『突発性難聴』になって8日間入院してほぼほぼ回復した話。

初めましての人は初めまして。
自分のことを知ってる人はこんにちわ。
どちらにせよ、読んでくれてありがとうございます。

これは音楽を生業として生きていた自分が『突発性難聴』になってしまい、一時期は「左耳の聴力が95歳のおじいちゃんよりも悪い」とまで診断されたところから8日間の入院生活を経て幸せなことにほぼほぼ回復した
そんなお話です。

このnoteについて。

自分は周りで突発性難聴になった人が見当たらなかったので誰にも話を聞けませんでした。

勿論探せばいたのかもしれないけど実際なってみると探し回っている余裕なんて全くなかったです。

なのでこのnoteが今後突発性難聴になってしまった人への一つ何かの参考にでもなれば良いなぁ、なんてことを思いながら書くことにしました。

自分は医者ではないので専門的なことはわかりません。
なのでそういう専門的なことじゃなくて、実際に自分がなってしまった状況だったり感じたことだったり、症状とか回復の過程とか。
そういう経験を共有させてもらえたらなと思っています。

目次も置いておきますので自分の興味のある項目だけ読んでくれても良いし暇つぶしに全部読んでいただいても良いです。

そこそこに回復した幸せを噛み締めながらこれを記します。
ーー水城新人



【これだけは読んで欲しい】

この後それなりの長さの文章をクドクドと書いていくのですが、一番最初に言いたいことをもう全部先にまとめて書こうと思います。
せっかく時間を使ってこのnoteを開いていただいた方、せめてここだけは読んでくれると嬉しいです。

まず『突発性難聴』は音楽家が発症しているのが目立ちはするものの音楽関係ない人でもなります。

原因は不明らしいのですが自分は発症した時の1日の平均睡眠時間が4時間くらい。
ストレスもすごく、身体も疲れ切っていました。

耳に関してはその1ヶ月くらい前は酷使していたのですが、発症した時はむしろそこまで耳は使っていなかったので、耳の酷使よりは睡眠時間や身体の疲れ、ストレス。
自律神経の乱れが引き金だったんじゃないかなと思っています。

今回、耳の不調が出た時に近所の耳鼻科に行ったところ、その診断は「様子見」。

自分は「餅は餅屋」と全てのことについて思っているので医者の言葉を聞いて数日様子を見ていたのですが、その数日間でどんどん状態が悪くなり、ついにはまったく左耳が聞こえなくなりました。

家族から「絶対におかしい別の病院に行くべき」と言われて別の病院に行ってみると『突発性難聴』なので一刻も早く入院して治療を開始した方がいいと別の診断を出されて、そこから即入院に向けて動き、8日間の入院を経てほぼほぼ回復。
という流れでしたが1件目の医者の言う通りとりあえず1週間様子見とかしていたら、もしかしたらここまで回復しなかったかもしれません。

『突発性難聴』はともかく早期に治療を開始するのが重要と言われたので
「これ絶対おかしいよね? だって耳が変だもん」
ってちょっとでも思ったら耳鼻科行ってください。

細かい症状やなんかはこの後書いていきますが「耳が聞こえない」とか「音が変」みたいなのは十分に異常です。
ともかく早期に治療を開始してください。

まとめると、

  1. 突発性難聴は誰でもなる可能性あり。

  2. ストレスやばい、睡眠不足、とかで自律神経が乱れてる人は気をつけて。

  3. 変だと思ったらまず耳鼻科行って。

  4. セカンドオピニオンマジ大事。

  5. 発症した時マジで全く音聞こえなくなって焦るし、正直治らないんじゃないかって思うだろうけど、早期に治療を開始したら全然治る可能性あるから諦めないでとりあえず耳鼻科行って。

この5つが何よりも言いたいことです。

そもそも自分がこの記事を書こうと思った理由が、自分の周りでもこんなレベルの酷い生活スタイルしている人が散見されるので警鐘を鳴らす意味でもあります。
ほんと、みんな気をつけて(ᐡ • ̫ •`ᐡ)

