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Googleで営業をしていた私が、なぜ退職して世界一の美大 Royal College of Artに行ったのか。

はじめに

はじめまして。さかいたかゆきです(@tokeikun)。このnoteは社会人学生 Advent Calendar 2019 の10日目のnoteです。

ちょっと前に4年と7ヶ月勤めたGoogleを退職し、海外の大学院に入学しました。大学院に行くというと「MBAに行くの?」と聞かれるのですが、自分が入学したのはイギリスのRoyal College of Art(RCA)という美大です。

Googleでのキャリアを振り返りつつ、なぜ退職を決断し、美大に進学するのか、自分の思考整理も兼ねてここに記したいと思います。

また、デザイナーでもエンジニアバックグラウンドでもなく、帰国子女でも留学経験者でもない、私立文系出身者が海外美術系大学院に入る過程として参考になるものがあれば幸いです。

具体的な話に進む前に私の略歴です。

・ 神奈川県横浜市出身。慶應義塾大学 環境情報学部(SFC)卒業
・ 新卒で株式会社ディー・エヌ・エー入社後、ウォンテッド株式会社(現ウォンテッドリー株式会社)、起業を経てグーグル日本法人に中途入社

進学先はどこか?

イギリスのRoyal College of Art(RCA)のInnovation Design and Engineering(IDE)コースに進学しました。掃除機で有名なDysonの創業者やTakramの田川さんが卒業されたことで有名な大学院です。Royal College of "Art"ですし、日本語でも王立芸術院と訳されるのですが、その実70%はデザイン系のコースだったりします。

その中でも、進学したIDEはお隣のImperial College London(ICL)という、日本でいう東工大のような理系の学校とのジョイントプログラムなので、テクノロジー要素の強いコースです。

いままでそういう経験あるの?

美大に行く、と言うとよく聞かれるのが、今までそういった美術教育を受けたことがあるのか?ということ。専門教育として受けたことはありません。

大学は慶應義塾大学の環境情報学部(SFC)の出身ですが、学部生のときは主に「人はなぜそう考え、行動するのか?」という疑問のもと、心理学・社会学・認知科学などを学んでいました。

当時よく語られていたSFCのコンセプトは問題発見・問題解決でした。これは今でいうデザイン思考に通じるものがあると思います。授業でもデザイン言語というカテゴリがあって、ヒューマンインタフェースなどについての授業などをとっていました。

興味を持ったきっかけ

学年を経るにつれ心理・社会学からヒューマンインタフェースなどに、興味が移ってきたところに、具体的にデザインに興味を持つきっかけがありました。

それは「デザイン言語(観察・定着)」という授業です。SFCはカルチャー的にアメリカの西海岸的なところがあり、セルフプロデュースが上手かったり、きれいに見せるのが得意な学生が多いですが、この授業はそういったSFCが得意なアウトプットではなく、どちらかといえばアウトプットに至るまでの一番はじめの観察とその解釈に重きが置かれていました。

もともと人間の頭の中を知りたいという僕にとっては人間の行動の観察や、それに関しての洞察というものは大好物だったので、興味を持って授業をうけました。

畳一枚分くらいの大きさの段ボールを使ってなにかするという課題では、段ボールでキャンパス内の池の周りの芝生を滑ったり、SFC生に芝の匂いを嗅いでもらう仕組みをつくったりと教室を飛び出した制作をしたりして、とても楽しい思い出です。

最終発表では、講評者が面白いと思ったチームにおにぎりを渡すという謎の採点システムでしたが、ゲスト講評者の一人であった筧先生に面白いと言って(おにぎり)もらったのが嬉しくて、「あ、もしかしてこの分野楽しいかも」と思ったのでした。

メディアアートとの出会い

デザインとの出会いと同じくらいの時期にメディアアートとの出会いもありました。もともと写真が好きで、休日に写真展を見に東京都写真美術館に行ったところ、地下でやっていた展示でKageという作品に出会いました。

これに非常に驚いて、自分もこういうのを作って、人を驚かせたいと強く思うようになりました。(ちなみにあとから調べて分かったことですが、この作品はおにぎりをくれた筧先生が所属しているplaplaxというユニットが制作されたのでした)

