全部ある当麻町

北海道大雪山の麓にある当麻町です。人口6,000人弱の小さな町には、小さな幸せがたくさ…

全部ある当麻町

北海道大雪山の麓にある当麻町です。人口6,000人弱の小さな町には、小さな幸せがたくさん!「当麻町の“当たり前にある”幸せを、皆さんに届けたい!」そんな思いから公式noteを開設しました。

マガジン

  • 当麻の歴史裏話

    当麻町の歴史資料に掲載されている出来事や掲載されていないものについて、町民さんの記憶を元に取材し、ご紹介します

最近の記事

当麻の記憶#16 平成初期の昔話

開基100年の年は、全町民対象の大運動会、当麻鐘乳洞・JR当麻駅前と2日間の日程で行われた蟠龍伝説フェスティバル、NHKのど自慢大会など町をあげての催し物が盛大に行われました。その中、メイン行事として行われたのが9月1日にスポーツセンターを会場に行われた「開基100年記念式典」でした。式典では、未来への宣誓書を2人の当麻中学校3年生が読み上げています。 「テレビで見たことのある人もいて緊張したことを覚えています」と話すのは、代表として登壇した一人の波多野麻姫さん(昭和52年4

    • 当麻の記憶#15 先生の昔話

      「平成4年は、全ての行事名に“100年記念”が付けられていました」と懐かしそうに話すのは当時、開校100年を迎えた当麻小学校の校長だった澤田武雄さん(昭和9年7月21日生)。澤田さんは平成3年から4年間、当麻小学校で児童の教育に従事した後、定年を迎え、現在は中央5区の自宅で静かに当麻町の未来を見守っています。 澤田さんは旭川生まれ。数年のサイクルで異動がある学校教員ですが、当麻とのかかわりは長く、大学時代からあったと話します。地質学を学んでいた澤田さん。大学4年時に当麻鐘乳洞

      • 当麻の記憶#14 食堂の昔話

        6年前、約50年の歴史に幕を降ろした「和可奈寿司」。突然の閉店に対する驚きは今でもはっきりと記憶に残っています。JR当麻駅前に構えていた和可奈寿司は北出克美さん(昭和18年3月24日生)とそのご家族が切り盛りし、看板メニューの「醤油ラーメン」を始め、甘口のカレーライス、チャーハン、ナポリタンスパゲティー、パフェ…と、お寿司屋さんのイメージを良い意味で“裏切る”バラエティに富んだメニューで町内外問わず多くのファンがいました。 和可奈寿司のルーツは4条道路沿いにあった「町野鉄工所

        • 当麻の記憶#13 戦争と引き揚げの昔話

          元小学校教員で現在、当麻小学校の裏に住居を構える樋口一也さん(昭和9年12月14日生)。樺太で生まれ、小学5年の時に北海道に引き揚げてきました。軍人で獣医だった一也さんのお父さんは樺太で養狐場(毛皮にするための狐を飼育する場所)に勤めており、お祭りの時は5銭もらえれば多い方のお小遣いを10銭もらっていたので、かなり裕福な生活だったのではないかと当時を振り返ります。 上敷香(かみしすか)という地で、父、母、妹、弟と5人で暮らしていた一也さん。終戦間際、お父さんは仕事のため単身

        当麻の記憶#16 平成初期の昔話

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        • 当麻の歴史裏話
          18本

        記事

          当麻の記憶#12 商店街の昔話

          「昔はね、そこの信号から線路までぎっしりお店が並んでいたんですよ」。そう話すのは、町のメインストリート4条道路沿いに住む五郎部キヨ子さん(昭和8年3月20日生)。キヨ子さんの子ども時代は石北線の踏切から西畑電機のある交差点まで、精米所、鉄工所、馬車屋、餅屋、豆腐屋、桶屋、飲食店、金物店、瀬戸物店…と多くの商店が軒を連ねており、キヨ子さんが平成3年まで営んでいた「五郎部商店」もその一つでした。 戦前から戦後にかけ、鮮魚を主に果物、野菜、食料品で商いを続けた五郎部商店。時代の移