ここから先はクドクドと細かく書いていくだけですので、お時間ある方だけどうぞ。


【突発性難聴】

突発性難聴とは「何の前触れもなく突然片方の耳が聞こえなくなる」病気。

パッと調べるとこうやって出てきます。
これだけ見ると、
「あぁなんか耳聞こえ辛くなることとかたまにあるよね?」
なんて思う人もいるかもしれません。

実際、そういうシーンって結構あると思います。
例えばお風呂上がりとか泳いだ後とかにお湯とか水が耳に入って、とか。

例えばライブハウスやコンサートホールで爆音を聞いた後、会場を出たらなんだか耳が詰まってるように聞こえて、とか。

自分も若い頃はいわゆるバンドマンで、ライブハウスで爆音に晒されて生きていたので、まぁまぁそういう経験もあります。

でも、突発性難聴はマジで全くそういうものではなかったです。

すごく分かりやすく自分が耳終わってんだなと感じたのは、耳の穴に指を突っ込むとワシャワシャと音がしますよね?

突発性難聴になって耳ヤベってなった時は耳に指を入れても全く何の音もしなかったし、自分の場合はそもそも指を入れている感覚すらなかったです。

ともかく全く左耳が音を拾っていなかったので、目の前を電車が通過していても右耳を塞ぐだけで音がほとんどしなかったり、左側で音が鳴っていても右耳でしか音を拾わないので方向感覚もバグっていました。

突発性難聴の原因は不明と言われていますが、仕組みとしては音を脳に伝える役割をしている有毛細胞というのがなんらかの原因で傷つき壊れてしまうことで起こる。
とあり、ストレスや過労、睡眠不足などがあると起こりやすく、また糖尿病が影響しているともいわれているそうです。

自分はちょっと人よりも生活スタイルが悪く、大体朝に寝て昼起きる生活。
ストレス耐性は低く、睡眠時間も短いし、休むくらいなら遊ぶを優先する人間です。

もう年も年なのでそこは直していかないとまずいよね?
なんて思いながら、でもまぁ、まぁまぁしょうがないよね?
みたいに生活スタイルの改善の努力もせずに日々を生きてました。

原因と思われるストレス、過労、睡眠不足、その全てに心当たりがあります。

突発性難聴が発症したときの平均睡眠時間は1日4時間くらい。
その1週間くらい前からずっと眠りも浅く、ただでさえ短い睡眠時間すらもちゃんと休めていないなと自覚できるレベルでした。

自分は20代半ばくらいから、何故だかほとんど寝ないでも活動していられるようになりました。
眠気に異常に強いというか。

コミケとかで前日明け方3時とか4時に寝て、朝6時とかに起きて1日働いて帰ってきた後普通にまた朝までゲームしちゃう、みたいな。
理由はわからないのですがそういう体質でした。

それを良いことに、睡眠時間を削って作業時間や遊ぶ時間をマシマシにして生きてきました。

1日24時間しかないのに睡眠に時間をあてるなんてもったいないと本気でそう思っていたのです。

なので一度目が覚めたら何時だろうとそのまま起きてしまい、用事がなければ漫画を読んだり仕事に類する何かをしたり。
普通に1日の活動を開始していました。

それがこの40歳を超えた身体にどんな致命的な影響を与えるかも考えずに最近までずっとそれで生活をしていたのです。
愚かなことに。

二度寝をすれば良かったんだと思うのです。
でも自分はそれをしませんでした。

そしてある日の朝、運送屋さんが鳴らしたインターホンの音が右耳でしか聞こえなかったことに気がついて愕然としたのです。

こうして自分は、突発性難聴になりました。

【発症以前に起こったこと】

突発性難聴になる1ヶ月くらい前のこと。

M3春の入稿データを作っているときに途中から左耳の閉塞感を感じていたのですが、その日が入稿日の締め切りギリギリだったので物凄くがんばっていました。

なんとか入稿をすませて軽く喜びの飲酒などしてお風呂に入ったところ、物凄い回転性のめまいに襲われ慌ててお風呂から上がり髪を乾かし横になるも全くめまいがおさまりません。