しかし、問題はその時すでに4年生の春学期で、内定を頂いていたことでした。当時受けていた社会起業論という授業の影響でミッションを達成するためにはビジネスとしてお金が回るのが大事だというマインドが強くありました。働いてビジネスの仕組みを勉強しようと思っていたこともあるし、大学院に行くにしてもどうお金を工面しようというのもあるし、分野に興味を持ったけど研究計画書が出せるほどテーマが煮詰まる気がしなかったということで、悩んだ結果就職することにしたのでした。

大学卒業〜Google入社まで

・大学卒業してからGoogle入社までやっていたことのまとめ

大学からGoogleまでは一貫してビジネスの世界と趣味の時間で「作る」を模索した時期でした

・ディー・エヌ・エー時代

新卒でディー・エヌ・エーに入社してからはEC事業本部に配属されビッダーズ(現在はWowma!を運営するauコマース&ライフ株式会社に譲渡)の出店者の方々へのコンサル営業を行っていました。

この時代、特に最初の1年の営業成績は散々なものでしたが、上司やチームメンバーが見捨てずにいて頂けたおかげで、2年目からは成績も上向き退職する直前の月には部署の月間MVPをいただくことができました。

一方で、営業としてお客さんのニーズを誰よりも聞く立場にいるのに、出来上がっているものを売っていて、売り物との距離が遠いことにもどかしさを感じていました。

そこで2年というキリのいい時期に退職することにしました。ちなみにこのときは次に何をするかは決まっていませんでした。とっても怖かった。

・ウォンテッドリー時代

その後、たまたまウォンテッドリーにウォンテッドされました。

ウォンテッドリーではカスタマーリレーションズマネージャーとして、営業で売上を立てつつつ、実際のお客さんの反応からプロダクトの金額や契約形態をつくっていったり、送られてきたフィードバックを元にプロダクトの方向性を議論したりしていました。

また、お客さんのオンボーディングプロセスを整えるため、アカウント作成後のメールやフォローアップコール、個別相談会などを行っていました。個別相談会はユーザーリサーチやアップセルの機会も兼ねており、使っているうちに何処でつまづきやすいかといった情報を得るのに非常に良い機会でした。

ディー・エヌ・エー時代から比べると、プロダクトを作るというプロセスに携われるようになりました。一方で、1年ほど経ってプロダクトのパッケージがだいたい固まってきたこともあり、拡大期に入ったと感じていたので、次のチャレンジをすることにしました。

・起業からGoogleまで

ウォンテッドリーでプロダクトを作るプロセスに携わっていましたが、今度はプロダクトを生む会社そのものを作ってみようということで、起業することにしました。

大学生のときに経験したあのメディア・アートの衝撃が忘れられず、アートと何かしら接点をもっていたいということで、アート作品をレンタルする会社を起業しました。

日本人の若手現代アーティストから作品を買って、それを飲食店やオフィスなどに貸し出すサービスをしていました。

ただやはり事業の成長スピードが思ったように伸びていかず、経営から退くことにしました。

その後、Googleに入るまでは「作る」ということにこだわって、コペンハーゲンのCIIDのサマースクールに行ってみたり、Ruby on Railsで受託開発をしてみたり、知り合いのハードウェアスタートアップで製品開発のお手伝いをしていました。

世の中をプラプラしながら色々な模索をしていたある時、Googleに勤める大学の先輩から「プラプラしてるならちょっと遊びに来ない?You きちゃいなよ」と言われ、ランチをごちそうになり、そこから面接を経てGoogleに入社することになりました。

大学卒業からここまで模索する中で、まだ自分には作るという部分でやりたいことをしながらお金を稼ぐにはもう少し時間がかかるかも、と思ったこと。そして、営業から起業まで経験した中で、大きいリソースを使って自分のやりたいことに近づくというのが一番賢いと思ったこと。最後に、世界に名が通っている会社で働くことで、将来の入学の際、自分が何をしてきたか説明しやすくなると考えたことからGoogleに進むことにしました。

Googleでは何をしてたの? 

