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社会人になって初めてされた挨拶の思い出

3月。
雨やら雪やらでまだ桜の気配が遠いものの。
それでもカレンダーの日付どおり、卒業や異動発表などで「お別れ」を身近に感じる人が増える時期ですね。

私の職場もそろそろ、年度末恒例の人事異動が発表される時期だなあ……と考えていると。
ふと、初めて働いた職場で異動になった時のことを、久しぶりに思い出しました。

(以下、職種や業界の詳細を省略せざるを得ないので、ところどころ曖昧な書き方になることをご容赦ください)



当時の職場に、仲良くしてくれていたお兄さんがいました。
誰にでも分け隔てなく接する気の良い質で、お客様にも従業員にも満遍なく好かれている人でした。

その人は専門職で、曜日によって職場が変わるため、会う機会は週に一度。
しかし当時から人見知りが大爆発していた私に対しても、最初から明るく接してくれたことで、すぐに心を開いたのを覚えています。

そのお兄さんとは別に、明るく話しやすいお姉さんもいました。
おかげで勤務日が被った時は、仕事の休憩時間をよく三人で過ごしたものです。


忙しくも和やかな毎日だったけど。
人事異動が発令されて、私もお姉さんも、別の街にある部署へと異動になりました。

車で一時間の距離とはいえ、職場が変われば生活も変わります。
お兄さんともお姉さんとも、顔を合わせる機会が今より減ってしまうのは明らかでした。


その後。
異動前の職場で、お兄さんと出社が被る最後の日を迎えました。
相変わらず休憩時間に話をしたりして、いつもと変わらないテンションで一日を終えた後。

その日は私の方が先に退社することになったので、お兄さんに「お世話になりました」と、最後の挨拶をした時。

「元気でね」

と言われました。


言われた直後は意識しなかったけれど。
帰り道に、ふと考えたんです。
「元気でね」と言われたのは、もしかしたら人生で初めてのことかもしれない。

子供の頃に急遽転校したことがあるので、唐突なお別れは経験しています。
それ以外にも卒業式などの明確なイベントもありました。
夏休みやお正月などに、親戚の家に遊びに行った時の、帰り際にちょっと寂しくなるお別れだって何度もあったものです。

でも、そのいずれも、お別れの挨拶として交わしたのは「またね」でした。

また会える未来が必ず来ると、当たり前のように思っていた。
というよりきっと、当たり前すぎて意識すらせず、だからこそ何のためらいも無く言えていた、と考えるほうが正しい。
それはひとえに私の幼さゆえで、見送る側の親戚には「またね」と口に出すことに対する、もっと違う感情もあっただろうけど。


当時の私には、職場の人と連絡先を交換する、という発想がありませんでした。
だから余計にお兄さんに言われた「元気でね」がじわじわと染みてきて、気持ちがしんみりしてくる。
その寂しさを振り切るように「異動先での生活が落ち着いたら、顔を見せに行こう」と心に決めて、自宅に帰りました。



異動後は、新しい場所に慣れることに必死で、ひたすら目まぐるしい日々を過ごしました。

数週間が経ち、生活が少しだけ落ち着いてきた頃。
仕事の用事でたまたま、お姉さんと電話で話す機会が出来ました。
そこでお互いの近況報告をしていた中で、お兄さんが休職したことを聞かされました。

入社時期が早い先輩でもあるお姉さんは、それだけお兄さんとの付き合いも長かったんです。
だからプライベートな話もしていたようで、お兄さんが持病の影響で身体が弱かったことや、最近体調が悪化していることを、前々から聞いていたようでした。

言われてみれば確かに、ときどき突発的な病欠をされることが、他の人よりも多かった。
けれど、会えばいつも元気そうだったのに。

お姉さんとごはんを食べに行く約束をして、電話を切った後。
どうしても脳裏に過ぎるのは、お兄さんに言われた「元気でね」の挨拶でした。

あれは、お兄さんが自分の身体のことを分かっていたからこそ、出てきた言葉だったのかもしれない。
そう考えることがしっくりきた事実を前に。
喪失感と後悔の苦みで、胸が塞がったものでした。


その後、お姉さんとは何度かごはんを食べに行きました。
異動先の新しい部署の人たちも交えて、飲み会の機会もありました。
でも、お兄さんには会えないままでした。

いろいろあってその会社を退職して、引っ越して転職もして、と生活環境が大きく変わるうち。
お姉さんを含む前の職場の人たちと、会う機会も手段もなくなって今に至っています。
だから結局、お兄さんのその後も分からないままです。

あの時、お兄さんに「もう会う機会が無いみたいで寂しいじゃん」ぐらいの返事ができていたら、違う結果になっていたんでしょうか。

そして時が経った今振り返って、お兄さんが最後に言ってくれた「元気でね」に「もう会えないけど、それでも」という言外の祈りを感じるのは、感傷が過ぎるでしょうか。


会えなくても。
それでも元気で、幸せでいてほしい。
そういう形のお別れがあることを理解した出来事でした。

ずいぶん遠くに来ましたが。
私は今も元気でいます。


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