これは、、、と思い救急安心センターに電話したところ、めまいは恐ろしいのでと救急車。

やばいかなと思ったのですが、病院に搬送されめまいの薬を点滴投与してもらっていると段々とめまいも治まってきて、耳の方もいつの間にか閉塞感も回復していたので、そのときは点滴終了後普通に帰宅となりました。

病院にて近所の耳鼻科へ紹介状のようなものを書いてもらったので帰宅途中に寄ってみると、医者はまぁとりあえずは様子見と薬を出してくれたのでそれをもらって帰宅後、安静に過ごすことにしました。

さすがにこういうことがあって怖かったので、半年くらいずっとヘッドホンで作業していたのを完全にやめてスピーカー中心の制作スタイルに戻し、それ以外は普通に昼夜完全逆転した健康にはおよそ良いとは言えない生活をしていました。

これが発症約1ヶ月前の出来事でした。

突発性難聴はまだ分からないことも多い病気なので因果関係は分からないけど無関係とは言えないと主治医に言われましたが、この時は聴力がすぐに戻ったこととめまいもすぐに落ち着いたことから突発性難聴ではなかったと診断されました。


【ライフスタイル、パーソナリティ】

生まれてから20代前半くらいまでは比較的周りと比べても健康的に生活をしていたように思います。

ありがたいことに実家はそういうのをとても気にする家だったので、子供の頃から夜更かしをするなと怒られ、それに対して反発もせずよく寝ていました。

20歳付近の一番遊んでそうな年代の時も、たまに遅くなることくらいはあっても基本的に寝る時間は大体22〜24時。
起きる時間は8〜9時。

そんな健康的に生きてきた自分の睡眠サイクルが乱れ始めたのは、俗にいう業界に属すようになってからでした。

自分は大学卒業後就職もせずに

「俺はバンドでメジャーデビューするんだ!!(ドンッッッ!!」

みたいなタイプで、周りの友人達がみんな就活をしているところ、全く気にせずにずっと音楽を続けていました。

ですが20代半ばくらいで「あ、これあかんわ」と気がついて、そこからバンドを辞めて就職するかどうするかみたいな流れの中、たまたまいわゆる業界の人になっていくのですが……。
その辺はあまり本筋とは関係がないので割愛します。

何が問題だったかというと、ここで自分は「クリエイター」という職種の人間にジョブチェンジしました。

これが自分の人生にとって良かったのか悪かったのかは今でもわかりません。

ただ自分が『作業が終わっていないと安心して寝られないタイプ』の人間だということを、こういう仕事をはじめてみるまで知りませんでした。

何となく宿題とかも早めにやらないと気が済まない人間だったのでそういうベースがあったんだと思いますが……。
ともかく気になってしまうわけです、終わっていないと。

なので、この20代半ばくらいから睡眠サイクルが猛烈に狂い始めました。

何故なら「クリエイター」という職種は物を作り続ける仕事です。
仕事がある限り、気になってしまうから眠れないんです。

20代半ばから徐々に睡眠サイクルが乱れ始めて、一旦30歳過ぎくらいでそのピークを迎えました。
その頃は明け方3〜4時に寝て朝7〜8時に起きる生活。

でもさすがにこのままだと早くいっちゃうと思い、仕事が落ち着いたタイミングで睡眠時間を多少改善させることにしました。

3〜4時に寝るのは変わらないけど、起きる時間の方を遅くして12時くらいに起きる、みたいな生活をそこから5、6年続けました。

この生活を続けていればもしかしたらまだ大丈夫だったのかもしれません。

ただそこから数年経ち、色々と環境や生活が変わりここ数年は朝の7〜8時に寝て14時くらいに起きる生活が当たり前になっていました。

もうこの頃にはすでに立派なアラフォーでして、自分の体力がかなりなくなってきていることも自覚はしていました。
それでもそうも言ってられないタイミングもあったりして。

