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当麻の記憶#14 食堂の昔話

6年前、約50年の歴史に幕を降ろした「和可奈寿司」。突然の閉店に対する驚きは今でもはっきりと記憶に残っています。JR当麻駅前に構えていた和可奈寿司は北出克美さん(昭和18年3月24日生)とそのご家族が切り盛りし、看板メニューの「醤油ラーメン」を始め、甘口のカレーライス、チャーハン、ナポリタンスパゲティー、パフェ…と、お寿司屋さんのイメージを良い意味で“裏切る”バラエティに富んだメニューで町内外問わず多くのファンがいました。
和可奈寿司のルーツは4条道路沿いにあった「町野鉄工所」から始まります。戦時中、満州に出兵し大黒柱が不在の家族を養うために克美さんのお母さんが実家である鉄工所の一角を使って始めたのが「小町」という食堂でした。終戦を迎え、戦場から戻ったお父さんと当麻駅前で再スタートした食堂「ゝ月(ちょんげつ)」。看板メニューは旭川の老舗ラーメン店「蜂屋」で修業したお母さんが作るラーメンでした。このラーメンは近隣の町でも有名だったそうです。お母さんが厨房に立ち、お父さんは出前専門でした。当時出前というのは珍しかったそうで、お父さんは自転車にまたがり、行けるところはどこでも配達をしていたそうです。遠い場所の場合ラーメンなどはのびてしまいましたが、お客さんにとってはそれが当たり前で「量が増えて、美味しい」と喜んでくれたそうです。
克美さんは高校卒業後、寿司職人を目指し東京に出ました。そのきっかけには母親の弟の存在がありました。家業を継がせたかった親から離れ、一人東京に出て寿司職人を目指し、その後、小樽市で「町の寿司」を開店し成功させた叔父。その背中に憧れを抱き、克美さんも叔父が修業した東京足立区の「和可奈寿司」の門を叩きました。その後、故郷に帰り、のれん分けする形で寿司店を開業しました。当時の江戸前寿司の価格はラーメン1杯70円に対し1人前が100円と比較的リーズナブルではありましたが、庶民が食べやすいものというイメージが薄く、寿司だけではやっていけなかったため、ゝ月のメニューも引き継いだことが、バラエティ豊富な和可奈寿司のメニューにつながっています。

多くの人に愛された和可奈の醤油ラーメン


ナットウラーメンなどお客さんのリクエストから生まれたメニューもあった和可奈さん。“油多め”“麺固め”など細かなお客さんの要望にも応えていました。いつでもお客さんが来れるように休憩時間は設けず、開店当初は年中無休、正月も新年会のために店を開けていました。後に月曜日が定休日となりましたが、これは従業員を雇うようになったためだったそうです。営業時間終了後、のれんを片付けても、表玄関は鍵を開け、深夜までの飲食に快く対応し、タクシーの走っていない時間はお客さんを自宅まで送ることもありました。いつも〝お客さんあっての商売〟という概念を忘れずにいたそうです。「若い時から商売のことばかり考えていた」と話す克美さん。お店を閉めてようやく普通の暮らしができるようになったと笑います。
ちなみに和可奈寿司で一番手間が掛かったメニューはお弁当だったとのこと。リーズナブルな価格に刺身も入っていたことから人気があり、農繁期には1件で20~30個のお弁当を届けていたこともあったそうです。