ここからはGoogleでは何をしていたかを書きたいと思います。やや専門的になるため、時間がない方は以下のまとめを読んでいただければ大丈夫です。

・Googleでやっていたことのまとめ

- 広告営業本部で小売業界やeコマース業界に対し、Shopping Adsのスペシャリストとして普及活動を行う。その後は通常の営業として広告営業。
- スタートアップ支援プログラムでブラジル出張
- 米シリコンバレーで3ヶ月の駐在

・Shopping Ads エバンジェリスト

本来は担当企業を持ってGoogleのあらゆる広告ソリューションを用いて、担当先のマーケティング課題の解決をお手伝いするというのが一般的な仕事なのですが、僕はおもしろ採用枠なので、「Product Listing Ads(PLA)」今でいう「Shopping Ads」を日本で普及させるというミッションを与えられた、特別なポジションでした。

ポジションでした、と書きましたが実際の肩書は他の営業と同じです。それから3年ほど経って「ショッピングスペシャリスト」というポジションが公式にできましたが、当時はそういった役割を切り拓いていました。

今でこそ当たり前のように活用されているShopping Adsですが、当時は先行するアメリカやイギリスに比べて、日本は遅れていて、社内もお客さんも「フィード?なにそれ美味しいの?」という状態でした。

Shopping Adsに強みを持った代理店を探して一緒にセミナーをしたり、別の部署と一緒に300人規模のクライアント向けセミナーを開催して登壇したり、スタートアップの顧客開拓みたいな動き方をしてました。

また日本でShopping Adsを使ってもらうためにはどうしたらいいかというのを、日本・カリフォルニア・シンガポール・スイスなどのチームとミーティングしながら、日本でクライアントヒアリングした内容を要望にまとめてプロダクトチームに提示して議論したりしました。

・Account Manager

そういった動きの甲斐あって社内外でのShopping Adsの認知度も上がり、売上もついてきたところで、より全体感を持ちたいなということもあり、Shopping Adsに限らない、普通の営業として働くことにしました。

認知度がないところから認知度を上げて使ってもらうフェーズでは、Shopping Adsの知識で押していけますが、このプロダクトがある程度一つの選択肢として確立してくると、クライアントのマーケティングゴールを達成するために、他の数多あるプロダクトと比較してメリットを提示する必要があります。そういった全体感をもちたいということもあり、EC業界担当として、日本の大手ECクライアントを担当させていただくことになりました。

その過程でアプリ広告にも詳しくなり、社内の資格認定制度ではShopping AdsとApps(UACなど)の最高位の資格を得たりしました。その2つの知識がうまく組み合わせられた結果、クライアントの事業成長に貢献することができ、以下のような事例として発表することもできました。

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・スタートアップ支援
Googleに入る前に、自分でスタートアップを経営したり、スタートアップ企業に勤めた経験から、スタートアップ支援に興味をもっていました。Googleは世界で7つのCAMPUSというスタートアップ支援施設を運営しており、ここではスタートアップ向けにスキルトレーニングなどをしています。

その中でもResidency Programとして、有望なスタートアップに対して半年間スペースを提供するプログラムがあり、そういったスタートアップに対して、Googleの様々な分野のスペシャリストが集まってメンタリングなどを行うCampus Experts Summitに参加しました。

僕が参加したのはブラジルのサンパウロで行われるプログラムで、Product Market Fitを見つけるためのDesign Sprintのプレゼンや、現地のハードウェアスタートアップ、化粧品スタートアップのメンタリングなどをしました。

50社ほどのスタートアップのピッチを聞きましたが、〇〇のUberやAIを使ったFinTechなどビジネステーマは他の地域とあまり変わらなかったのは一つの発見でした。 

・サンフランシスコ駐在

2019年の秋には3ヶ月ほどサンフランシスコ駐在も経験しました。これも特に正式にプログラムなどがある訳ではなく、クライアントからの要望もあり、イレギュラーな形で実現しました。

正式な部署異動などではないため、長期出張の形でサンフランシスコに駐在し、現地の企業をサポートしていました。

なぜGoogleを辞めるの?