何かイレギュラーがあると酷いときは11時くらいに寝て15時くらいに起きるみたいなことも普通にありました。

それでもまだ大体は6〜7時間は寝ていたのですが、ここ半年くらいは忙しさもありストレスも酷く寝つきも悪く本当に良くない睡眠サイクルになっており、朝の7〜8時に寝て11時くらいに目が覚めてしまっていました。

そんな中での発症でした。

【症状の移り変わり】

ここでは症状の移り変わりについて。

・発症初日
目覚めた瞬間から続く左耳の閉塞感。
全ての音が物凄い分厚いドアの向こうから聞こえているような、
物凄くこもって聞こえる感じ。

この時はまだ多少は音が聞こえていました。
当初は時間が経つに連れて治っているような気がしていたのと近所の耳鼻科が休診だったので家で安静にしてました。

これがおそらく大きな勘違いで、左耳がどんどん聞こえなくなってきていたので右耳が物凄く過敏に音を拾うようになっていただけだったんじゃないかと思います。
事実聴力検査で右の聴力が上がってました。

・2日目
起きたら治ってるかもしれない。
なんて期待を胸に起床しましたがやはり前日と変わらず物凄くこもった状態。

耳鼻科に行ってみたところ、聞こえがかなり悪くなっていますがとりあえずはめまいも無いようなので様子見でと言われて、薬を出してもらい帰宅しました。

これが本当に、これ以降全ての医者に言われましたがシンプルな誤診だったようでした。

あからさまな突然の聴力低下だったので一刻も早く治療を始めた方が良いのが定石だったそうで、まぁ騒ぎ立てるつもりもないですが、あの耳鼻科には二度と行かないです。

・3日目
どうしても行きたい用事があったのと医者がまぁ様子見って言ってんだから大丈夫なんだろうと外出したのですが、時間がたつごとにどんどん音が聞こえなくなっていきました。

それまではどちらかというと「こもっている」とか「聞こえ辛い」「レンジが狭い」みたいなのが目立っていたのですが、ある時点から急に耳の中というか、骨というかが何だか痛くなってきて、何よりも笑えないレベルのボリュームの物凄い耳鳴りがはじまりました。

耳元で蝉の鳴き声を発する電子楽器鳴ってんのかなと思うような。
「ザァァァァ」、「ピィィィィ」、「ジィィィィィ」、「ヒュイィィィィ」
みたいな、もうあらゆる周波数帯の音が耳の中で鳴り響いていてその日は眠るのがとても大変でした。

・4日目
目が覚めると左耳が全く何の音も拾わなくなりました。

寝る寸前まで信じられないくらいうるさかった耳鳴りが止んでいて「まさか治った?」と一瞬思いましたが、正確には『耳鳴りの音すらも聞こえなくなっていた』が正解。

かなり序盤で書きましたが、耳の穴に指を突っ込んでみても何の音も感触もしなかったのがこの時でした。

あと、この日がおそらく一番耳の状態が悪かったと思います。

この日に休日診療をやっている別の耳鼻科さんを受診し即入院を勧められて服用の限界ギリギリ量のステロイドを出していただきました。

ここからステロイドの投与がはじまり治療が開始。
以降ちょっとずつ回復しはじめることになります。

この日に行った耳鼻科で
「95歳のおじいちゃんよりも聞こえてない状態」
と言われました。

聴力検査はおそらくほとんどの人が受けたことあると思うのですが、基本的に右と左がほとんど同じくらいの結果になるらしいです。

ですがこの時の自分は、右耳については全部の音域普通に聞こえている状態ですが左耳はもうどの周波数帯も全滅。

聴力検査の音が爆音すぎて左耳じゃなくて右耳で聞こえちゃったり、もう音がでかすぎて骨が振動しちゃってて音鳴ってるのに気がついちゃう、みたいな状態でした。


【治療について】

突発性難聴は治療開始が早ければ早いほど良い。

一件目の耳鼻科さんでは様子見と言われてしまったのですが、それはあんまり良くなくて、やっぱり早めに入院して治療開始するのが良いらしかったです。

診断を出してくれたお医者さんが言うには
「8日間入院してステロイド点滴」
or
「自宅でステロイド服薬」
突発性難聴の治療は主にこの2パターンで、どっちを選んでも治らない可能性もあるしどちらでも治る可能性もあると言われました。

