YouTubeの自動再生がイイ仕事をするとき

 さきほど、YouTubeの「自動再生機能」が初めて職務を果たした。

 私はいつも、この機能が勝手に知らない曲を流すと「ちがうちがう! おまえは黙ってミックスリストを再生してろ!」と、aiko氏の曲をエンドレスリピートするよう怒鳴りつけているのだが、今回の提案は大当たりだった。まったく聞き覚えのない曲のメロディが、私の心の琴線をかき鳴らしたのだ。吉田兄弟が胸の中にワープしてきたかと思った。軽妙な音色の津軽三味線が、心臓のあたりで鳴り響いていた――。

まずは前置きよろしいでしょうか

 2004年、綿矢りさ氏が『蹴りたい背中』で芥川賞を受賞した。当時19歳だった彼女は、同賞の史上最年少受賞者となった。これは2021年現在でも変わらない。同時受賞したのは当時20歳の金原ひとみ氏だ。作品は『蛇にピアス』。2人が並んで立っている授賞式の映像を、観た記憶がある方も多いのではないだろうか。

 そんな綿矢氏は2001年、17歳のときに『インストール』という小説でデビューしている。これがまた素晴らしい作品で、とても私などが語れるような内容ではない。そのため虎の威をレンタルする。文壇の重鎮・高橋源一郎氏だ。高橋氏は2005年刊行の文庫版『インストール』で解説をつとめている。この解説もまた美しい文章で、解説それ自体がひとつの作品と呼べるほどである。今回はその中の一文を引用したいと思う。これじゃまるで解説の解説のような、ティッシュ配りの監視役の監視役みたいな状態になってしまうが、そこはご愛嬌でお願いしたい。

 以下、高橋氏の解説の抜粋。

 綿矢りさは、ただ「天才」であるのではなく(どんな「天才」でも、ぼくはおそれない)、何かの「始まり」を告げ知らせるために現れたのではないか、とぼくは感じる。それが、日本近代文学の終わりと関係があるのか、この『インストール』が二十一世紀の最初の年に出現したのは、何かの徴(しるし)なのか、はたまた、これは近代文学の問題だけに留まらず、日本の近代の終わりそのものと深く関係があることなのか、ぼくにはわからない。
 だが、ぼくにもわかることが一つだけある。
 綿矢りさは、この「時代」と「日本語」に選ばれたのだ。間違えてはならない。彼女が選んだのではない。だとするのなら、彼女は、これからも書き続けなければいけないだろう。だってね、そんな作家、他に、いないんだから。

 うなりたくなるような解説である。

 特に「綿矢りさは、この「時代」と「日本語」に選ばれたのだ」の部分。読んでいるだけで鳥肌が立つような一文だ。なぜこの文章を引用したのか。それは、私がこれとほぼ同じ感想を、冒頭で述べた曲に対して抱いたのである。

前置きが長い

 さて、その曲をYouTubeで発見した私は、ネットで情報を集めてみることにした。一体どんな人物が歌っているのか。新人なのか、ベテランなのか。グループなのか。インディーズなのか。YouTubeに記載された歌手名だけでは、判断しかねる名前だった。

 歌手名と曲名を検索窓にうちこむ。エイッとボタンを押すと、情報が薄めの見出しがいくつも羅列されていた。「謎の新人」「突如現れた」「謎に包まれた」などである。いろいろページを見ていくと、どうやら最近デビューした歌手ということがわかった。しかしどうにも、なかなか本人の情報がない。悶々としながら画面のスクロールを進めると、「小沢健二 カバー」なるYouTubeの動画が表示されていた。音楽に詳しくない私でも、小沢氏の名前くらいは聞いたことがあった。彼に長年のキャリアがあることも。うーむ、このまえデビューしたばかりの新人の曲を、小沢氏がカバーしているとはどういうことなのだろう……。気になったので動画を再生した。カバーバージョンもまた、最高の曲だった。

3:50あたりから該当の曲☝

 上のカバーを聴いてもらえただろうか。

 私は小沢氏の曲を知らなかったのだが、これをきっかけに本人の曲もいくつか聴いてみた。どれも素敵な楽曲だった。小沢氏の曲をカバーしている人もたくさんいた。音楽というのは、互いの曲を歌手同士でカバーできるのがいいなと思った。

