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山形 赤倉温泉いづみ荘②【豊富な湯量と小さな浴槽】

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 山形の温泉地の中でも、蔵王や肘折、銀山温泉と比べると赤倉の知名度はそれほど高くないようです。日本の湯治場の代表と言えば鳴子(宮城)と肘折でしょうか、その間に位置する赤倉は何度も通過していました。

 恐らくYさんに薦められなければ、この地に宿泊することはなかったと思います。痛みや痺れを取ることが私たちの懇望であり、様々な加療の末に辿り着いたのが温泉療法です。

 もちろん家風呂には毎日入りますし、湯の花も入浴剤も投入します。
しかし良い源泉を捉えた時の感触は水道水とはまるで異なり、筆舌に尽くし難いものです。泉質や成分量などで十把一絡げに区別できないのも、温泉への興味を深耕にするところです。

 宿に到着して暫しの休息の後、いづみ荘の内湯に一浴です。
上品な石鹸のような香りの無色透明の湯、冷えた体がジワジワと温まります。通年で最も不調が出やすい冬場、肘から下、酷い時は膝から下も麻酔を打ったように痺れが出ます。

 湯に浸かり数分経つと、炬燵のように少しずつ熱が回り始め、やがて指先まで電流が通るようです。次第に痛みと痺れが和らいでいきます。

いづみ荘の男湯 3人サイズ
あったまってケロ とお腹に書いてあります

 湯の好みは人それぞれ、感じ方も違います。ですが温泉ファンの通底として、湯量が豊富であることは良い温泉の条件の一つと言えます。

 湯上りに温泉街を逍遥すると、街中の至る所から芳香と湯気を纏った源泉が路面や溝渠を流れています。また民家の玄関横の蛇口には凝結した析出物の塊が確認できました。街に温泉が溶け込んでいる光景は湯量の豊富さを物語っています。

 温泉街の中心に、一際目を引くポイントがありました。不自然に建物がぽっかりと立ち退いた痕跡があり、道路後方に向かって潜望鏡型の塩ビ管から源泉が噴き出し溜まり池を作っています。宿に戻り御主人に声をかけました。

館主 「あそこは村乃湯という共同浴場がありました。今は取り壊して『ゆけむり館』に移転しています」
私  「大箱になってしまったのですね。旧浴場、入ってみたかったです」
館主 「村乃湯は地元民専用で、外来の方は入れませんでした」
私  「そうでしたか…」

民家の一角
ドバドバドバドバ
いつまでも見ていられます

 本来温泉は地元民の生活と密接に関係しており、娯楽や観光の要素を帯び始めたのは明治以降と言われています。湯元の近くに浴場を造り、宿を造り、宿場町となり、インフラを整え…

 開発され巨大化した旅館群が林立する温泉地においても、最も良い湯が注がれてるのは古くからある共同浴場、「ジモ泉(※地元民専用の温泉)」と呼ばれるものだったりします。
 綺麗にアスファルトで埋め戻されてしまった村乃湯跡地は、強烈に興味を誘いました。滞在中、幾度となく足を運び食い入るようにもぬけの殻となったスペースを眺めます。何度見ても同じですが。

 多事多難の温泉業界、中でも等閑視できないのは湯の枯渇問題です。
ない袖は振れません、湯が枯れて出なくては街そのものが倒れてしまいます。そんな心配もどこ吹く風とばかりに、赤倉温泉は街中に湯が流れ川を作ります。

 「こんなに湯を捨てているのか」、それが街を歩いた印象でした。

 投宿したいづみ荘は7部屋しかない小さな宿でしたが、食事処には3席しかテーブルがありませんでした。客数制限しているかもしれません。女性が一組いたようですが、男女別の内湯は常に独泉です。

 小国川沿に源泉の湯小屋があり、揚湯のため子メーターがゆっくりと回っています。亡骸となった旅館や大型ホテルの中にあって、お世辞にも豪華とは言えない外観に小さい浴槽。純粋に湯と向き合う贅沢な時間を五体で感じます。

 赤倉は日帰りで何度か来ていましたが、滞在するとその印象は次第に変わっていきました。廃れた温泉街のイメージから、上質且つ豊富な湯が潤沢に沸く桃源郷へと。

共同浴場跡 左は湯貯まりです

 Yさんからはいづみ荘は食事も良いと聞いていました。
私がそそられる宿の食事は、ステーキでも鯛でも蟹でもありません。旨い米に漬物に味噌汁、そしてその地でしか味わえない山菜などです。

 想像以上に良い食事と出会い、ますます赤倉温泉といづみ荘に魅了されていきました。

つづく

芸術的な析出物
館内は清潔です
いづみ荘さんの部屋 綺麗な和室です

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