自分の場合はたまたま色々と自由のきく職業だったことと、幸か不幸か色々な物が終わってちょうど落ち着いたタイミングでの発症だったので、少しでも回復の可能性が高そうな入院を選びました。

また入院治療に関しても選択肢が2つありました。

一つは近所の大きめの病院に入院してステロイド点滴だけのパターン。
もう一つはちょっと離れた病院でステロイド点滴+高気圧酸素治療のパターン。

診断を出してくださったお医者さんの紹介状を持って最初入院する予定の病院に行ったところ、2つ目の選択肢を提示してもらいました。

「高気圧酸素治療をしたからといって治るわけではない」
とは言われたのですが自分は曲がりなりにも音楽を生業にしており、ともかくほんの少しでも回復の可能性をあげたかったので、藁にもすがる思いで高気圧酸素治療の方を選びました。

結果、高気圧酸素治療の効果があったのかは正直分かりません。
お医者さんが言うには医学的エビデンスがあるのはステロイドの点滴投与だけらしいのでもしかしたら酸素治療はいらなかったかも……。
と言う気持ちもどこかにはあります。

自分はそれを選びましたが、高気圧酸素治療を勧めているわけでもありません。
当然その分多くお金もかかりました。

細かくは書きませんが、8日間の入院治療、またその手前の検査や各医療機関の受診などなどで正直いうと結構な金額が出ていきました。

お金持ってる人からすると大した金額じゃないでしょうが……。
今の自分にとっては正直かなりキツかったです。

それでも何が何でも回復させたかったですし、結果として現状日常生活は問題ないくらいまでの回復をし、なんとか音楽を作ることも再開できている現状を考えるとやって良かったかなとは思っています。

【入院生活】

入院生活については特質することはあまりありません。

自分は今回人生で初めて入院したのですが、おそらく『入院生活』というものとしては突発性難聴で入院しようと、他の病気で入院しようとそれほど違いがあるようには思えません。

起床して朝ごはん食べて点滴開始。
昼ぐらいに酸素治療をして遅めの昼ごはん。
夜ご飯食べてすげぇ早い時間に睡眠。
みたいな流れ。

それまで人外の生活時間帯で生きていたので、この入院生活8日間は自分史上、最もゆったりとした時間でした。

入院生活の面白話みたいな物もちょいちょいありはするのですが、それは突発性難聴とは関係がないかなと思うので今回は割愛しようと思います。

自分がした治療は、
・ステロイドの点滴
・高気圧酸素治療

この2つだったのですが、ステロイド点滴はもう普通に寝転がってじっとしているだけでした。

入院中の点滴の針というのは何度も刺し直すのもあれなので基本的には刺しっぱなしである、ということは今回初めて知りました。

自分は肌がとても弱いので今でもまだずっと傷跡が残っていてパッと見かなり大きめの青あざが残っています。
まぁこれもそのうち消えるのでしょうが。

【高気圧酸素治療】

この治療を行うために入院を1日遅らせたうえに家からちょっと遠い方の病院を選択しました。

・高気圧酸素治療とは
高気圧酸素治療装置の中に入り加圧された状態で純酸素吸入することにより、血液中の酸素濃度を通常の10~20倍にし、患部に血液を介して多くの酸素を送り、障害組織の再生、炎症の早期沈静化を促す治療法。
ということです。

簡単に言うとタンニングマシーンみたいなカプセル内に横になって、その中の気圧が上がって、すげぇ酸素吸入するマシーンです。

これが結構きつくて。

何がきついかというと、自分は飛行機が得意ではないのでほとんど乗らないのですが、飛行機で上昇していくと気圧が上がっていって耳が変になると思いますが、あれのすごい版です。

