「やりたいこと迷子」だった私|半年間の休学を振り返る①
先月、半年間の休学期間を終え、復学しました。
とってもあっという間だったけれど、ものすごく実りの多い半年間でした。
忘れないうちに、休学を振り返ろうと思います。
今回は、そもそもなぜ休学したんだっけ、というお話です。
就活をしていくうちに、自分のやりたいことがよくわからなくなってしまったから。
がその答えになります。
大学3年生のとき、ほとんどの時間を就活に注いでいました。
でも、どれだけ就活に時間をかけても、自分のやりたいことはずっとわからないままでした。
やりたいことが全くもって無いというわけではなかったんです。
これやりたいかも、みたいなものはありました。
でも、面接で「なんでそれがやりたいの?」って聞かれても、それをやりたいと思うようになった動機、いわゆる"原体験"が私にはなくて、「本当にやりたいことではないのかも」って、自分のやりたいことに自信を持つことができませんでした。
これやりたいかもというものを見つける
→なんでそれがやりたいのかを考える
→特に強い動機はないことに気づく
→ということは、これはやりたいことではない。じゃあ本当にやりたいことは何…?
→新しいやりたいことを探し始める…
就活をしている間、ひたすらこれの繰り返しです。
気づけば私は「やりたいこと迷子」になっていました。
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たとえ、やりたいことがわからなかったとしても、会社に入ってから考えるとか、とりあえずやりたいかもしれないことを仮置きしてみるとか、他の要素で仕事を選んでみるとか、色々やりようはあったと思います。
でも私は、それまでの人生ずっと、自分の「やりたい」という気持ちに忠実に生きてきた人間でした。
私の物事に取り組む際の原動力は、常に自分自身の「やりたい」という思いでした。逆に言えば、自分が「やりたい」と強く思えないことは、それがいくら誰かのためになるのだとしても、後々の人生に役に立つのだとしても、頑張ることができませんでした。
とんだがんこちゃんですね。この面倒くさい性分に、私自身も手を煩わせております(現在進行形)。
そんな「やりたい」という気持ちが行動を決定づけてきた私にとって、「やりたいことがわからない」というのは軽く緊急事態でした。自分を物事へ向かわせるエネルギーを失ってしまったようなものだからです。
そうやって、「やりたいこと迷子」の状態に陥り、物事に取り組む熱量がなくなってしまったのが今年の3月のこと。
当時の私には、2つの選択肢がありました。
当時の私は就活にすっかり気力を奪い取られていて、何をしても元気が出ない、朝起きても楽しみがない、就活のことを考えると涙が出てくるなど、半ば廃人のような感じになっていました。
それゆえ、前者を選ぼうにも、このまま就活を続けたら、いよいよ自分が壊れてしまうのではないかという恐怖しかありませんでした。
それに「苦しい」「早く就活から逃れたい」と思いながら就活をしていても、きっと良い就職はできないだろうなという気もしていました。
そんなわけで、私は一旦就活を中断して、休学をし、自分のやりたいことの方向性を改めて探すことにしました。
今年の4月のことです。
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休学をしたからと言って、そんな都合よく「これだ!」というやりたいことが見つかるとも思っていませんでした。それでも、休学して、環境を変えてみたり、新しいことをやってみれば、何かしら「やりたいこと」の欠片のようなものは見つかるだろうと思いました。
はっきりこれだというものが見つからなくても、「こんな感じのこと」がやれればいいなという、なんとなくの方向性みたいなものが見えればそれでいいと、そんな思いで休学を決めました。
私が休学という決断に踏み切ることができたのは、間違いなく母親のおかげです。
休学を決めきれずにうだうだしていた4月の頭、2人でサイゼリアにご飯を食べた時に、母親がかけてくれた言葉のおかげで、私は自分自身の決断を、これでいいのだと信じることができました。
本当に感謝しかありません。
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やっと新しい一歩を踏み出すことができた私。
就活の呪縛から解放され、心機一転、これからの時間をどう使っていくか、そのワクワク感で心がいっぱい…かと思いきや、休学という新たな決断をしてもなお、私の心には不安が居座り続けていました。
下記は、当時書いたnoteの引用です。
こうやって見返してみると、本当に弱気ですよね〜。
この時は、自分の選択は果たして正しかったのか、そんなことばかり考えていた記憶があります。なんにせよ、「自分でこの選択を正解にするんだ!」という強い気概がなかったんですよね。
せっかく休学した(させてもらった)のだから、何かをしなければ。この時間を有効に使わなくては。自由を謳歌できるワクワク感よりも、今この瞬間を意味のある時間にしなければという焦りの方が、はるかに大きくなっていました。
「自由」であることは、当時の自分にとってはむしろ怖いことだったんですよね。なんでもできる、だからこそ、なにをしたかが何よりも重要で、どんな道を通ったのか、そこに自分自身がはっきりあらわれてしまう怖さがありました。
あまりの不安に、友達にも「自由の中を進んでいくことに不安がある」と、相談してしまいました。その時、その友達は「考え続けて、行動し続ければ大丈夫」という言葉をくれました。
この言葉は、今でも覚えていますし、休学中「これでよかったのかな」とか「これから自分どうなっちゃうのかな」とか不安になるたびに思い出して自分に言い聞かせていたし、これからもきっと忘れないと思います。
休学に対して、かっこいいとか、きらきらしたイメージを持っている人ってきっといますよね。かくいう私も、自分が当事者になる前は「自分の人生切り拓いてる感じがしてかっこいい〜」とか思ってました。
でも実際は、自分で決断したくせに、急遽獲得した自由に右往左往し、まだ起こってもいないことを不安に感じたり、考えても仕方がないことを悩んだり。ぱっと見きらきら楽しんでいるように見えて、実は常に迷いや不安と闘っている、そういう人も中にはいますよっていうことはお伝えしたいかもしれません。
まあ結局、「もし結局何もわからずに終わってしまったらどうしよう」とか
「毎日ダラダラ過ごして無駄な期間になってしまったらどうしよう」なんて不安は杞憂に終わるんですけどね〜。
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休学を決断した過程と直後の話だけでこんな文字数いくとは。
次に振り返りたいのは、肝心の、休学中何をしたのかという話ですね。
近いうちに、記憶が色褪せないうちに書いておこうと思います。
では。
恐れ入ります。