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鼻毛との百年戦争が終わった日

「消えた方がいいと思われているもの」が、世の中にはたくさんある。

 たとえば蚊やゴキブリなどの害虫。蚊に刺されればかゆくなるし、ゴキブリはルックスがハードコアすぎる。

 もしくは印鑑やファックスなど、デジタル時代にそぐわない決裁および通信手段は、多くの国民からうとまれているハズだ。

 しかし、それらが世界から消えた場合、困る人や状況が生まれるとも聞く。

 ゴキブリは山で食物連鎖に加担しているらしいし、印鑑が消えればハンコ屋のお父さんが職を失う可能性もある。

 多くの人が「チッ、とっとと消えちまえ」と願っていても、それは目先のことで、実際にはどこかで誰かを助けているのが、上記のような事柄なのではないだろうか。

ただし、おまえはダメ

 そう考えると、この世には、「ぜったいに消えた方がいいもの」なんて存在しないのだろうか。私はふと、そんなことを思った。

 いろいろ考えてみる。たしかに自分が嫌いなモノ&コトでも、それらはどこかで誰かの為になっているかもしれない。この世界を回り回って、まだ出会ったこともない人の笑い声を作っているのかもしれない。友人の評価はイマイチでもshe so cuteだし、勝利も敗北もないまま孤独なレースは続いていくのかもしれない。

 しかし、いくらそんな優しい気持ちで向き合ってみても、消滅したほうが世の為だ! と確信するものがひとつあった。鼻毛である。鼻毛だけは、どんか角度からでも、たとえどんなに逆張りをして考えてみても、絶対に必要ないものなのだ。

すべてを無に還すウエポン

 鼻毛は人間関係を破壊しかねない。とりわけ、まだ深い仲になる前の男女関係において、それまで積み上げたポイントをゼロにするチカラを持っている。

 たとえばとてもお洒落で、話がおもしろくて、嫌味がなく、健康な人がいるとしよう。あなたは彼/彼女に好意を抱いている。数回デートを重ね、そろそろいい感じになってきた。あと一言あれば、めでたくカップル成立である。

 その日のデートはお台場。冷たい海風を浴びてふたりカラダをくっつけ、「さむいね」などと言葉を交わしながら彼/彼女と肩を寄せあう。ドキドキしながら、最後のセリフを言うか言わないかあなたは悩んでいる。

 そんなときふと相手の顔を見る。するとなにやら、意志の強そうな鼻毛が1本出ている。ゲッ、今日に限って…。あなたはげんなりするはずだ。どうか夢であってくれ…。胸の前で十字架を切りながらもういちど彼/彼女を見ると、反対の穴からも意志の弱そうな鼻毛が出ている。おいおいダブルかよ…。あなたは心の中でつぶやく。これが決定打になるにせよ、ならないにせよ、もうあなたは今までどおりに相手を見ることができない。なぜなら、この世にはふた通りの人間しかいないからだ。鼻毛の出ている人間と、出ていない人間である。そして彼/彼女は前者。どうせなら後者と付き合いたいもの。こうしてあなたは、たった1〜2本の鼻毛によって人間関係を見直さざるを得なくなる…。

 上のシミュレーションは過剰だとしても、実際にこんな状況に出くわした場合、おそらく多くの人が鼻毛を意識せずにはいられないだろう。それほどまでに、外界へ飛び出した鼻毛は、強烈な存在感を放つのだ。そして厄介なのが、鼻毛の出ている相手が「キマッている人」という認識であればあるほど、鼻毛は存在感を増すのである。

 たとえばボロボロの古着を着たヤツの鼻毛が出ていても、その存在感はたいしたことはない。まあ、そりゃ鼻毛も出るだろ、という感じである。しかしこれが、お洒落なセットアップに身を包み、常に最新のApple Watchを着けているような相手だと、妙に鼻毛がハシャぎはじめる。「おーい、ここだよ!ここにいるよ!見た目とのギャップやばいっしょ!」と、なぜか目立とうとするのだ。

 私はべつに、お洒落なセットアップに身を包まないが、上記のような理由で鼻毛が嫌いだった。かといって、ブラジリアンワックスでブチン!と抜くのは怖すぎる。そのため、頻繁に鼻毛カッターを駆使し、無数に生える鼻毛の先っちょを切ることしかできなかった。それしか対策がないと思っていた。

鼻毛の大規模カット会場

 ところが先日、新宿三丁目駅で都営新宿線から副都心線に乗りかえようと連絡通路を歩いているときだった。私のまえに、目を疑うような看板があらわれた。それが以下である。

 私の目はまず、「鼻毛」の文字をとらえた。駅の連絡通路で見る「鼻毛」の文字は、実際に清潔感のある人の鼻から出ている鼻毛くらい違和感があった。看板をよく見てみる。

 わかりやすいビデオが流れている。

 なにやらそそるアニメーションであった。

「印象を左右する大事な身だしなみ」。その通りだ。私はウンウンとうなずいた。しかし、ビデオによれば鼻の穴に棒を突っ込み、ブチンと抜く方法らしい。なんだよ、結局ブラジリアンワックスと同じか…。痛いじゃん。やめとこうかな。そう思って視線を上にずらしたときだった。

 い、痛くない!? 私はもう、この時点で鼻毛を抜くことに決めていた。

 ウキウキでブースに顔を出し、おそるおそる「あの…鼻毛を抜きたいんですが」と伝えると、「いま混んでるんで、7〜8分お待ちください」と言われる。整理券をもらい、看板の前に戻った。とたんにワクワクしてくる。ああ、長年の悩みから解放される。私は今日から、鼻毛フリーの生活を送れるのだ。気分が高揚していた。