ともかく耳が詰まるのですげぇがんばって耳抜きします。

4段階くらいかけて2気圧まで上げてもらうんですが、気圧が上がっていくたびに「耳がァァっ!!」てなるので、必死でツバ飲み込んだり耳抜きがんばったりする必要があって、アメを舐めてツバを出して対応してましたが結構しんどかったです。

気圧が2気圧まで上がったあとはただもうじっとしているだけです。

あともう一つキツかったのがトイレの我慢。

仕組み上途中で中断ができないので、シンプルに全工程100分の治療なんですが、自分はトイレが近いのでともかく催さないように必死でした。

治療中は音楽をかけてくれるとのことだったのですが、自分はこれを機会にちょっと色々と物を考えようと思ったのでお断りしました。

最初は作曲でもしてようかなと思ったのですが、何となく今までの自分の人生で聞いた曲を片っ端から思い出していました。

習い事のバイオリンで弾いた曲。
好きなゲームの曲。
テレビのバラエティ番組の曲。
好きなバンドの曲。
自分のバンドの曲、関わったことがあるバンドの曲。
自分が作った曲。

またこの音楽が聴こえるようにと、あらゆる曲をショートサイズで思い出しては次。
そういえばこんな曲があったと思い出してはまた次。
みたいに脳内リサイタルしていたところ結局全部でトータル600分くらい酸素治療していたのですが、とてもじゃないけれど時間が足りませんでした。

【メンタル】

どういうメンタルの状態だったかについて。

最初の方で述べた通り、自分は音楽を生業にしています。
なので耳が聞こえなくなったら完全に廃業の可能性が高く、また現状で有名な人気の音楽家さんとかだったら耳悪くなってもやってられるのでしょうが、残念ながらそう言うわけでもありません。

なので結構メンタルはやられていました。

自分は「やべぇくらいメンつよ」な部分と「笑っちゃうくらいメンよわ」な部分が混在している人間です。

ざっくり言うと仕事とかに関してはメンつよ、プライベートについてはメンよわというところ。
なので今回すげぇメンよわな部分と戦い続けていました。

考えてもどうしようもない不安とかをともかく深く考えてしまうのは10代半ばから続く悪癖なのですが、
もうともかく今回もそれが酷かったです。

難聴が発症した当初は何せその1ヶ月前にも似たようなことがあったので耳がどう、と言うよりは脳とかそれ系の病気かな、怖っ、みたいに思ってました。

ただ数年前から身体の調子が全般あんまり良くなかったので検査の類は結構していて、結果は特に問題もなかったので最初のうちはむしろまぁそのうち戻るだろう、くらいに軽く考えていたのですが。

最初に行った耳鼻科で様子見と判断され、その後数日でどんどん悪化し、全く聞こえなくなった頃には自分でももうネットで色々情報を調べたりしていたので「突発性難聴 治らない」みたいなワードで検索してしまうくらいにはメンタルやられてました。

治療を開始するのが早ければ早いほど良い、というのを早く治療開始しないとダメ、みたいに曲解したりと入院手前くらいは精神的にはだいぶグズグズでしたね。

【入院手前の感じ】

突発性難聴と診断された日が一番耳の状態が悪かったのですが、その日のうちにステロイドを1日の限界量を処方してもらい飲み始めました。

午前中に医者に行ったのですが、薬を貰って帰宅してすぐに飲みました。
さすがに仕事もできる感じではなかったですし、メンタル的にもうワワワぁってなっていたので、その日はもうずっと電子書籍を読んでいました。

次の日に紹介状を持って大きな病院へ行き、タイミング合えばそこから入院という予定でしたのでその日はもう早めに就寝。

翌朝目が覚めてもやはり何の音もしません。
電車に乗るのが少し怖くてタクシーで病院まで行ったのですが、大きな病院なので受付から診察まで恐ろしい時間待つことに。

自分は親の付き添いなどで大きな病院へ行くことも多いので、その辺は慣れてはいましたが自分の聴力が不自由な状態だとまた少し勝手が違い、電光掲示板をマジでしっかり見てないと呼ばれても気がつかないのでその辺は少し苦労しました。

