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NYで出会ったミニ・クレイジーな人びと

 私は学生時代の約1年間、ニューヨーク市に住んでいた。

 通っていたのは、12ヶ月で学費30万円のイカれた語学学校。場所はマディソン・スクエア・ガーデンのすぐ近くで、

ちょうどこの写真の辺りだったと記憶している。

 学費でお察しのとおり、その学校はいわゆる「ビザキープ」のためだけに存在していて、真面目に英語を習いたいのではなく、ただアメリカにいることを目的とする人間が通う学校だった。

 もちろん、授業などないに等しい。まいにち2時間ほどクラスに顔を出せばオッケーで、しかもそのクラスは、ただ映画を観るだけ。無料のクッキーとコーヒー付き。トルコ人クラスメイトの破壊的なイビキに顔をしかめながら、『クレイマー・クレイマー』という1979年公開のアメリカ映画を、毎日ひたすら鑑賞する素晴らしいクラスだった。

ヘンな人間のパラダイス

 そんな学校に通っていた私は、ニューヨークという街が大好きである。その理由として、変な人が多いことが挙げられる。

 地下鉄の中でも、街中でも、同じアパート内でも。石を投げればゲッツーが取れるほど変人が多い。なので、毎日暮らしていて飽きることのない、愉快な街なのである。

 ただし、ガチでクレイジーな人間はNGだ。それはアメリカ人だろうとイタリア人だろうとユダヤ人だろうと、世界中一緒だと思う。銃を乱射などされたら、たまったものではない。ここで私が言っている変な人とは、会話していても特に害はないけれど、どこか様子のおかしい「ミニ・クレイジー」な人びとのことである。

 この記事では、私が出会ったそんな人びとを紹介していく。地球の反対側にはこんな変な人がいるんだ、というサンプルだと思って読んでもらえればうれしい。そうすることで、街中で出会うミニ・クレイジーなピーポーに寛容になれるはずだ。そもそも、寛容になる必要があるのかと言われれば、それはわからないのだが…。

 とにかく、以下にリストを作成する。ニューヨークに興味のある人は、ぜひチェックしてみてほしい。

File1.  「ワンダラー」リーマン

 私がいた2014年、ニューヨークの街中はどこでもタバコが吸えた。そのため、喫煙所を探す必要がなく、思い立ったら路地に入り、私はタバコを吸っていた。

 当時私が吸っていたのは「TOP」という激安の手巻きタバコで、これがコンビニで買えるタバコの中で一番安かった。

(これは余談だが、例の語学学校のクラスに、とある韓国人がいた。彼が謎ルートで仕入れて来る日本のマイルドセブンを1カートン2000円程度で売りさばいていたので、私のクラスメイトたちは皆それを吸っていた。が、彼が国へ帰ってしまったので、上記の「TOP」を吸うハメになったのである)

 ある日、私がいつものように街角でタバコを吸っていると、スーツを着た男性が近づいてきた。見た目はウォール街の金融マン風で、かなりシュッとしている。清潔感のある金髪。よく磨かれた革靴。いかにもエリートのサラリーマンという感じである。

 彼は急ぎ足で私に近づいてきた。立ち止まると、『トトロ』のカンタのように、「ん!」という感じで1ドル札を渡してくる。

「なに?」

私が聞くと、

「タバコを買いたい」

と言う。

 喫煙文化が悪とされるアメリカ人は、よくこうしてタバコをせびってくる。つまり、普段は吸わないがどうしても吸いたい場合、街角で喫煙している人に声をかけ、1本だけ譲ってもらうのだ。

 そのため、私は彼らに、タバコを1ドルで販売したことが何度かあった。しかし、そのとき吸っていたのは「TOP」。手巻きタバコである。私はポケットから「TOP」を取り出し、

「ごめん。手巻きだから」

と言って断った。

 すると男性がグッと近寄って来て、私のポケットに1ドル札をねじ込んだ。

「交渉成立だな」

 男性はそう言って、私の手からTOPをうばい、その場で立ったままタバコを巻き始めた。タバコの中から手際よくフィルターと巻紙を取り出し、クルクルと巻いていく。その間わずかに10秒ほど。慣れた手つきだった。私があっけにとられていると、男性が完成したタバコを口にくわえ、

