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五年後の笑顔。


「あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。 互いに愛し合うならば、それによってあなたがたがわたしの弟子であることを、皆が知るようになる。」

✝ ヨハネによる福音書 13:34, 35


彼は帰ってきた。彼が五年前に住んでいた町、すなわち私たちがいるところに帰ってきた。

聖職者としてではなく、彼は詩人として私たちの前に姿を現した。


五年前、教会にとっては青天の霹靂のような報告をもって、彼は教会そして聖職から身を退けてここを離れ、家族のためにドイツに渡った。40代の男性が無職のまま外国に引っ越したのである。

彼は一年が経つ前にはドイツで新しい職に就いた。それには随分と経歴とプライドを削っての就職活動だったろうと思う。しかし、彼は立ち止まることもくすぶることもなかったかのように、その間にも、ロンドンから毎週発行される紙面にポエムが記載されたり、副業で大手新聞社のポエム評論者として活躍するようにもなっていた。オックスフォード出の秀才というのはこうも優秀なものかといつも考えさせられる。

それで、なぜ今回彼が帰ってきたのかというと、先日彼の小さな詩集が発行されて、それを宣伝することになったのだ。

彼はその冊子を朗読する場所を、一つはオンライン、そして現実的には地元でもなくオックスフォードでもなく、五年前に彼がドイツに向けて経った街を選んだ。丁度そこに、定期的に詩の朗読を行っている大学主催の会があったためだと思うが、とにかくそういう形で私たちのところに帰ってきた。


その夜、市の中心街にある古い赤レンガの建物の中で、朗読会は開かれた。天井の高い中くらいのサイズのホールに、濃い赤と濃い青のベルベットの布が張られた椅子が交互に列を成している。部屋の角にはワイングラスと飲み物。一口サイズのデザートとおしゃれな軽食が準備されていて、私はその日、ユニークさと少しだけ賢こく見えそうな服装を選んだことは正解だったと思った。

とは言え、彼はジーンズと濃いグレーのシャツのボタンをギリギリ上まで留めた普通の格好でそこに居た。胸板のはっている体型なのに、あれは聖職者の名残だろうか、と私はそのきつそうな喉元を眺めた。

彼は、再会に駆けつけた友人や聴衆者たちをところどころに回っては話をしていた。私は一つ前の席に座っていた知らない女性とお喋りをしながら、彼の行く先をちらりちらりと追っていた。

そのうち彼は後ろから私の方に近づいてきて、"hey"と声をかけた。私の後ろの人に声をかけたのかもしれなかったし、ほんの少しだけ荒っぽいその声に、すぐにも振り向いてやるわけにはいかなかった。その呼び方は、私が学生の頃にとても仲が良かった男の子が私を呼ぶ時の呼び方に似ていた。

次の瞬間には、彼はもう私の横に立っていた。

私は立ち上がって、彼を見て、そして抱擁した。

「五年だよ…」私の心から漏れた言葉は、それだけだった。

お互いに顔をうずめ、少しだけ長かった私たちの抱擁は、私の隣にいた別の友人に向けて解かれた。

私にとっては、どれだけこの時を待ち望んでいたかわからないほどの再会であった。しかし、実際に会ってみるとこれほどに自然なものなのである。まるでこの時間がまた明日も続いていくかのように、その一瞬が、切なくもなく、悲しくもなく、ただいつもあることのように、その十秒間の抱擁に慰められ満たされただけの再会であった。


私は彼に、「元気?」と聞いて、それから私の隣の友人も含めて、彼が今泊まっている実家の母親のことを話したりした。彼はまた、忙しくほかの聴衆者の間を渡り歩いた。

彼は自分の詩をいくつか読んで聴かせた。

冊子を手にしながらも、彼はそれを見ずに五つか六つの詩を解説を付けながら読みあげた。それは私たちにとっては懐かしい姿だった。彼は毎週の教会のメッセージでも、一度もメモをみたことがなかった。

彼の詩たちは、彼の少年期と現在の間を行き来する、現実的でコミカルで痛切で、しかし上品さを損なわない、どれも彼らしい作品だった。

私は自分がそれを理解しているのかしていないのかも分からないまま、ただそこにある絵画を眺めるようにして、その言葉と声を聴いていた。

教会で見る聖職者の彼の姿は、エネルギーと集中力に満ちていて、彼が教会に入ると空気が変わる、と何人もの口から聞いたことがあるほどにカリスマ的な存在だった。彼は、弾けんばかりの知性と力強さの内に、溢れ出る愛情と笑顔を持っていた。

五年後に再会したその夜の詩人は、普通の人だった。普通に家族の話をして、普通に「(朗読の後で)ぼくの脳はとても疲れてるんだよ」と言った。

その夜の四人の朗読がすべて終わって、会場はみんなの話し声でしばらく賑わった。少し落ち着いた頃に、私は彼に近寄って、写真を撮ろうと言った。

彼は私に、2人で撮りたいのか、それともみんなと一緒にか、と聞いた。私は「みんなで」、と言って、彼とそこに居た友人たちの写真を撮った。その後で、今度は私を含めて撮りたいと彼に頼んだ。

私は自分のスマホを誰かに渡してもう一度みんなで一緒に撮ろうとしたが、突然の引き潮のように彼らが離れていった。私は少し戸惑ったが、すでに私は彼の背中に手を回していて、彼も私の肩を抱き寄せていた。私は背の高い彼の胸に頭をもたれて、彼も私の頭に顔を寄せていた。それは私が知っているいつもの彼のチャーミングさだった。いつかの私たちが時々そうしたようにくっついて、二人の写真を撮った。

それが彼にとってよかったのかどうか分からないし、私にとってよかったのかも分からない。ただ、一人家に帰って自分のスマホに見つけたのは、あまりにも嬉しそうに笑っている自分の顔だった。そして、彼よりも私のほうが幸せそうに笑ってたことが少しだけ悔しかった。





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