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うちの子はそんなことしません!という母親に憧れていた

喧嘩ばかりしていた両親

小学生くらいの話をする。小学校の頃、両親がとても仲悪かったのを今でも覚えている。毎日、大声でヒステリック化する母親。母親が怒って家を出て行き、父と一緒に車に乗って探しに行ったこともあったな。「パパと離婚することになったらママとパパどっちについてくる?」なんて聞かれたこともあったな。離婚ってよく分からないけど、家にずっとお父さんとお母さんが二人で居てくれたらいいなと思っていた。そんな日々に心が満たされなかった。毎日ふわふわしていて、学校に居ても家にいても身体が重くてだるかった。

今思えば、母もいっぱいいっぱいだったのだろうと思う。あの頃は、毎日料理や掃除を頑張っていて完璧な母親を目指していたのかなと思う。結局、両親が離婚する事は無かった。その代わりに母は、何か糸がプツンと切れたかのように、料理や掃除を完璧にこなそうとしなくなった。喧嘩が無くなっても私はやっぱり満たされなかった。


自分のしてしまった悪い事って一生覚えているものなのだろうか


なんだか良く分からないけど身体は毎日怠いし満たされない私は、いつも笑顔で優しい両親を持つ友達が羨ましくて仕方なかった。遊びに行くと、家の中はいつも綺麗で、15時のおやつに手作りのお菓子が出てくる。クッキーにスイートポテト全部全部美味しかった。この家の子になりたいと思った。同時に嫉妬のような感情も生まれた。

この友達のことは大好きなのに、無邪気な笑顔を見ていると心がモヤモヤした。私は、人生で初めて"悪い事"をした。小学生の頃"悪い事"をしてしまう人は何人か居た。その悪い事とは、人の物を隠したり、盗んだり、誹謗中傷を書いた手紙を机の中に入れたり、靴の中に画鋲を入れたりだ。私の通う小学校ではそんな事件が頻回に発生していた。こういう事をしていた犯人って今も自分のしたことを覚えているのだろうか?長年の疑問である。すっかり忘れて、今は楽しく人生を過ごしていたりするのだろうか。

私がした"悪い事" 


小学生の時は毎朝あさがおに水やりを行っていた。一人一人の下駄箱に小さいジョウロが入っている。私がした悪いこと。笑顔を見ているとなんだかモヤモヤする友達のジョウロをゴミ箱に捨てた。誰にも見られていないかドキドキしていたこと、終わってからもドキドキが止まらなかったあの感情を20年以上経った今でも思い出す。達成感と罪悪感が混ざって気持ち悪い感じ。

私のした悪いことはバレることもなく、怒られることもなく終わった。常習的に悪い事をしていた生徒はクラス中でも先生の中でもなんとなく特定はされていた。まさか私がやったなんてきっと誰も思わなかったのだと思う。私がやってしまった"悪い事"は勝手に◯◯ちゃんがした事になっていた。気持ち悪かった。私が犯人だとバレて叱られた方が良かった。でも、両親に叱られるのは嫌だった。こんな気持ち悪い感情になるのは一生ごめんだ。これからは一生悪い事はしないと心に誓った。私の中の"悪い事“の定義は、自分が悪い事をしていると思ってしまったらそれは全部悪い事だ。今でもそれは変わらない。

悪い事をした人になった時


友達の家で遊んでいた時、家におはじきがあった。

私は、おはじきとおはじきがぶつかって弾く時の音が好きだった。ポケットに沢山おはじきを入れて、ジャンプをすると複数のおはじきが弾き合ってシャカシャカと音を立てる。友達にそれを聞かせたかった私は、友達の家のおはじきをポケットに入れた。その後、外の公園に遊びに行くことになって、私は公園でこの音を披露してあげようと思っていた。

私は、公園について「ねえ見て見て!」とジャンプをしてみせた。シャカシャカとおはじきが弾ける音がする。しかし、友人は私の想像とは全く異なる反応を見せた。

「私のおはじき盗んだ!!!!!」

そんなつもりはなかった。確かに家にあったおはじきを勝手にポケットに入れ、外に持ち出した行為は盗んだことになるのかもしれない。びっくりした私は「盗んでないよ!!!!」と言って走ってその場を離れ、おはじきをそこら辺に捨てた。正直に、そんなつもりは無かったことを話せばよかったのに、"悪い事"をしていることが嫌で無かったことにしようとした。


「みっともないことをしないで。」


私がおはじきを盗んだことは、友達の母親伝で両親へと報告された。すぐにその夜、家族会議が行われた。

ダイニングテーブルに座らされて、目の前には母親と父親。今からどんな話が始まるかはすぐに分かって、両親の目を見る事ができなかった。もちろん、こっぴどく叱られた。「どうしておはじきなんて盗んだの?」「みっともないことをしないでよ、恥ずかしい。」「あんたのせいでお母さんが恥ずかしい思いをしたわ。」と私が盗んだことを疑うこともなく、責める母親。「そういえば、言われてみると迎えに行った時にポケットからカシャカシャおはじきの音が聞こえたような気がする。」なんていう父親。おはじきは捨てたから、車に乗った時にはポケットに入っていなかったのに。

おはじきを盗んだということは事実になるが、そんなつもりは無かったし、私がやったと最初から決めつける両親に絶望した。私のことを信じてくれる人はいないんだなと思った。叱られながら、いつも"悪い事"をしてしまう◯◯ちゃんのことを思い出した。

◯◯ちゃんのお母さんは、先生に"悪い事"をしている事を指摘されても「うちの子はそんなことしません!」と言っていたらしい。こんな一方的に責めてくる両親より◯◯ちゃんのお母さんの方が良いと思った。信じて欲しかった。

最後に

両親に信じてもらえなかったことが20年以上経っても忘れられず、今でもたまに思い出してもやもやするので文章にしてみた。

私は、まだ母親の立場になった事がない。でも、これから子供が出来たら、まず自分の子供を信じてあげたいと思う。悪い事したことが事実でも、責め続けるのではなく、理由や思っていたことを聞いてあげたいと思う。

実際に母親になれば、そんな余裕はないのかもしれない。忙しさや複数の感情が混ざり合って自分の思い通りに信じてあげることは出来ないのかもしれない。それでも、目の前の人を信じるということを忘れたくない。

子供に限らず、友人や恋人、家族のことを信じてあげれる余裕を持って生きたい。


#エッセイ #家族 #母親 #毒親 #ひとりごと #スキしてみて




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