 しかし5分ほどブースの前に立っていると、急に恥ずかしくなってきた。なにせここは新宿三丁目駅。人の通行量はハンパじゃない。通る人たちはみな、「鼻毛脱毛」の看板にチラリと目をやり、そしてブースの前に並んでいる私に一瞥をくれる。その瞳が、「ああ、こいつ鼻毛抜きたいんだ。出てそうなツラしてんもんな(笑)」と嘲笑っていた。悔しい。悔しすぎた。だからこそ私は鼻毛を抜くことに決めた。マスクなき世界に戻ったらツルツルの鼻の穴を前に突き出して、ガニ股で街を歩いてやろうと思った。

いざ、ブース内へ

 そして私の番がやってきた。「15番の整理券でお待ちの方~」。やさしい声で番号を呼ばれる。

 そろりそろりとブース内をのぞくと、3人の男性が脚を大きくひらき、鼻毛を抜かれている。

「じゃあ、そこの真ん中のお席へどうぞ」

 私に声を掛けてきたのは、鼻毛とは無縁そうな清潔感のある女性だった。うわあ、どうせなら男性スタッフがよかった…。恥ずかしい気持ちで、指定された席に座る。私の前に女性スタッフが立った。

「こちら今までにご利用はありましたか~?」

「いえ、初めてです」

「そうですか。そしたらちょっと、鼻毛を抜くときにびっくりしちゃうかもしれませんねえ」

 私は耳を疑った。看板にあれほど大きく「痛くない」と書いてあったくせに、びっくりしちゃう? それって言葉を変えているだけで、結局は痛いんじゃないだろうか。疑心暗鬼になる。目の前の女性は、本当に鼻毛職人なのか疑わしくなってきた。

 「じゃあ、まずは保湿しますね~」

 女性が濡れた綿棒で、私の鼻の穴をグリグリとほじる。女性によれば、穴の中に水分が残っていると脱毛ジェルが付着しにくいらしく、とても丁寧に綿棒をグリグリと回してくれた。なにやら途中から、悪い気がしなくなってくる。名前も知らない人に、濡れた綿棒で鼻の穴をほじくり回されているのだが、その手つきが妙にこなれていて、まったく嫌な感じがしなかった。やはりこの女、鼻毛職人…。私は全てをまかせてそっと目を閉じた。

 保湿が終わると、すぐに脱毛へと移った。やっぱり怖いので目を開ける。すると目の前には、割り箸のような木の棒に、スライムみたいな青いジェルを付けている女性の姿がある。

「あれを穴の中につっこっむのか…」

 私はゴクリと喉を鳴らした。

「じゃあ、1回目行きますね~。左右で10回くらい抜いていきますので」

 フェイスガード越しに、女性が笑顔を見せる。10回…。私はいまから、10回も「びっくりしちゃう」可能性があるのか…。膝が震えた。が、カッコ悪いので背筋を伸ばして受け入れる体制をとった。さあ、来るならこい。全然びっくりしないでいるんだから。

本当に痛くなかった


 女性がピンポイントで私の鼻の穴をねらい、グサッと挿入してきた。青いジェルは心地いい温泉のようにあたたかく、鼻が気持ちいい。10秒ほど放置され、女性がすぐに戻って来る。

「じゃあ、いきますよ~」

 ヌンッ!という感じで棒を抜かれた。全然痛くなかった。痛くなかったが、まさに女性の言った通り「ちょっとびっくり」した。一体なんだこれは。本当に鼻毛が抜けているのだろうか。私が目をきょろきょろと泳がせていると、女性が木の棒を戦利品のように見せてくれた。棒の先端の青いジェルに気色悪い鼻毛がびっしりと付着している。その奥でニコニコとほほえむ女性とのコントラストが強烈で、まるで謎の現代アートを見ているような気持ちになった。

「いっぱい抜けましたね~。初めてにしては、抜けがいいですよ」

 褒められているのかよくわからない言葉をもらう。「あざス……」といちおう礼を述べる。すぐに女性が反対の穴に棒を突っ込む。10秒経ったら抜く。鼻毛を見せつけられる。その繰り返しだった。だんだんと、鼻呼吸がスース―してくる。おお、これは……マジで抜けてるな。私は嬉しくなった。そんな私の気持ちを察したのか、女性が「いちど鏡見ます?」と間を置いてくれる。私は鏡を見た。たしかに、出入り口の部分がすでにツルツルである。

「いい感じですね~。じゃあ最後に、ピンセットで短い毛を抜いていきますね」

 女性の話によれば、鼻毛カッターなどを日常的に使っている場合、鼻毛が短くなりすぎて、ジェルで脱毛しにくいのだという。

「次回からは伸ばしてきてくださいね~」

 女性がサラッと恐ろしいことを言う。だがしかし、鼻の穴に木の棒を突っ込んでくる相手に対して、意見などできるわけがない。「はい…伸ばしてきます…」としか答えられず、私は女性のいいなりとなった。

「じゃあ、これで終わりです。すっきりしたでしょう?」

 わずか3分ほどの付き合いなのに、まるで「アンタがまだ赤ちゃんだったころ、オムツ替えてあげたことあるんだからね」と言われたような親密感がそこにはあった。鼻毛職人の名は伊達ではない。私はスマホを取り出し、PayPayで料金を支払った。去り際、「また1か月後くらいにどうぞ」と言う女性から、営業日の書いてある紙を渡された。

 鼻毛に悩んでいる方がいたら、超おすすめである。ぜひ、熟練の鼻毛職人たちによる、「ちょっとびっくりしちゃう」脱毛を、味わってほしいものである。









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