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涙なしでは読めない名書。何かを頑張る人にとって宝物になるような人間臭い教科書です。『天才はあきらめた - 山里亮太』【書評】

山里亮太著『天才はあきらめた』

本著をひとコトで表現するならば、山里亮太の怨念が宿るほどの劣等感が生み出す挫折と成功の自叙伝であり、何かを頑張る人にとって宝物になるような人間臭い教科書。

涙なしでは読めない名書です。

「自分は天才にはなれない」。そう悟った日から、地獄のような努力がはじまった。

嫉妬の化け物・南海キャンディーズ山里は、どんなに悔しいことがあっても、それをガソリンにして今日も爆走する。
コンビ不仲という暗黒時代を乗り越え再挑戦したM-1グランプリ。そして単独ライブ。
その舞台でようやく見つけた景色とは――。

2006年に発売された『天才になりたい』を本人が全ページにわたり徹底的に大改稿、新しいエピソードを加筆して、まさかの文庫化!
格好悪いこと、情けないことも全て書いた、芸人の魂の記録。

山里亮太は紛れもなく天才だと思う。野球にたとえるなら、打ち返せない球がひとつもないバッター。どこに投げられた球でも誰が投げた球でも、すべてを「山里フィルター」を通し、面白く調理したうえで場に提供する。その瞬発力、その的確さ、非の打ち所がないとはこういうことを言うんだろう。

本作では、山里亮太という人間が「天才」という言葉に縛られながらも、自身の「天才」と戦い、劣等感・努力・嫉妬・挑戦を繰り返しながら、誰よりも人間らしい感情を抱き、歩む道のりが記されている。

僕は、山里亮太のツッコミをはじめて見た日から、「会いたい芸能人って誰?」的な質問には、すべて「山里亮太」と答えてきた。絶対に面白い瞬間に立ち会えると確信し、100%の信頼を置きながら、ラジオ『山里亮太の不毛な議論』を聴き貪った。

世の中には、生まれつき華がある人や普通にしているだけで友人を増やして行く人、街を歩いていると知人から声をかけられるような周りから好かれる人。憧れや嫉妬を通り越して、もはや同じ人間とは思ってもいない人たちがたくさんいる。

世間的な評価はそういった人たちに甘く、傍から見ていると、そういった人たちはいともたやすく生きているように見え、何の苦労もせずに生きているように見えた。競り合えば、必ず負けるものと信じていた。

そんななか、「言葉のセンス」というものを武器に戦えば、そういった人たちをもなぎ倒せると教えてくれたのは山里亮太だったし、漫才やMCで必ず結果を残す山里亮太の勇姿は、僕にとってのヒーローだった。

そう。ただ、その「言葉のセンス」の裏には「血も滲むような努力」という表現が安く感じるほど、あまりにもストイック過ぎる努力が隠されていたなんて。それは本作を読めば、痛いほど伝わってくる。

成功している人たちの姿を追っていると、ある共通点に気づく。それは、「そこまで努力すれば、そりゃ成功しないほうがおかしいよね」と、周りが認めているということ。山里亮太も、しかり。

運やら縁やら才能やらを持ち出して試合を放棄する前に、まずは目の前の奴よりも努力してから。で、勝ちたい奴や憧れている奴よりも努力してから、運やら縁やら才能やらのせいにしよう。もしかしたらその日はやって来ないかもしれない。なぜなら、努力の日々は永遠に終わらないから。

とにかく、読了後に、めちゃくちゃ頑張りたくなる一冊ですよ。

新R25の山ちゃんのインタビューも、めっちゃいいですよ。


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