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意を決して、ひとりゴミ拾いをした話。

ひとり行動が気楽で、ひとり旅、ひとり映画、ひとりカラオケなど、おひとりさまで色々と活動してまいりましたが、この度は、「ひとりゴミ拾い」にチャレンジした話です。



近所にある坂道は、ある時からゴミだらけになっていて、毎日気になっていた。

そのゴミは、通りすがりに投げ捨てられた空き缶・ペットボトルや、住民が出した生活ゴミの袋をカラスが破ったせいで散らばったものだった。

毎日ゴミを眺めながら歩くのは、良い気はしない。
しかし、出がけに目についたその大量のゴミを拾っても、処分することができない。
最近、街にゴミ箱は置いてないし、コンビニのゴミ箱は生活ゴミは受け付けていない。駅のゴミ箱も撤去されている。
なにより、泥まみれの生活ゴミを素手で触れるのはハードル高い。

このように、”ゴミを拾うこと” というのは意外にハードルが高く、なかなか自然の流れで実行するのは難しいことなのだと思った。



そこで、私は”ゴミ拾い”をするために、アイテムを調達し、実行日の予定を立てた。

調達したアイテムは、ゴミ拾い用のトングだった。
フェンスやツツジの中に入り込んでいるゴミがかなり散見されたので、効率よく取り上げるために必須だと感じた。トングの長さは、60cmあるものにした。
これなら、いちいち屈まずにゴミ拾いを楽しめそうだった。

あとは、軍手とゴミ袋(30リットル)2枚、装備はそれだけ。

実行日は、ちょっと目立つと恥ずかしいので、平日の、通勤・通学時間帯を避けたひと気のないタイミングを狙った。



坂の上から下まで、だいたい直線60メートルくらいの距離。
上から下に向かって、歩道の左右に散らばったゴミを一つずつ拾ってはゴミ袋に入れていく。
ゴミ拾いトングが想像以上に良い仕事をしてくれて私は感動する。
そして、ゴミが取り除かれて綺麗になっていく様子を見るのが心底気持ちが良くて、面倒とか大変だという感覚よりも、作業に夢中になっていく、不思議な高揚感があった。

サクサクと拾い進め、坂の中盤に差し掛かった頃、坂の上から人がやってきた。

わ、視線を感じる。。
ちょっと恥ずかしい。いや、なんで恥ずかしいのだろうか?
恥じることなんてないのに、なんか恥ずかしい。

周囲の人と異なる行為を、一人で公の場で行う、ということは、それが恥ずべき行為ではなかったとしても、恥ずかしいと感じてしまうものなんだ。不思議な話だ。

最初の通行人は視線を投げかけたものの素通りした。その次も素通りだった。
しかし、3人目の通行人の女性が、私に話しかけてきた。

「あの・・・ありがとうございます!」
目を見て、笑顔で、声をかけてきた。

かなり勇気を出して話しかけた、というのが伝わってきた。
その時、私は咄嗟のことに驚いて、笑って頷くことしかできませんでした。

そして、その次の通行人の女性が、また私に話しかけてきた。

「ありがとうございます!!」

え、嬉しい・・・(感動)
わざわざ声をかける方が勇気いるだろうに。
そして、自分家の前を掃除されている、というわけでもないのに、「ありがとう」という言葉を発することができるその人たちの心持ちに、私は感激してしまった。

そして、坂の終盤に差し掛かったところで、
また一人の女性が声をかけてきた。

「ありがとうございます・・・いつも拾ってらっしゃるんですか?私もここのゴミ、ずっと気になっていたんですよ。本当にありがとうございます。」

ああ、みんな、気になっていたんだな。と気づいた。
確かにそうだよな。誰しも、大量のゴミを見て嬉しい気持ちにはならない。

30リットルの袋が満杯のゴミ。優秀なゴミ拾いトング。

紙・プラごみは汚れているので、資源分別は許してください、という感じで、燃えるゴミに一括りにさせてもらったが、缶・ペットボトル類は分別しながら拾って自宅に持ち帰った。

思ったより大量だった。
フォーカスしていた箇所を拾い終わって気づいたのだが、実は、横断歩道の向こう側や、道の反対側の歩道にもゴミがあり、それらは取り切れなった。

なので、またゴミ拾い第2弾を実行するつもりです!



たった一回ですが、ゴミ拾いをしてみて、自分の中に変化があった。

一度ゴミ拾いをすると、そのエリアに対してだけでなく、街にゴミが落ちているととにかく拾いたくなる・・・という衝動が心に芽生えるんですよね。

これは責任感や正義感のような立派なものではなく、ほんと気軽な感情です。

普通、誰しもが自宅の掃除は当たり前に行うものだけれど、ただ通行するだけ、という関係性の場所については、自分が掃除するものだとはあまり意識しないものだと思う。
かといって、特別に、清掃ボランティアなどのイベントに参加するという大袈裟なことではなく、目についたから拾う。そんな単純で気軽な感覚が芽生えてくるから不思議。

誰しもが一度ゴミ拾いしてみたらきっと、”ゴミを捨てる”ということよりも、”ゴミを拾う”ことの方に意識が向いて、ひいては、自然と、街にゴミが放置され彷徨うこともなくなるんじゃないのかな、と感じた。



少しの準備と時間が必要にはなりますが、”ゴミ拾い”は、ひとりで気軽に取り組めて、良い運動にもなるし、心の充実感はすごいし、こうしてたくさんの気づきを得られて良いことだらけ。

ゴミが気になる場所がある、というあなたに、おすすめです!


最後までお読みいただき、ありがとうございました。
それでは、また。

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