多くの人が言う様にGoogleの環境は働くには最高です。ご飯も飲み物も無料ですし、ここまで書いてきたように自分でチャンスを作ればいろいろなことができます。本当にGoogleで携わった方々には感謝しています。

Googleに入るまでも入ってからも、働きながらオンライン講座でDesignと名前がついている授業をとったり(余談ですがこれがきっかけでNEWS ZEROに出たりしました笑)、週末にBaPA 3期生として広告業界のカルチャーに触れながら学び、日テレホールで展示をしたり、FabAcademyというMIT「(ほぼ)なんでも作る方法」からスピンアウトした授業で学んだりと、断続的に自分の作る力を伸ばして行きました。 

これはこれでスキルは伸びていったのですが、「自分が作ったもので人を驚かせて、記憶に残りたい」と思うと、もっともっととにかく作りたかった。

実際にデザインやアートの世界、特にデジタルを用いた世界に入ったら一人で作ることはめったに無い事は用意に想像できます。けれど、もっともっと作ることで、自分のテーマを煮詰めていきたい。そのためにはとにかく作ることが必要だと感じました。

SFCに入学したとき、ガイダンスだったか、授業だったかで、 現在の環境情報学部の学長である脇田玲先生がよく「まず何かつくれ」というのを強調されていました。この言葉の重みがいまようやく分かります。

デザインスプリントでプロトタイプをユーザーにいち早く見せるように、まず自分で手を動かして作ることで、自分という一番最初のユーザーに見せてみるというのが大事なんです。

Googleでは最高の環境で仕事ができます。ですが、この自分の想いと、日々の仕事の乖離にだんだんと焦りを感じるようになりました。「いまキャリアを切り替えないと一生後悔するのではないか?」「Googleが心地よすぎて、このまま、どんどんとキャリアを変えるのが怖くなっていくんじゃないか?」そう思うと、挑戦することが必要でした。

なぜRoyal College of Artなのか?

そういう意味で作るということにフォーカスしたコースに進みたいと考えていました。IDEは昔はIndustrial design and engineeringというコース名で、エンジニアにデザイン教育を施したらどうなるかという所から出発しているので、ものをつくるというところに重きが置かれているように感じていました。

実際に2014年に日本でIDEのプログラムが体験できるワークショップがあり、15万円という大金を払って参加したときもそれを感じました。

また、色々調べてみると、ビジネス出身という自分のバックグラウンドが強みになりそうだというのも分かってきました。IDEは8割ほどがデザイン・エンジニア出身ですが、2割にはそういった経験がない人を採用することで、物事を複数の視点から見られるような構成にしています。

実際にIDEにビジネスバックグラウンドから行かれた方や卒業生の方からも話を聞き、自分なりにいけそうだと考えた上でRCAのIDEを志望するようになりました。

なによりRCAはデザイン分野での世界ランク1位です。自分が営業からデザインの分野に転身したいと思ったときに、これはとてもわかり易い自分の実力のシグナルです。

そういったこともあり、Royal Colledge of Artに進学することにしました。他の学校には応募すらしませんでした。そして、書類・ポートフォリオ審査、面接を経て、今年めでたく合格通知を受け取りました!

さいごに

孝行したい時に親はなし、といいますが、夢も同じと感じています。昔ツイッターで見かけた話で、お父さんが定年後の楽しみにプラモデルを買っていて、時間ができたら作るんだと言っていたけど、いざその時が来たら老眼で手元が見えなくて断念したというのがありました。

夢もいつか、いつか、って目の前の事に追われているうちに、行きたい学校がなくなったり、ビザが厳しくなったり、憧れの人がセクハラでいなくなったり、色んな事が起こり得ます。

だから、鉄は熱いうちに打てじゃないけど、夢は熱いうちに打て!という精神で、新たな世界に飛び込んできます!

最後に定番のやつ(イギリスバージョン)イギリスは物価が高いので応援していただけると非常に助かります!

また、すでに知り合いづてにお話頂いているところもありますが、Google広告についてのコンサルのお仕事なども募集していますので、ぜひツイッター(@tokeikun)でメッセージいただければ幸いです。

宜しくお願いします!

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