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湯治場で、年を越す①【出発~飯坂温泉へ】

 12月23日、私は東北道を北上していた。
とうに落葉を終えた枯山を抜けていくと、やがて左手に那須岳を望む。更に安達太良山に吾妻山、屹立する冠雪の百名山に冬至を感じつつ。

 自宅を出て3時間、県境を2つ跨ぎ福島県に入った。
この反対車線を走るのは年明けになる。意趣に背くことなく、哀歓の波が激しかった本年を清算すべく、鳴子温泉で年を越すーーー


 出発の前日、大学病院で年内最後の受診を済ませた。
採血に始まり血液内科~リウマチ科と罹り、いつも通り筋肉注射でフィニッシュ。次診は翌月11日となった。会社も出社日を調整し、年内及び年明け第一週は遠隔地での勤務が認められた。

 遡ること数日前、厄介なことに少々体調を崩した。朝方全身の痛みで目が覚め、カーテンを開けると「雨」。年々酷くなる気圧症、冬の雨は鬼より怖い存在となった。ほぼ寝たきりの煩悶の数日間を過ごす。久々に喰らった激痛だった。

 SNSで知った線維筋痛症で苦しむ女性。ほぼ同日に病症をアップされていた。気圧と同病の相関関係は、近年ヨーロッパの学会においても少しずつ明らかにされているそうだ。

 鍼治療で急場を凌ぎ(効用は3日ほど)、何とか容態を持ち直す。
同姿勢での長時間運転は危険と果断。中継地点として、初日は自宅と鳴子の中間やや北に位置する飯坂温泉で宿を取った。

 
 言わずと知れた奥州三名湯(その他、鳴子温泉と秋保温泉)。
松尾芭蕉が「おくのほそ道」で詩を詠み、ヘレン・ケラーも訪れたという本地。温泉ファン垂涎ものの共同浴場が9カ所あり、全てかけ流しだ。
 
 だが実は飯坂に宿泊するのはこれが初。随分前の話だが、日帰りで寄ったこの温泉街には少々苦い思い出がある。あれはまだ、湯巡りを始めたばかりの頃だった。
 

 飯坂と言えば「激熱」で有名。共同浴場には何れも50~60度近い源泉がかけ流しにされている。私は日本最古の木造建築共同浴場であり、街のシンボルとも言える「鯖児湯」に入湯。

 御影石の浴槽にドバドバと落ちる50度超の源泉。私は身体を真っ赤に染め、半ば修行僧のように湯に浸かっていた。そのうち観光客の若者3人組が入場してきた。
 何度か入浴を試みるが、どうも熱すぎて上肢まで浸かれない。一人が蛇口を捻りホースの先から水を垂らした刹那、先客の老父が烈火の如く怒号を上げた。

 
 「湯を薄めるな!」
 「罰が当たるぞ!」

 最近極端に見ることが減ったが、かつて共同浴場でよく見た光景。
確かに加水をする際は一言声をかけるのがマナーだ。とは言え相手は若年層、彼らは不文律を「知らなかった」だけだ。

 そこまで激昂しなくても・・・凄まじい形相を今でも覚えている。

 結局若者たちは入浴料だけを置き、湯に浸かることなく出て行った。
一部始終を見ていた私も心地よいものではない。観光客にとっては特別な日、意外とこんなことが旅の印象を決定付けたりする。


 私も数分後に退場し、街を逍遥することにした。
摺上川に架かる橋梁に立ち、そこから見えた光景は鬼怒川や東山温泉を彷彿とさせる廃墟群。。私にとって初の飯坂はネガティブ要因が残ってしまった。あれから、8年が経つ。

 
 到着したのは13時30分。町営駐車場に車を停め、向かったのは芭蕉も浸かった、あの「鯖児湯」。明治初期の様式を模して再建された湯小屋は、もはや荘厳さをも漂わせる。

 脱衣所と浴室に間仕切のないオールドスタイル。先客は3名、洗い具を持参しているので皆地元民のようだ。かけ湯をしているとあることに気付く。確かにあった加水用のホースがなくなっている。冬期だからだろうか。


 51度の新湯が投入される浴槽は流石の熱さ。ビリビリと表層が焼けるようだ。肩まで浸かり、最初は1分が限界。御影石にペタンと尻を落とし身体を冷ます。2度3度と浸かると徐々に慣れていき、最後は5分ほど浸かった。
 
 
 チェックイン時間までもう少々。
続いて寛永元年(1624年)に発見されたとされる「切湯」へ。地図を頼りに探しても素通りしてしまいそうな入口。川縁の断崖に聳える廃墟に吸い込まれるように階段を降りて行く。

 
 右手に小屋があり、よく見ると発券機があり小窓から番台さんが確認できた。200円でチケットを購入し、奥にある浴室へと更に進む。戸を開けると脱衣所で地元の方2名と一緒になった。


私  「こんにちは」
先客 「こんにちは!どこからだい?」
私  「埼玉からです。こちらは熱いですかね?」
先客 「ここは大丈夫だよ。パイプの取付で湯量調整できるから」
   「温ければパイプを外して、熱かったら水入れていいからね」
私  「ありがとうございます」


 浴室はタイル張りで、外観からは想像できない程綺麗だった。
心地良い空間と適温の湯が気に入り、独泉だったこともあり30分程浸かった。

 天井から下りている配管からは激湯がドバドバと。
管の先に塩ビ管をジョイントすると、湯はチョロチョロと落ちるように調整される。アナログだがよく出来ている。 
 
 飯坂の9カ所の共同浴場は泉質名こそ同じだが、全て源泉の配合が異なる。今回は中継地点のため多くは回らないが、この日寄った2カ所の湯は素晴らしかった。


 それにしても、ここ数年共同浴場で観光客を𠮟責する地元民は本当に見なくなった気がする。。気のせいだろうか。

 あれはあれで旧弊ではなく、必要な文化だったのかもしれない。若者を怒鳴り付け正路を説く、波平のように。

                          令和3年12月24日 
 

切湯の入口
切湯の浴槽 ※撮影許可をいただいています

<次回はこちら>

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