          当麻の記憶#12 商店街の昔話

          当麻の記憶#11 鉄道の昔話

          4条西4丁目、道道当麻愛別線沿いにある「片山運動具店」。運動用品の販売やスキーのメンテナンス、食料品や日用品の販売もしています。店主の片山巖さん(昭和18年8月20日生)は二代目で、父親の弘さんが開業しました。 弘さんは片山家の三男。本家が旭川にも納めるほど大きな醤油屋(後の片山豆腐店)を営んでいたため家業を手伝っていましたが、終戦後、醤油屋をやめたことから、片山家の物置だった建物を借り受け改装し、商売を始めました。運動具店を始めたのは弘さんがスキーや登山の愛好家だったため

          当麻の記憶#11 鉄道の昔話

          温かな“秘境”

          先日、役場に町民さんからお電話でとある相談があり、その方のご自宅に訪問しました。 電話で完結する内容だったのですが、高齢で耳も遠いことから、電話では伝わりづらいと考え直接お邪魔することにしました。 この方は当麻鐘乳洞がある「開明」という地区に住んでいます。山間部にあるのですが、この方の自宅はさらに奥地、家もほとんどない場所にあります。当麻町にはこういう場所が数か所あり、私は勝手に「当麻の秘境」と呼んでいます。 笑顔で迎えてくれた80歳を超える老夫婦。用事も完結し、お暇しよう

          温かな“秘境”

          おしどり夫婦

          招き入れられた空間にはフィルムカメラが所狭しと並び、床には今でも現役だというビンテージ感漂うミシンが数台鎮座している。壁に掛けられた振り子時計の雰囲気も相まって、昭和生まれの自分にとってはどことなく懐かしさを感じる。家主である夫が他界してから7年間、夫にとって特別だったこの空間をそのまま残す奥さんは、ゆっくりと夫の話を始めた。         樺太からの引き揚げ者だった夫の家族は、湧別に移り住み、そこで夫は馬具職人の道を目指した。始めは見習いのため給料は支給されなかったそうだ

          大自然と音と人と#3

          敢えて痛みを  ユーチューブチャンネル「珍獣ヒロの当麻秘境「音むげん工房」だより」は2年前、コロナ禍の中で立ち上げた。不定期だが、DIYのリフォームや田舎暮らしの動画を発信している。その中の1本をぜひ紹介したい。  場所は苫前の海岸。海のさざ波音やカモメの鳴き声の中、はしゃぐひろきさん。その隣で妻のあきさんは静かに気功を行っている。あきさんにフォーカスを当てた動画だ。この中であきさんが大腸がんを患い大手術を受けたことを明かしている。  2019年春に大腸がんステージ4と分か

          大自然と音と人と#3

          大自然と音と人と#2

          音楽と向き合うこと  ピアノは好きで始めたわけではない。  厳しい作法、しきたり、コンクール出場…。発表会やコンクールで“女の子”として着飾らなくてはいけないこと、バレエやピアノといえば女の子がするものという当時の固定概念が嫌でしょうがなかった。しかし、ピアノそのものが嫌いというわけではなかった。  大学は、北海道大学と武蔵野音楽大学に機会を得た。  歴史・神話・伝説・民俗学・考古学・宇宙などが、自分としては好きで探求したかった世界かと思ったが、選んだのは音楽の道だった。

          大自然と音と人と#2

          大自然と音と人と#1

          プロローグ ―2月上旬、とあるご縁があって、親近者だけで行われた「ミニコンサート兼新年会」に参加させていただいた。  演奏するのは緑郷の山奥から音楽活動を発信する「敦賀ひろき」さん。ひろきさんは住居の一室に置かれた小さなグランドピアノでオリジナルの曲を数曲披露した。中には歌入りの曲もある。実体験から生まれたという曲はピアノ伴奏と歌声だけというシンプルな構成ながら、目を閉じるとその情景が手に取るように浮かんでくる。  宅内でのコンサートが終わると、ひろきさんは「皆さんでこの素