「火、頼むよ」

と言ってきたので、ライターで火をつけてやった。

「サンキュー」

男性は加えタバコのまま、コツコツとウォール街に向けて歩き出した…。

 私は、一瞬の判断で何十億という金を動かすウォール街の金融マンは、これくらい図々しくなければ務まらないのだろうとしみじみ思った。それに、姿勢自体は丁寧で、べつに嫌な気持ちにはならなかった。あのスピーディな判断力と度胸は、まったく見習いたいものである。

File.2 「コンドーム博物館」のスタン

 とある秋晴れの気持ちいい日、私は「グリニッジ・ビレッジ」というエリアを散歩していた。

 ここは、レンガ造りのタウンハウスが立ち並ぶ美しいエリアで、ひょっとすると、向こうからボブ・ディランが鼻歌を歌いながら歩いてきそうな雰囲気がある。

☝ここがグリニッジ・ビレッジ(Greenwich Village)

 私が気分よく歩いていると、背後から突然声を掛けられた。

「ニーハオ!」

 振り返るとそこには、アメリカの「おじいさん像」を詰め込んだような男性が立っていた。グレーのサファリハット、グレーのシャツ、ベージュのカーゴパンツ、謎ブランドの「俊足」みたいなスニーカー。

「ニーハオ!」

 男性が私の目を見て、もう一度言った。

 私はどう返事をしようかと思ったが、「ハロー。僕は日本人です。でも、ニーハオはわかります」と言った。

 すると男性がもう一度、「ニーハオ!」と満面の笑みで繰り返す。

 私はこの辺りで、「ハハーン、こいつからかってるな。無視したろ」と思い、早足で歩きだした。男性が付いてくる気配がする。なんだこのジジイ。何目的? いくらじいさんと言えど異国の地でバトルになるのは避けたいので、立ち止まって振り返る。

「なんでしょうか?」

 改めて聞くと、

「ごめん、思い出せなかった。『こんにちは』だよね。そうそう」

とひとりでじいさんがうなずいている。

 私は心機一転、彼と話してみることにした。いろいろ会話してみると、どうやら悪いヤツではなさそうだ。名前はスタン。たしか70歳くらい。元軍人で、軍の年金で割とリッチに暮らしているから、毎日やることがなくてヒマだという。

「ちょっと散歩しないか?」

 スタンがそう言って、歩き出す。なかなかアメリカ人のじいさんと喋る機会などないので、願ったりかなったりで私はついていった。スタンは面白い人だった。数年前に奥さんを亡くし、いまはひとりでここグリニッジ・ビレッジに住んでいるらしい。

 ちなみにグリニッジ・ビレッジは超のつく高級住宅街である。本当かどうかは知らないが、カニエ・ウエストやサラ・ジェシカ・パーカー、タランティーノなどセレブたちの家があるらしい。

 そんなエリアに年金だけで住めるとは、アメリカの退役軍人の年金はべらぼうに高いのだろうか。そのあたりの突っ込んだ話はできなかったが、とにかく、スタンはグリニッジ・ビレッジに住むヒマな老人だということがわかった。

 しばらく歩くと、スタンが足を止めた。

「ここに入りたいんだけど、いい?」

 目の前には、なにやらミュージアムっぽい雰囲気の建物が。私はよくわからなかったが、とりあえずOKを出した。なにか面白い場所を紹介してくれるのだろうと、トコトコと後をついていく。

 入り口のドアを抜けたところで、スタンが立ち止まる。カウンターの上に置いてあったバスケットを指差し、「これ、無料だよ。好きなだけ持ってきな」と言う。

 バスケットの中を見ると、そこには大量のコンドームがあった。

「……なにこれ?」と私は尋ねた。

「ここはゲイについて学べるミュージアムだ。勉強になると思って、連れてきた」

 質問の答えになっていなかったが、私はとりあえずバスケット内のコンドームをふたつほどもらっておいた。

 館内を見て回る。歩きながら、スタンが毎年ニューヨークで行われるゲイパレードについてなど、色々と教えてくれる。

 私はなぜ、自分がここに連れてこられたのか、よくわからなかった。が、別にやることもないので、とりあえずスタンと一緒に館内を歩く。

 やがてひと通り見ると、建物の外へ出た。

「電話番号、教えてくれ」

 スタンからメモ帳とペンを渡される。私は面白い友人ができたと思い、自分の番号を書いてスタンに返した。

「じゃ、また会おう」

 スタンはそう言って、去っていった。

 その後、スタンと一度だけお茶をした。正直なところ、何を話したか詳しく覚えていない。しかし、たぶん私が拙い英語で人生相談みたいなものをしたのだと思う。それに対しスタンが、「Do what you want(やりたいようにやんなよ)」と言ってくれたのだけは覚えている。