で、前述の通りその日は結局入院はせず、別の病院への紹介状を書いてもらってそちらの病院にかかることになったのでその日帰宅してからは仕事先の人や遊ぶ約束をしていた友人への連絡関係を一気にしました。

特に今月は色んな人と交流を深めようみたいに思って多方面と約束をしてしまっていたので、その人達に事情を説明したりとかして、それはそれでまた陰鬱としたメンタルになってしまったのですが。

そして次の日の朝。
結果入院することになる病院を受診して入院はその次の日から、となったのですが、ステロイドの服薬を始めて3日、少しだけ効果をでてきました。

音楽を流す気分でもないし、普段からテレビを見る人でもないので家の中は基本無音だったので気がつかなかったのですが、電車で病院に向かおうと家を出て駅までの道中で何かこうかなりの高音を拾っていることに気がつきました。
鳥の鳴き声とか、自動改札機の電子音とかそういう音。

それまではもう本当に全く何の音も拾っていなかったのでそこで少しだけ治るかもって希望を持てました。

もしかしたらもう左耳完全に終わったかなぁなんて思っていたもので、ほんの少しでも回復の兆しが見えたのがとても嬉しくて、病院に向かうまでの間に色々な音を聞こうとしてみるとやはり超高音域は少し拾っているようでした。

なのでその日は帰宅してから音を流すようにしてみました。

ただその時点ではほんの僅か聴こえる気がする、と言った程度で逆に耳がすごく疲れてしまったので諦めて入院の準備をして早々に寝ました。

【入院してからの回復の過程】

入院してから3回の聴力検査がありました。
入院3日目、6日目、退院日の計3回です。

入院手前のステロイド服用から少しずつ回復の兆しが見えてはいたのですが、自分の気のせいかもしれないという不安がどこかにありました。
都合よく聞こえた気になっているだけ、みたいな。

ただ、1回目の聴力検査の前日、入院2日目の夜くらいに耳の状態が大きく変化します。

ふと気がつくとそれまで全く無音だった左耳で耳鳴りが鳴り始めたのです。

良くなっているのか悪くなっているのかはその時点では判断がつかなかったのですが、3日目起床後、割とすぐに聴力検査をしたところ、左耳がわずかながら音を拾っていると結果がでました。

と言ってもさすがにその時点ではまだ低音と超高音の辺りをほんの少し拾っているだけで、一番聞きたい真ん中あたりの帯域は相変わらずおじいちゃん並みではあったのですが、それでも治療を開始する前と比べると明らかに良くなっていました。

主治医の先生からは聴こえるようになってきたので耳鳴りも気になるようになってきたんだと思うと言われ、
「あぁ、良くなってきているんだ」
というのが実感だけではなくちゃんと検査上でも見えたのがとても嬉しかったです。

その後もステロイド点滴と酸素治療によって毎日毎日聞こえ方が変わってきました。

音楽も流さず人との会話も看護士さんや主治医の先生と1日にほんの少しだけ。
それ以外の音は日常の生活環境音くらいだったのですが、自分が聞こえの一つのバロメーターみたいにしていたのが、夜中の入院病棟で常に「ピー、ピー」と一定リズムで鳴り続ける心電図などの医療機器の音でした。

夜22時には消灯になって朝6時とかには起こされるので、割りと規則正しい時間に就寝はしていました。
が、自分は寝付きが酷く悪く何度もトイレにいったりするのですが、廊下を歩いているとき「ピー、ピー」という医療機器の音が絶えず鳴っているのですが、これが日を追うごとに聞こえ方が変わってきました。

はじめはほとんど右耳でしか鳴っておらず右耳を塞ぐとほとんど聞こえなくなっていたのが、入院数日で高音と低音を拾うようになり、段々と真ん中の帯域の音も聞こえるようになってきたのです。

聴力回復のイメージとしては端っこの方から真ん中にかけて回復していったイメージで1回目の聴力検査ではほとんどVの形になっていたグラフが、2回目の聴力検査ではVの形がかなりなだらかになり、退院の日におこなった3回目の聴力検査ではほぼ右耳と同じくらいの形へと回復しました。

