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桃だけ食べる、 不健康な生活

自分以外のあらゆる詩人が嫌いだ。
奴らは随分美しい言葉ばかり使うし、まるで海のような深い青を含めるし、なにより自分の吐き出していたものが埃のごときものであったと相対的に分かるのがいやだ。
僕はこの世で誰よりも僕の言葉が好きだから、僕の言葉より好きだと思える他人の言葉が唾を吐くほど嫌いだ。
僕の言葉が好きなだけなら、頭の中の桃源郷だけで住んでいれば良かったのに、どうして都会に来てしまったのだろう。
その桃源郷はあまりにも僕の目に美しく映るから、それを誰かに美しいって言ってもらいたくて、つい釣られて来てしまった、んだ。
価値観が全く同じ人間など居るはずないと理解していながら、どうにも僕は僕の観光大使を生まないまま死ねないようだ。
加えて奴ら詩人は耳触りのいい言葉を放つ。今まで僕が言葉にしようとしても出来なかった言葉を易々と(あるいは難儀しながら)、紡いでいく。
言葉に出来ないとはいえその抽象画はこころにあったから、その具体例を見た気分になって、不可視の感情を、たった一つの何かに変換してしまう。しかもそれは僕の頭に永劫残る。自我で紡いでいるつもりなのに、気付けば奴らの言葉が混ざる。奴らの言葉を誤魔化して、自分だけのものっぽくするには、より多くの奴らの言葉を食わなければならない。
そうしなければ、科学で再現可能な自分のクローンが出来てしまうからだ。
とはいえ奴らがいなければ、今こうして言葉を放つことも無かった。
つまり生まれた時から僕は詰んでいた。
だからこそ、出来るだけ足枷を外し、桃ではない他の果物を焼き尽くし、都会には感情だけを置いていかなければ、やがて僕でない僕もどきが僕となるだろう。
しかしそんな僕もどきでも、僕は僕の言葉を美しいと思ってしまうのだろう。結局僕は僕で完成された美しい存在なのだ。

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