 歌う人によって声やリズム感?(無知なのでご勘弁)が変わってくるし、まるで別の曲に感じるような場合もある。それはそれで面白いから、カバーも含めて2重3重と楽しめるのも、音楽のいいところなのかなと思った。

ほいで、その曲デス

 それでは発見した曲を以下に貼る。

Pii『カキツバタ』

 この曲のジャンルはなんというのだろうか。コメント欄を読むかぎり、「シティポップ」てきな意見を多く見受けたが、実際のところは一体どうなのだろう。まあ別にジャンルなどはどうでもいい。とにかく私は、この平易で心にポンッと入ってくる歌詞と、実家みたいな安心感をおぼえる優しいメロディが、たまらなくツボなのである。

 しかし自分の感性とは不思議なもので、この曲を歌っているPii氏の各媒体フォロワー数を調べたところ、

・twitter         1388人
・instagram         1318人
・YouTube(登録者) 1720人

とあった。

 私の感性が世間とズレているのか、もしくはPii氏がここから一気に有名になるのか、よくわからないあんばいの数字である。デビューしてから2ヶ月弱。小沢健二氏が曲をカバーしていて、再生回数は約15万回。繰り返すがこれが多いのか少ないのか私にはわからない。ただ、そう考えたときに、ひとつの相対的な指標として、テイラー・スイフトの『Blank Space』の再生回数をチェックしてみた。26億回だった。私は数字のことを考えるのをやめようと思った。

感嘆符の魔力!

 いったん綿矢氏に話をもどす。

 私が彼女の小説で好きな一文には、なぜか感嘆符が使用されている場合が多い。感嘆符とは「!」←これだ。通称ビックリマークである。たとえば映画化もされた、『勝手にふるえてろ』の一文。

ニは立ちつくしたあと、いきなり後ろを向いて玄関のドアの隣にある小さな窓を開けて廊下に向かって叫んだ。
「おれとの子ども、作ろうぜーっ!」
 言い終わると妙に丁寧に、旅館の女将がふすまを閉めるときみたいに両手で窓を閉めた。

 また、芥川賞受賞後の1作目となった『かわいそうだね?』では、

樹理恵、突撃します!

という一文がある。

 この、綿矢氏の感嘆符の使い方がほんとうに上手で、読んでいておかしくなったり、心をグッと掴まれる場面が多いのだ。

で、この曲の中でも

 こんな話をしたのだから当然、上に貼った『カキツバタ』の歌詞にも感嘆符が使用されている。以下の引用を参照してほしい。

幸せがくる 足音がする
どんなにすごいレースでも走れるよ!と
父に言った昔と
子に語る未来と
今をゆく私を思う

 この「走れるよ!」の部分、疾走感がすごくないだろうか。心から叫んでいる感というか、動機こそ詳細に書いていないが、とにかく歌っている人が走りたくて走る! というイメージが頭の中にパッと浮かんでしまうのである。

 ちなみにこの歌詞の中で、感嘆符は一度しか出てこない。まさに「ここぞ!」という瞬間にビックリマークを用いることで、強烈な印象を与えてもらっているような気がする。

 たとえばこれが、

幸せがくる! 足音がする!
どんなにすごい!レースでも走れるよ!と
父に言った昔と!
子に語る未来と!
今をゆく私を思う!

となっていたら、ちょっと嫌であると思う。怒っているときの朝青龍氏のツイートみたいになってしまう。

 それはともかく、ひとまず記事を書き終えて、私はふと思った。

「noteに同じようなこと書いている人いたら恥ずかしい…」と。

 なにせこちとら、「まだ世に出ていない原石を見つけた」口調で喋っているのだから、仮にこのPii氏が既にマニアたちの間では名の知れた存在で、今さら音楽素人が頑張っちゃってるよ感、があったら赤面ものだと考えたのだ。

 で、検索したらまじであった。

 しかもこの記事は、かなり精緻に考察をしており、映画や音楽カルチャーに精通しているっぽい人が書いているっぽい。これじゃ私の記事などポイである。せっかく3000字も書いたのにもったいない…。

 仕方がないので投稿しておく。音楽マニアの方、これを読んでもあんまりイジめないでくださいまし。ちなみに上の記事、めちゃくちゃおもしろいッス。ぜひ読んでみてほしいッス。


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