2回目の聴力検査のときに主治医からもこれはかなり回復してますね、と言っていただき、自分でもどんどん音が聞こえるようになってきていたのもあって、2回目の聴力検査後はかなり希望をもって治療に専念していました。

と言っても点滴と酸素治療を受けて、ただただゆったりしていただけではあるのですが。

ともかく安静にすることが回復への道と言われたので、極力マイナスなことは考えずに寝付きが悪くてもとりあえずがんばって寝る、しっかり休む。

入院後半はもう本当にそれだけを考えながら過ごしていました。

【退院していまの状況】

そうして8日間の入院生活を経て無事に退院しました。

聴力もある程度戻り日常生活はほぼ問題なく、音楽だって多少の不自由はあってもちゃんと作れます。

でも最後に戻っていないこともお伝えします。

まず、左耳で常にかなりの大きさで耳鳴りが鳴っています。

また一定の帯域がやはり右と比べて聞こえ辛いので右耳と左耳で音の聞こえ方が違うタイミングがあります。

そんな状況なので音を聴いていると結構すぐに疲れます。

あとは耳の病気なのでめまいがセットです。
突然フラフラしたりします。

主治医が言うにはこれらの症状はそのうち治っていく可能性もあるし、全く改善しない可能性もあるとのことです。

そもそも突発性難聴は完治が難しい病気らしく、ここまで回復したのも良かった方で、入院しても何をしても全く改善がみられなかった例もあるとのことでした。

自分のいまの気持ちとしては、

なってしまったのだから多少の不自由は仕方がない。
これがこのまま数年改善されなかったらきっとまたメンタル病んじゃうこともあるんだろうなとは思う。
でもとりあえずは、またこうして大好きな音楽が聞こえるようになったことだけを喜ぼう。

そういう風に思っています。

【最後に】

以上が、自分が突発性難聴になり8日間入院した話です。

「なんで自分がこんな目に……」
みたいに思うこともありますが全て自分の狂った生活スタイルが原因だとも思うので、なってしまったものはしょうがないかなと思ってそこは諦めています。

入院中毎日主治医と診察で話をさせてもらっていたのですが、常に言われ続けていたのが「もっとリラックスして」みたいなことでした。

原因は不明ではあるものの、自律神経との関連がやはり考えられるようで自分のような物事を深く重く考えすぎてしまう人間がなってしまうことが多いみたいです。

さすがに40年以上この性格で過ごしてきているので、急にそれを辞めろと言われても難しいのですが。。。

でもここまで回復できたというありがたい事実だけを捉えて、サポートしてくれた家族に感謝しつつ、完治したら良いなぁって思いながらしばらくは生活スタイルに気をつけながら、ゆっくり目に生きていこうかなと思っています。

最初の方にも書きましたが、自分は元々「餅は餅屋」を信条に生きていたので医者の言葉を疑わずにいたのですが、家族が他の医者に行った方が良いと言ってくれたので今回の早期の治療開始に繋がったかなと思っています。

普段はあんまり家族の言うことを聞かないのですが、今回ばかりは聞いて正解でした。


最後になりますが、今回唐突な出費がエグかったのでご支援いただけますと、とてもとても助かります(直球)

自分のユニットのCD買ってくれるとかでも全然構いませんし、活動のフォローしてくださるとかでも全然ありがたいです。

・五月雨の解体新書公式Booth:
https://samidare-aomr.booth.pm/
・五月雨の解体新書X:
https://x.com/samidare_aomr
・五月雨の解体新書公式YT:
https://www.youtube.com/@samidare_aomr
・水城新人X:
https://x.com/c_c_oh
・新澄トキX:
https://x.com/niizumitoki

何卒よろしくお願いいたします🙇


もし何か突発性難聴について聞きたい、みたいな方はXなどでご連絡いただければ可能な範囲でお答えしますので気兼ねなく言ってくださいね👍


それでは最後までご高覧、誠にありがとうございました。

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