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春の東北湯治⑦【再訪を誓い 鳴子を発つ】

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 こちらに来て1週間、少々業務過多になったこと以外は完璧な湯治だった。いつも同様3日目から体調は好転し始め、順調に痛みが抜けて行く。
私と同じ病(線維筋痛症)を持つ方が皆苦しむのが冬の寒さ。冷えはそのまま激痛となり五体を襲う。徐々に暖かくなるこの時期は快復にも最適な陽気だった。

 週半ばの高東旅館には4台の車が並んだが、そのナンバーは「取手」「足立」「大宮」「春日部」と、関東勢が席巻。全員と会話をさせていただいたが、短い方で5泊という具合だ。
 脊髄の術後の方やリウマチ疾患を抱える者など、さながら病棟のようだ。だが皆痛みを抱えているはずなのに、ここでは卑屈にならず、実に穏やかに暮らしている。

 
 出発前日になると、以前こちらでお会いしたフォロワーのNさんも現れた。彼女とは予定を合わせた訳ではなかった、暗に桜の時期にいることを一方的にお伝えしていた。何となくお会いできるは思っていたが、車から降りてきた時は嬉しかった。

 最終夜にMさんとNさん、3名で夜桜を見に行った。
到着時は5分咲き、その後満開を迎え、この2~3日は急に冷えてかなり散っていた。それでも夜風にあたりながらの散歩は楽しかった。
 
 充実の滞在。全ての宿を知っている訳ではないので甚だ短見ではあるが、高東旅館ほど既知の方と遭遇する場所は他に知らない。 
 たった1年前、私が10日ほどここに宿泊した際は、ほとんど他の客と顔を合わせることがなかった。疫病拡大のそもそもの影響と、この宿が国を挙げた政策に参画しなかったことで客は安きに流れた。

 今思うとあの時が宿にとっても胸突き八丁だったのだろう。今回の滞在期間中は、平日もいつも仲間がいた。 
 
 炊事場で物々交換をしたり、お裾分けが頻繁に飛び交う異郷感はなかなか体験できることではない。別れる際には皆、「また会いましょう」と再会を誓う。


 翌朝

 荷積みを終え帳場へと向かう。こちらの旅館のチェックアウト手続きはダイニングテーブルがある居間の様なところで行う。ここに立つと、いつも思い出すことがある。

 あれは初めて高東旅館で連泊をしたときの帰り際のことだ。
私はその時、こちらの新館にて2食付きで滞在していた。一泊7,500円程度で、朝夕配膳される女将さんが作る弁当も美味しく、日を追うごとに身体の痛みが治まり温泉療法の確かな手ごたえを感じてた。

私  「身体が随分楽になりました。またお世話になると思います」
女将 「次は本館に泊ってみてね。あちらの方が冷蔵庫が部屋にあるし」
   「こんなお弁当美味しくないわよ。自分で作った方がいいわ」
私  「ご、ご冗談を(苦笑)。でも、次はそちらに泊ってみます」

 こんなやり取りだった。女将さんも絶対覚えていると思う。

 高東旅館は新館の方が500円ほど高い。旅館側からすれば、高い部屋に案内をして2食付で客を付けた方がビジネス的には有難いはずだ。だが女将さんは、この宿で最も安いプランを私に提案した。

 あれから時間が経ち、今になってその理由が分かる気がする。女将さんは病に苦しむ私に「湯治」を教えてくれようとしていたのだ。
 
 連泊をするのにもコストがかかる。会社員である私にとっても出費はギリギリまで切り詰めなければならない。自炊をする方が手間はかかるが、当然安くなる。結果的に食費を削る分、長く滞在することに繋がった。湯治による身体の変化を実感するには、やはり連泊は必須になる。

 そして毎日調理場に立つことで、同じ境遇の湯治客に出会い「自分も頑張ろう」と前を向く。お裾分けにも随分と助けられてきた。

 今考えれば鳴子名物「山田のしそ巻き」も、「なるみストアー」の栗だんごも、「遠藤屋嘉吉」のくるみ豆腐も、「氏家鯉店」のうま煮も洗いも、全てこの宿でお裾分けでいただいている(※今度ちゃんと買います)。

 女将さんとの会話以降、私は湯治の際は必ず素泊まりで予約をし自炊をしている(ここのお弁当は本当に美味しいです)。今回もまた、多くの方と出会い親交を深め、そして再開を約束した。

私  「また秋口に参ります」
主人 「ええ、みんな待っていますから」
私  「実は今回の旅、まだ続きがあるんです」
   「どうしても、行かなければならないところがあるんです」
   

                           令和4年4月25日

出立の日 もう桜は青くなり始めていた
早朝の川渡 毎朝リハビリ散歩を欠かさない
白糸の滝で平癒祈願
仕事が疲れたら潟沼へ 美しいコバルトブルー

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