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日本語か英語かで迷うとき

今回のテーマ:ニューヨークあるある

by らうす・こんぶ

ニューヨークに住んでいた間、2、3年を除いてずっとフードコープの会員だった。フードコープというのは生活協同組合のことで、私が加入していたフードコープは「会員にならないと買い物ができない」、「会員はフードコープで4週間に2時間半の労働を提供しなければならない」、「会員に家族やルームメイトなどの同居者がいて食生活を共にしている場合は、18歳以上の同居者はすべてフードコープの会員にならなければならない(つまり労働を提供しなければならない)」などの決まりがあった。

さいわい私は長い間レジで機械にバーコードをかざして読み取らせ、買い物の金額を集計するという、ラクチンな仕事を担当していた。レジの前に座っていると、毎日たくさんの買い物客が私の前を通り過ぎていく。多くはないけれど、もちろん日本人客もいた。その雰囲気や仕草などから「ほぼ間違いなく日本人だろう」と思うこともしばしば。でも、「日本人ですか」と聞くのも変だし、相手が日本人だと決めてかかっていきなり日本語で挨拶するというのもなんだか落ち着かないので、お互いに「この人は99%日本人だろう」と思いつつも、英語で必要な会話をしてやり過ごす。日本人同士なのに日本語を使わないで会話するという、なんとも背中がむず痒くなるようなことがよく起こった。

買い物客が小さい子供連れのお母さんだったり、まれにご夫婦だったりすると、日本語で話しているのが聞こえてくるので、「こんにちは」と声をかけることもあったが、これもなんとなく妙な感じがすることに気がついた。まるで相手の話を盗み聞きしているみたいだし、英語から日本語に切り替えて話しかけるときは、表情をヨイショって感じで日本語仕様に切り替えなければならないことにも気がついた。どうやら、英語のままの表情筋の位置では日本語は喋りにくいようなのだ。

英語を喋っているときの笑顔と日本語を喋っているときの笑顔は違うのが自分でもわかる。体の筋肉も普段使っている筋肉は意識しないで使えるが、あまり使っていない筋肉を使うと動きが悪かったりこわばったりしているのがわかることがある。日本語と英語では使う表情筋が違うので、ことばを切り替えれば同じようなことが起こっても不思議ではないだろう。しかも、私はメンタルも英語キャラから日本語キャラに切り替えている節がある。私だけなのか、他の日本人もそうなのかわからないけれど。

そんなわけで、海外で知らない日本人と会ったときは、相手が日本人かどうか探りつつ、さらに日本語で話しかけていいものかどうかも探りつつ、日本語を話すことになる。だから、なんとなくぎこちなくなりがちだ。外国まで来て日本人に会いたくない、まして、日本語なんか話したくない、という人もいるようだし。

おまけのエピソード。
オンラインでの予約が普及する前は、日本食レストランや日本人が経営しているヘアサロンなどに電話で予約を入れていた。アメリカだから向こうが日本食レストランだろうと日本人客が多いヘアサロンだろうと、英語で会話が始まるのだが、途中からいきなりお店の人が「はい、いつもありがとうございます」みたいに日本語に切り替えることがあって、私はムッとしたものだ。「ど〜せ、ど〜せ、私の英語の発音はベタベタのジャパニーズですよ」とへそ曲げたくなった。ああいう対応って親切なのか、失礼なのか。私はかえって失礼だと思うんですけど(😬)。



らうす・こんぶ/仕事は日本語を教えたり、日本語で書いたりすること。21年間のニューヨーク生活に終止符を打ち、東京在住。やっぱり日本語で話したり、書いたり、読んだり、考えたりするのがいちばん気持ちいいので、これからはもっと日本語と深く関わっていきたい。

らうす・こんぶのnote: 

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「ことば」、「農業」、「これからの生き方」をテーマとしたカジュアルに考えを交換し合うためのプラットフォームです。


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