【BTS(防弾少年団)】「Intro : 화양연화 (Intro : The most beautiful moment in life)」
収録
『화양연화 pt.1』(花様年華 pt.1)
2015年4月29日にリリースされたミニアルバム。
1曲目として収録。
2015年4月18日、HYBE LABELS公式Youtubeチャンネルに「화양연화 pt.1 '花樣年華' Comeback Trailer」としてMVが投稿されている。
概要
カムバックトレイラーとして公開された、アルバムのカラーを端的に表現するSUGAの作品。
短いながらも、重たさと激しさを増していく息混じりの充実感あるラップが、私たちを防弾少年団のアルバムの世界へと誘ってくれているように感じる。
どことなく学校三部作のような強烈さを残しつつも、叙情的な感性が加わっている、転換期となったアルバムのトップバッターらしい一曲。
ただ自分の才能を盲信し、がむしゃらに世界に反抗するだけではなく、自分の中に蔓延り始めた不安や絶望と向き合う少年を描く作品。
鑑賞
素敵な訳はnoaさんのnoteからお借り致しました。
こちらの記事でも素晴らしい考察がされていますので、是非一読してみてください。
全力で走ってきたのかのような息切れからスタート。
楽曲からは夏の終わり頃の夕方、日が沈む時間帯のあのじっとり重苦しい空気を感じる一方で、MVの窓の外を舞う落ち葉や、夕陽が眩しく差し込む放課後の無人教室、長袖の制服からは、秋から冬へと流れる季節が描かれているよう。
バッシュの床を擦る音や、ボールが床を突く音がサンプリングされており、放課後に運動部が活動する体育館に遊びに行ったりした学生の頃にトリップしたような空間感覚を得る。
この楽曲で描かれる、将来への漠然とした不安や周囲との衝突といった現実世界の自分を苦しめる要素から逃げようとバスケットボールに熱中する少年は、おそらく過去のSUGAのありのままの姿なのだろう。
未熟な身体と心を抱えて、なんだかよくわかっていない「未来」や「将来」と向き合わなければならない青春時代には、"恐怖"がつきものと言える。
自分を不安にさせる何か、自分を脅かしている何か、それがわかっているわけではないのに、いや、わからないゆえに、ただ理由もなく心配で恐ろしい、という、そんな若さゆえの苦しみ。
そんな不安定な状態で現実世界から上手に距離をとろうとしても、このネガティブな感情は一時的に抑圧されているだけであって自分の中で消化しきれているわけではない。
音楽の道で自分がうまくいくだけの才能を持っていると信じたくても、絶対なんて言い切れない。何となく弱気になってしまう。親や周囲が勧める道を歩むことが安全であることもわかっているから、わざわざ危険な道を選択する勇気は持ちきれない。
だから少年は「世界」に責任を押し付けている。
もし成功する見込みが自分に無いなら、誰か、そうはっきりと示してほしい。自分の才能や努力に確信を持ちきれないゆえに、誰かが俺を止めたからやめたんだ、という言い訳を求めているような。
青春時代に抱える不確実な未来への恐怖がすごくリアルに描かれている気がする。
少年はそんな恐怖や不安を抱えながらも、バスケットボールから手を離し、周囲が押し付ける「未来」ではなく自分の志す道を選択する。
しかしさらなる不安が彼を蝕ばむ。今までのような「何となく」抱えていた不安ではなく、自ら選び取った未来を進んでいくつもりなのにうまく行かないことによる不安。
一体、自分の選択は最善だったのだろうか?
周囲は進んでいくのに、自分だけここに止まっているような現実の感覚も相まって少年は焦燥に駆られる。しかし一方で、現実とは離れたところで、それが自分の人生が「夕暮れに沈む(直訳:夕方になる)」ことを拒むためだという確信もある。
流れに身を任せて周りと同じようにとりあえず勉強して、とりあえず受験して、親の望むような道に進んで、果たして自分は何者になるのだろう?
そうならないための小休止、自分だけ立ち止まってしまったような感覚こそが、夕暮れに沈むことへの抵抗だと少年は気づき始める。
たとえ立ち止まってしまったとしても、二度と訪れてはくれない今この瞬間に、幸せだ、と答えられるかどうか。
それを毎瞬間に確かめることで、少年は自分の人生を夕方から救い出そうとしている。
青春時代に抱える不確実な未来への恐怖と共存しながら未来を志向しようとするための小休止は、詞にある通り「今この瞬間」の美しさへの実感。
青春時代に自分の中で行われるこのシーソーゲーム──外界に対して取らなければいけない対策と、内界で、今この瞬間の自分のありようを肯定したいという気持ちの葛藤──の中で、必死に自分なりの答えを見つけようとする姿勢に、若きアーティストの生への貪欲さや音楽への執念を感じるような気もするし、これを自らを徹底的に客観視することで表現してみせた荒削りな才能も感じる。
この歌詞(直訳:息をしろ、そうじゃなきゃ夢を見ろ)が個人的な好きポイント。
息をするということは自分の人生を生きていくこと、夢を見るということは自分の才能で音楽の道で成功することではないかと感じた。
息をするか、夢を見るか、大概の人は選択を迫られ、ある程度の決断をする。
そこに帰結せず、息をすることにも、夢を見ることにも、全力で挑み、どちらも掴み取ったことが、彼がアーティストとして成功した所以でも、そして後々困難にぶつかっていく理由でもある気がする。
余韻
サウンドやMVではなく歌詞に注目して鑑賞してみましたが、最後に少しだけMVの内容に触れてみる。
MVでは一つの蕾が登場する。曲が流れる中徐々に開いていくが、最後に花の下に少年がたどりつくと、目の前でその一輪の花は散ってしまう。周りでは花樹が咲き誇っているのにもかかわらず、少年の目の前の花だけ、花弁が一枚ずつ剥がれていく。
「自分は今幸せだ」と本心から言えているなら、目の前で花びらが落ちていくのは違う気がする。やはり、どこかで自分の幸せについて納得できていないのだろうか。
青春時代に抱える不確実な未来への恐怖と共存しながら未来を志向しようとするための小休止が、「今この瞬間」の美しさと書いてみた。
花様年華、「人生で最も美しい瞬間」はその瞬間に「ああ今がその瞬間だ」、そう頭で理解することはできるかもしれないが、その美しさを身体性を帯びた実感として得られるのは、いくらSUGAが早熟な少年だったといえど、やはりもうちょっと成長してからなのではないかと思わせるMVだったのかもしれない。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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