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「負の性欲」とは…         [基本無料]

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「負の性欲」ってなんぞ?

この言葉は、辞書を引いても書いてありません。
Wikipedia をググっても記事は見つかりません。
𝕏で、リョーマ @ryoma_senyousoc さんが使い始めた表現です。

※ 現在はアカウント凍結中のため、埋め込みではなく引用します。

リョーマ @ryoma_senyousoc July 25, 2019
より良い子孫を残すため、男を選別し、アウト判定した男に近付かないように、その男に対して抱く強い生理的嫌悪感、それが女の性欲だよ。
僕は「負の性欲」って呼んでる。
 
男にキモいキモい言ってる女を見ると「(負の)発情してんな」とか「性欲全開だな」とか感じる。恥ずかしいことだ。性欲は隠すもんだよ。

出典 : 𝕏

このリョーマさんの説明で、ピンとくる人とこない人がいるらしい。
そんなものは無いと感じる人もいるみたい。
…なので、改めて、この言葉の意味を掘り下げてみようと思う。

性欲」については、まぁ、おさらい不要かとは思うけど(一応するけど)、
正と無と負の概念」については、
けっこう専門用語チックなので、ウィキペから要点だけ抜粋しておきます。

それでも割と長文なので、先に大雑把かつ簡潔にまとめてしまうと、
ゼロというのは、何かを数える時の始まりの基準値だということ。
正の数の物は実在するけど負の数の物は実在しない場合もあるということ。
人類が長い歴史の中で普遍的にゼロやマイナスの概念を理解できたのは、
ここ最近の100年くらいで、とてつもなく長い年月が掛かったという事。

以上で把握した人は、この引用文は読み飛ばしてもOK。

「性欲」と言う言葉の意味

性欲(せいよく、: luxure、: Lust)は、
人間欲求の一つで的な満足を求める本能である。
<中略>
概要
一般に第二次性徴が発現して生殖能力を獲得したとき、「性の目覚め」が起きるとされる。
異性のアイドルに対する関心などは、それ以前から抱くこともある。
性欲の高まる時期や強さは、個人差や性差が大きい。
多くの伝統的な宗教で、性欲は慎むべきもの、忌避すべきもの、警戒すべきもの、とされてきた。
<中略>
精神分析学における性的欲求
<中略>
一般に性的欲求が強まるのは、思春期以降と言われるが、個人差が大きい。性的好奇心は年齢を問わずにおこり発現の仕方も多様である。
<後略>

出典 : フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』「性欲」

「正と無と負」の概念

数学における正の数(せいのすう、: positive number, plus number, above number; 正数)は、0より大きい実数である。
対照的に負の数(ふのすう、: negative number, minus number, below number)は、0より小さい実数である。
<中略>
符号付き数の算術演算
加算と減算
数列は、零・正数・負数の三種類が組み合わさって構成されており、基準点が零、基準点から増えている分が正数、基準点から減っている分が負数となる。
<中略>
負の数の起源
長い間、問題に対する負の解は「誤り」であると考えられていた。

これは、負数を実世界で見付けることができなかったためである(例えば、負数のリンゴを持つことはできない)。
その抽象概念は早ければ紀元前100年紀元前50年には認識されていた。
<中略>
しかし、ヨーロッパの数学者はそのほとんどが、17世紀まで負数の概念に抵抗を見せた。
ヨーロッパ人の著書で負数が使われたのは、15世紀中のシュケによるものが最初であった。
彼は負数を指数として使ったが、「馬鹿げた数」であると呼んだ。
イギリスの数学者フランシス・マセレスは1759年、負数は存在しないという結論に達した。
負数は現代まで十分に理解されていなかった。
つい18世紀まで、スイスの数学者レオンハルト・オイラーは負数が無限大より大きいと信じており(この見解はジョン・ウォリスと共通である)、方程式が返すあらゆる負の解を意味がないものとして無視することが普通だった。
<後略>

出典 : フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』「正の数と負の数」

文字 0 によって表されるものは、
おもに「何もないこと」に対応する基数自然数[注 1])であり、
1 の直前の序数順序数)であって、最小の非負整数である。
また、−1 の次の整数でもある。
<中略>
数としての 0
<中略>
多くの数体系で 0 は負の概念よりも前に同定され、負の概念は 0 よりも小さいものとして理解される。
0 は偶数である。0 は正の数でも負の数でもない。
0 を自然数とする定義もあり、その場合自然数と正の整数は同義ではない。
<中略>
0は数量が空っぽであることを意味する数である。
<中略>
歴史
前史

古代ギリシア人は「ο」を単に小数点のような位取りを表す補助記号として使い、数のうちに含めなかった。
<中略>
古代西洋で 0 の概念が受容されなかったのは、その宇宙観によるところが大きかった。
<中略>
」と「無限」を否定する宇宙観は中世ヨーロッパに継承され、宗教の一部と化した。
17世紀まで、ヨーロッパでゼロや無限を主張することは、
キリスト教への冒瀆であり、死刑宣告を意味した。
<中略>
数としての0の確立
「無」が実在することを認め、ゼロを数として定義したのは「無」や「無限」を含む宇宙観を持ち、哲学的に「無」を追究した古代インドにおいてである。
<中略>
自然科学における 0 の使用
物理学における使用
多くの物理量において 0 は特別な値であるが、それは物理的な必然性を持って設定されることもあれば、何らかの任意の基準を適当に割り当てることもある。
例えば熱力学温度における 0 度は理論的な最低温度(絶対零度)である一方、セルシウス度の 0 度は(数ある物質の中から)融点を選んで定義されている。
<後略>

出典 : フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』「0」

まぁ、こんな感じ。

主に女性が、性的に受け付けない相手を過剰に排除しようとしちゃうのは、
明らかに性欲に関連した衝動に衝き動かされているんだから、
負の性欲と呼んでも、何もおかしくないんじゃない?

