じる。いわゆる意識の差、というものが交友関係の内にも生まれてくるため、その瞬間瞬間で欲する会話というものが異なってくる。

仕事に夢中になっているやつは仕事の話をしたいだろうし、20代前半の頭脳のまま、レディレディレディとなっている奴は愛だの恋だの、そういった類の話をしたいだろうし。あとは、人生設計を語り始める奴も現れてくる。いつまでに結婚したいだのするだの。自分が目指すべき方向性によって会話のテーマが変わる、とでも言いましょうか。

30代前半になると、仕事の話題が中心に。働き盛りなどと言われる年齢もあって、人生の大半を仕事に捧げている年代。そりゃ、刺激的な内容も仕事から。不満や愚痴も仕事から。レディな話も仕事から生じることが多いのではなかろうか。

そして、30代後半に差し掛かると、急に健康の話題が多くなってくる。健康診断を受診した結果を披露しながら、どの数値が悪かっただの、再検査が必要になっただの。やれ腰が痛い、肩が痛い、腹が出てきた、疲れが取れない、なんだか気だるい。そういった健康に関する話題が一気に増える。

40代、50代にもなると、仕事の話と健康の話が中心になってくるのではないだろうか。もちろん個人によって違いはあるだろうし、ある特定のものに没頭している人たちは、その種の特別な話題を持ち合わせているだろうから、自ずとそういった話題は増えてくるだろう。あくまで一般論として聞いていただけると不幸中の幸いだ。

で、いざ御年80も半ばのご老人と会話しているときに気づいたのだが、いわゆる終活をテーマにした話題が多いということ。死ぬに際してお金をどの程度貯蓄しているだとか、お墓に関してはどういった準備を進めているだとか。死を前提とした会話が実に多いということに気づかされた。

さらにハッとさせられたことは、死んだ後のことまで考えた話題も多いということ。要するに、自分が死んだあとは息子、娘、孫、ひ孫などにお金を残し、お墓の問題も彼ら彼女らの手を煩わせないように準備しておく。葬式もスムーズに執り行えるよう、諸所根回しをしている、といった話題。

なるほど、人間という生き物は、自分の人生を全うするだけでなく、人生という舞台を降りた後のことまで、生前に考えておかねばならないのか。生きている間にも関わらず、死んだ時のことならまだしも、死んだ後のことまで話題に出るとは。生きている内から死後のことまで思案し笑顔で語れる生物は、人間くらいのものじゃないだろうか。

逆に、「安らかに眠った後のことは残された人たちが安生やるから、心配せず気を使わず、残りの人生をゆったり過ごしてくださいな」では許されない人間社会のシビアな現実をも垣間見た気がした。

で、じゃあ実際に自分はどういった会話をしたいのだろうと思考する。元来、精神年齢が低いからか、YouTubeなどと呼ばれる人気の動画クリエイターたちの会話をしたい。新しい新人が続々と登場するミュージックシーンについて語りたい。漫才の話や文学賞の話、アンダーグラウンドなサブカルチャーへの狂熱を分かち合いたい。

そんな欲求を持っていることに気づいた。

がしかし、そういったカルチャーについて語らえる人間は、周りを見渡してみてもひとりもいない。同世代は仕事の話や健康の話、時々レディの話に夢中になっている。

かと言って少し世代の若い層と会話してみたとしても、もはや彼らもそういったカルチャーへの興味を失い、仕事の話だの愚痴だの不平不満だの、時々レディの話がしたいようだ。

いかん、孤立した。完全に、孤立した。真っ向から面と向かって会話できる人がいない。

きっと、中学生や小学生となら会話が盛り上がる。だけども、そんな幼きガールやボーイと出会うきっかけなんぞないし、わざわざ動画クリエイターの話がしたいために、そういった世代に接近していくのも、完全にご法度な気がする。

じゃあ、自分と同じ生い立ちを経た過去の同級生など旧友と語らってみてはどうだろうか。もしかすると、今でも似たようなカルチャーに熱狂し興奮しているやもしれない。

なんのことはない。旧友と語らうとなると、どうしても「あの頃は」な話が中心になってしまう。「あの頃のあいつは」とか「あの頃のガールは」とか「あの頃、実は」などなど、後ろを振り返る会話が大半を占めてしまう。

それ以外の会話と言えば、自身のその後の人生設計や展望、仕事の話、健康の話、時々レディの話。皆一様、似たりよったりでそういった類の会話を好むみたい。

じゃあ、仕事を通じて知り合った人たちとの語らいを試みてみようと思い、会食などを催してみても、「あのスタートアップのベンチャーは活きが良い」とか「来週末にローンチなんです」とか「最優先すべき事項は自己実現でしょ」とか、とってもとっても意識の高い会話が多く、「あの動画クリエイターがお尻の穴にボールペンぶっ刺して騒いでるのとっても愉快だったね」といった会話を差し挟める隙間など毛頭ない。

そこで思いついた。今の時代、インターネットという便利なものがある。精神年齢の低い自分が語らいたいテーマで闊達な議論が行われているような場に参加してみればいいじゃあないの。なんて名案を思いつくんだと自画自賛し、試しにそういった類のコミュニティを覗いてみた。

若年層の彼ら彼女ら特有の文化なのだろうか、そこには特に意味を持たない会話が蔓延していて、理解の域を越えた単語を用いながら、やれ盛り上がったり、やれ誹謗中傷してみたり、やれ罵詈雑言をぶつけてみたり。やたらめったら殺伐とした空気感が、その場を支配していたのである。

こんなところ、入れるわけないじゃないの。

皆一様に年相応の話題を欲していることに気づかされた。その衝撃たるや、鈍器で頭をぶん殴られる思いだった。年相応という暗黙の共通点でつながるからこそ、身近なコミュニティというものが形成されるのであって、そのレールから逸脱してしまうと、無言の迫害を受け、無所属、無宿、無頼として扱われてしまう。

でも、無問題。きっと世の中には同様に、会話の行き場をなくしたまま生きている人たちがどこかにいるはずだ。生きていればいつか狂熱を分かち合える人と会話のセッションを繰り広げられる機会もあるだろう。

はるか先、おぼろげに待つ同志と狂熱を分かち合う折りには、自分も老い、年相応の会話として、子世代や孫世代に捧ぐ貯蓄の話や、お墓を建てる準備がどこまで進んでいるのか。そして、死後に残された皆々様に対し、生前から備えていることなど、自分にとって最も旬な会話ができるに違いないと信じ、今宵もスマートフォン片手に動画を視聴する。

デタラメだもの。

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