 そして、そのお茶の日以来、スタンは誘っても会ってくれなかった。理由はわからない。けれど、電話は数回やりとりがあった。そのたびにスタンはDo what you wantと言ってくれた。

 ニーハオから始まりコンドーム博物館に連れて行かれただけの関係だが、やはりジジイがそれっぽいことを言うと説得力がある。なので私は今でも、スタンのアドバイス通り、やりたいようにやることを意識して生きている。

File3. 「鬼のメイクマニー」トルコ人

 上述した語学学校のクラスに、愉快なトルコ人の友達がいた。

 名前は忘れたが、彼が学校を辞めるまではわりと仲良くしていた。彼とは学校帰りに卓球をしに行ったり、中学生みたいに肩パンをしあうというダサい遊びをよくしていた。

 彼は、就労ビザを持っていないにも関わらず、月に100万円くらい稼いでいたタフガイだった。

 私は一度、彼の職場に連れていってもらったことがある。彼は工事現場の監督をしていて、おそらくトルコ系企業で働いていた。そのときの建設現場はたしかタイムズ・スクエア近くのミッドタウンで、ビルはなかなか大きく立派なものだった。

「おい、入れよブラザー」

 そう言って、従業員用のドアを開けてくれる。彼の後について建設現場のビルに入った。エレベーターで上がっていく。ビルはまだ鉄骨だけの状態なので、落ちたら死亡する高さである。

「どうだ? 俺ここで働いてるんだよ。すげえだろ」

 たしかにすごい現場だった。ビルからは、マンハッタンを行き交う人々が小さく見える。彼は将来建築士になりたいらしく、ニューヨークでお金を貯めて、トルコへ帰って大学に通うのだという。ついでに英語も喋れるようになり、一石二鳥だぜガッハッハみたいなことを言っていた。

 彼とは短い付き合いで、かつ、名前すら覚えていないのだが、私は彼のことが結構好きだった。失礼なことを言ってくるのだが、裏表がなく気持ちいい。違法労働だが、月に100万円も稼いでいてすごい。たしか私の2つくらい歳上だった。現在は31〜32くらいだろうか。立派に建築士になってくれることを願う。卓球で私に負けてラケットを放り投げて、店員に怒られて激しく口論をしちゃうようなヤツだったが、メシをおごってくれたりする一面もあった。ああいう変な人に最近出会っていないので、またどこかで再会したいものである。名前は覚えていないのだが。

File4.  「長老」のジム

 私はニューヨークに到着してから約4ヶ月間、アッパー・イースト・サイドに住んでいた。『ゴシップ・ガール』などセレブが登場する映画でおなじみの、あのエリアである。

 しかし私が住んでいたのは別に高級住宅ではない。カトリック系の団体が運営するアパートメントで、家賃は月に10万円。同じ条件の広さでアッパー・イースト・サイドに住んだら100万円は平気でするので、それを考えれば破格の家賃だった。

 ちなみにこのアパート、別にカトリックでなくても住める。私はグーグルで家を探していたらたまたま見つけたので、応募したら通っただけだ。

 アパートの住民は8割がドイツ人(アッパー・イースト・サイドは元々ドイツ人街)で、残りがアメリカ人やインド人、そして日本人。全100部屋くらいのうち、5人ほど日本人が住んでいた。仕事を辞めて(たしか野村證券)アメリカの大学院で学び直そうとする人や、私と同じような大学生などだった。

 このアパートは基本的に短期滞在者向けだった。単身赴任や留学などの利用が多いので、みな目的が終われば国へ帰っていく。なので、長期滞在にはあまり向いていない。そもそも部屋は狭いし、クーラーはないし(NYは東京と同じくらい暑い)、冷蔵庫を部屋に持ち込んだら罰金などという謎ルールがあったので、場所こそ一等地だったが、あまり快適な住環境ではなかった。