つまり、「性欲」を、異性に向けて、
積極・能動・拡散的に発揮する事を「正方向の性欲」
消極・受動・厳選的に発揮する事を「負方向の性欲」
って呼び分けてる。
方向性を分けているだけで、そこには立場の上下も善悪の差も無い。

もうちょっと雑に言うと、
エロい人を欲しがる性欲キモい人を追いやりたがる性欲は、
逆方向に向かって対になってる。

身体構造上、前者が男性に後者が女性に多い傾向があるのは事実だけど、
前者は女性にも、後者も男性にも、少ないながらあるし、
男性的・女性的って表現よりも中立的で良いと思う。

どちらの方向の性欲も、それを不本意に向けられた側は不快に感じる。

「負の性欲」と言うと怒る人たち

わたし含めて、感覚的に理解出来てしまった人が、
あまり上手く言語化出来てなくてイマイチなたとえをしてしまうのが、
良くなかったと考えてたのだけど幾度かレスバを挑まれる内に見えて来た。

どうやら「負の性欲」なんて無い!とか言う人達には、
大きく三つのタイプがいるっぽい。

・性欲禁忌タイプ
まず、キモいという感情を性欲という言葉で表現されたくないと言う人。
「性欲は慎むべきもの、忌避すべきもの」という価値観があって、
それによってキモいと感じる権利を奪われたと感じて拒絶しているケース。
性欲向けられて気持ち悪いのであって正当防衛だ欲と無関係とか言いがち。

・勝ち負け論タイプ
もうひとつ、「負」と言う言葉に悪いイメージを持っている人。
正負を座標の方向と捉えず、勝ち負けとか善悪のイメージを投影し、
自分のキモいという感情を下に見られたと感じて拒絶しているケース。
男の性欲を良いこととして正当化しているとか言いがち。

・中世ヨーロッパタイプ
最後に、負と言う概念を性欲に当て嵌める事が理解出来ない人。
性欲には無か有(正方向)しか当て嵌める事はできなくて、
負という概念は存在し得ないとして拒絶しているケース。
論理的じゃないとか言いがち。

特に厄介なのが中世ヨーロッパタイプの人で、
話そうとしても言葉の定義を合わせる事すら出来ない。
なのに自分が頭が良い気でいる。

綴じの考え

性欲禁忌タイプの人に言える事は、あまりないんだけど、
性欲そのものは悪い事でも何でもなくて、
それを暴走させて他人に迷惑を掛けるのがダメなんですよってだけ。

男性の性欲は、拡散志向で、女性の性欲が厳選志向だというのは、
古くからよく言われていて、これに異論がある人はいないと思う。
話しているのは程度問題であって存在そのものの否定じゃないですよ。

勝ち負け論タイプの人に言える事は、
男性的な性欲の解釈を「正」、女性的な性欲の解釈を「負」と置く事に、
特別な意味を見出しちゃうなら他の文字を当てれば良いと思う。
X方向Y方向とか。まぁ、それも、また別のジェンダー的偏見になるけど。

中世ヨーロッパタイプの人に伝えたい事は、
石像や絵の具や有機ELを見ても全く性欲(や性的嫌悪感)を感じないのに、
それらが人間の性的な様子を模倣したら感じる様になる事から明らかに、
性欲におけるゼロは、議論の余地なく無関心状態だとおもう。

よく、「好きの反対は嫌いじゃなくて無関心」って言うけど、
…あ、ちなみに、この名言は、マザーテレサの言葉じゃないらしいよ。

エリ・ヴィーゼル ( ハンガリー出身ユダヤ人アメリカ国民作家 )
「愛の対義語は憎しみではなく無関心だ。人々の無関心は常に攻撃者の利益になることを忘れてはいけない。」
「愛の反対が無関心であるのみならず、美の反対も醜さではなく、信仰の反対も異端ではなく、生の反対も死ではなく、すべて無関心。」

出典 : ヤシロぶ 検証:なぜ「愛の反対は無関心」がマザー・テレサの言葉になってしまったのか?
出典 : フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』「エリ・ヴィーゼル」

閑話休題。

この言葉では、一つの概念を無か有のみで表現していて、
正の愛情」と表現する場合は、「負の愛情」は " 憎しみ " で、
ゼロの愛情」が ” 無関心 ” って事になると思う。性欲も同じ。

この説明でもピンとこない人は、
無栄養無味無臭消化可能なんの変哲もない形小石みたいな料理を、
食べものとしてどう思うか想像してみて欲しい。
食卓に並んでも何の興味も関心もわかないと思う。これが食欲のゼロ

一方、栄養満点でお通じも良くなるけど、醜悪な姿形をしていたらどうか?
食卓に並んでいる事自体が不愉快になると思わない?コレが食欲の逆方向

こういう喩えに対して、食欲を「空腹度」に狭い範囲で言葉の解釈をして、
嫌な食べ物を見ても空腹具合は不変だ!みたいに返すの止めた方が良いよ。


後は、まぁ、飲んだ後にでも書こう!

おまけ

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