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SNSを見て虚しくなるなんて

バカバカしいとは思いつつも、最近、自分がそんな人間になってしまっているのだった。

時間が出来ればインスタグラムをひらいている。

友だちがどこかに行って誰かと遊んでいるのを見る。
それを見て、楽しそうだなぁ、羨ましいなぁ、なんて小さな憧れと尊敬の詰まった気持ちが込み上げてくる。

さらに自分の心を覗き込むと、
それは憧れと尊敬なんて綺麗な感情ではなくて、
なぜ自分がその子みたいになれないのか、なぜ自分は愉しくない日常を過ごしているのか、なぜ自分だけ恵まれていない気がするのか、
なぜ、なぜ、なぜ……
と無意味な問いだけが渦巻いている灰色の感情だということがわかる。

人間は、SNSで自分の完璧で綺麗な側面しか見せない。
すべて見せるように作られたもの、表面、皮。

でもその裏を完全に除去した表のコンテンツにだって、いくばくかの真実と真心、多くの人間が求めるものがあることを知っている。
だからこそ私はSNSで見る他人の姿に、憧れとも嫉妬ともつない悶々とした気持ちを抱えるのだろう。

これまでずっと思っていた。
世界中のみんなして、小さなデジタル画面に向き合って、一瞬を切り取った画像を一生懸命にのっけて、自分を演出して。
一体何がしたいんだろう。

でも本当は自分もそういうことがしたかったのだ。
今もずっと、したいのだ。
それでいて、結局はSNSというものに乗り切れていない、仲間入りできていない自分がちょっと恥ずかしいのだ。

一体どうすればこんなつまらない感情から解放されるだろう。

とりあえず、インスタグラムのアプリは消すことにした。
その間にもきっとあの子はまた綺麗な自分の写真をあげて、友達との楽しそうな写真をあげて、美味しいものを食べに行っているのだろうと思うと、
心の端に針が刺さるような気持ちになる。

いつ、どの世界に行けば、この気持ちは救われるんだろうか。

ほんとうにバカバカしい悩み。
捨てたい。

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