 しかし、ただ一人だけ、このアパートに数十年住んでいる長老がいた。名をジムという。彼はウォール街で働くファンドマネージャーで、毎日アッパー・イースト・サイドから地下鉄に乗り、ウォール街へと通っていた。

 このアパートでは昼と夜に1階の食堂で食事が出るので、ジムとともに食事をとる機会が何度もあった。ジムは気さくで、いい人である。アジアに興味があるのか、私やほかの日本人留学生に、とくによく話しかけてくれた。一緒に映画祭に行ったこともある。その映画祭は「ニューヨーク・アジア・フィルム・フェスティバル」というもので、そのときは松本人志氏の『R100』が上映されていた。ジムは映画を観てゲラゲラ笑いながら、松本人志氏のことを絶賛していた。

 そんなジムがいちど、実家に連れて行ってくれたことがある。私ともう2人の日本人留学生が招待された。ジムの実家はニューヨーク州の州都・アルバニーというところで、マンハッタンからはバスで3時間ほどかかった。

 ジムは鉄道の定期があるので鉄道で帰り、私たちはバスで向かった。アルバニーの駅で待ち合わせ。到着してからしばらく待っていると、ジムがちっさいHONDAのフィットに乗って迎えに来てくれた。

「日本車はサイコーだな!」

 デッカいアメリカ人がちっさい日本車に乗って、ウキウキの笑顔である。人間の価値観はわからないものだな、と思った。

 ジムの実家はハンパじゃなくデカかった。聞けば、ジムがウォール街で荒稼ぎした金で、愛するママのために建てたのだという。

 邸宅は湖畔に立っていて、一階に世界中の酒が並ぶ洒落たバー、ビリヤード台、暖炉などがあった。2階がジムとママの寝室。我々の寝室はなかった。それについて聞くと、ジムが庭に立っている物置小屋を指さした。

「あれの屋根裏に布団しいてあるから。アウトドアはいいぞ〜」

 どうやら若者には、『スタンド・バイ・ミー』的な青春を味わってほしいらしかった。

 この家に来て、やっぱりアメリカ人はイカれてると思った出来事がある。

 あれは泊まって何日目だったか、湖で水遊びをした日があった。さんざん遊んだあと、湖畔で焚き火をしながらカラダを温めていると、ジムが急に立ち上がった。

「そうだ、アレをやろう!」とジム。

「やめなさいよ。危ないんだから」とジムのママ。

 しかしジムは言うことを聞かず、物置からなにかを持ってきている。ジムが手にしていたのは、布製の看板だった。そうとうデカい。よく高校の壁などに、「野球部 甲子園出場」などと垂れている幕ほどにデカイ。

 ジムがそれを芝生の上に敷き始めた。ちなみにこの芝生、湖に対して坂になっており、なかなかの角度である。

 ジムがウキウキと布をセットする。どうやら坂を利用したジャンプ台をつくり、湖にダイブしたいらしい。簡易のウォータースライダーである。しかしその「ウォーター」が見当たらない。と思ったらジムがまた物置に向かった。なるほど、ホースとかで水を引っ張るのかな? そう思ったが、ジムが手にしているのは何かのボトルだった。

「よし、お前らもこれをカラダに塗れ!」

 手渡されたのは食器用洗剤である。見れば、ジムが食器用洗剤を全身に塗りたくり、布製の看板にもダラダラと撒いている。

「まさか…」私と留学生は顔を見合わせた。

「よし、いくぞー!」

 ジムが助走をつけ、布に向かってダイブする。120kgはある巨体が布の上を滑ってくる。そしてその勢いのまま、湖にザバーンと滑り込んだ。ジムの愛犬が後を追いかける。愛犬も湖に入り、気持ちよさそうに主人と泳いでいた。

「はやく、はやく!」

 ジムが叫ぶ。私はちょっと迷ったが、楽しそうだったのでやることにした。芝生を上り、食器用洗剤をカラダに塗りたくる。肌がヒリヒリと痛かった。が、塗ってしまったものはどうしようもない。助走をつけて布に飛び込んだ。スーーっとカラダが滑っていく。そして湖にジャボン。馬鹿みたいな遊びだが、最高に楽しかった。






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