          大自然と音と人と#1

          山とともに ~リウカが紡ぐ優しい時間(後編)

           子どもが生まれたことをきっかけに、自然が多く、安全安心な食材が食べれる場所に住みたいと考えるようになった瞳さん。この頃、すでに篤志さんはウエブデザイナーの仕事に就いており、札幌を拠点にした仕事を請け負っていたことから、恵庭や小樽銭函など“札幌通勤圏”での住居を探し始めた。「あまりピンとこなかったところにちょうど、上川町での仕事を請け負ったんです。ちょっと行ってみようかと上川町、東川町を見たんですが、何か整いすぎていて…、イメージに合わないと思っていたところに、友人が“当麻町

          山とともに ~リウカが紡ぐ優しい時間(後編)

          山とともに ~リウカが紡ぐ優しい時間(前編)

          “自分らしさとは何だろう?”あらためてそのことを考えさせられた今回の取材だった。  水本篤志さんは“髭モジャ”で、一種独特な雰囲気を醸し出している。それに対して奥さんの瞳さんはオーガニックな装いだが、顔立ちがシュッとしていて端整。どこか都会的な雰囲気がある。お二人とも発する言葉が柔らかく、“聞き上手”で、取材に伺ったこちらの方がたくさんの話を聞いてもらってしまった。  3歳の息子さんと猫3匹という家族構成の水本さん。住宅は当麻山スキー場を愛別方面に通り過ぎ、ちょうど当麻山の裏

          山とともに ~リウカが紡ぐ優しい時間(前編)

          山とともに ~自家製の家とパンと~(後編)

           林さんの住宅の入り口には「Kigi」と書かれた看板がかかっている。紗弥子さんが自宅で営むパン屋だ。ちなみに“キギ”と読むが、林さんの苗字を構成する二つの「木」から命名されている。  大学生の頃、スノーボードがしたくて居候していたニセコで天然酵母のパンに出会い、パンが好きになった。それからは旅先で必ずパン屋を訪れ、いつか自分でパンを作りたいと思うようになった。2年間パン屋に勤め、上富良野在住中も富良野マルシェでパンを作っていたという。  翼さんの住宅設計図には元々、コンクリ

          山とともに ~自家製の家とパンと~(後編)

          山とともに ~自家製の家とパンと~(前編)

           “やるなら今しかねぇ…”  長渕剛さんの曲のワンフレーズだが、ドラマ「北の国から」で主人公 黒板五郎役の故 田中邦衛さんが口ずさんだことから一躍有名になったセリフだ。  富良野市を舞台にした倉本聰監督の「北の国から」は道外のファンも多く、このドラマに感化され北海道に移住したという声も良く耳にする。北星3区の小高い山の中に住居を構える林さん一家もドラマの影響を受け11年前、北海道当麻町に移住した。大黒柱の翼(たすく)さん、妻の紗弥子さん、小学生のお子さん2人、そして1歳になる

          山とともに ~自家製の家とパンと~(前編)

          当麻の記憶#10 中島地区と馬の昔話

          当麻川と牛朱別川に囲まれた中州状の地形で、どこに行くにも橋を渡る必要があったため“中島”と呼ばれていた中央4区。「昔は郵便物が“当麻町中島”で届いていたんですよ」と話すのは、88年間この地区に住む中村護さん(昭和9年2月16日生)。  小学生の時に戦中、戦後と移り替わる時代を経験した中村さんは、学校生活も大きく変貌したと振り返ります。戦時中の学校生活は勉強と作業が半々だったといいます。中村さんが記憶しているのは出兵し人手が足りない家庭やお年寄りの家庭の農作業の手伝いや、暗渠用

          当麻の記憶#10 中島地区と馬の昔話