本が好きと言うと「そうなんだ」で終わっちゃう人生を脱したい #私の本棚
28歳にして短期・中期合わせて30以上の職場を経験した。そう。お察しの通り、人生血迷っているドフリーターである。同時に、常に物事をこねくり回しまくる、コネクリストでもある。
出勤初日、どの職場でも聞かれるのが趣味だ。素直な私は嘘偽りなく、相撲と読書であることを伝える。すると相手は「そうなんだ、あんまりよく知らないなあ」などと終わらせにかかってくる。相手から話を振ってきたのに、こんなに実りのない結果は、あんまりじゃないか。
皆揃って同じような反応だったので、相撲も読書もオーソドックスな趣味ではないのだろう。まあ自分に合った職場を選べてないだけかもしれないが。そう考えると私が職を転々としているのにも合点がいく。
私は素直であると前述したが、本当に好きなものを「好き」と言えない天邪鬼なところもある。この大事な気持ちを、安易とおっぴろげたくないのである。だけどそんな自己愛たっぷりの保守も、だんだん時間の無駄に思えてきた。何より、本好きを公言して「そうなんだ〜」で終わってしまう人生を、なんとか脱却したい。
そんな思いから食生活同様、我が読書生活も曝け出すことに決めた。
純文学YouTuberつかっちゃん
2週間前くらいに旦那が教えてくれた「つかっちゃん(つかつさん)」の存在が大きい。彼は、小説を、特に純文学を心の底から好いている。そしてそれを私のように隠すことをせず、さまざまなSNSで発信し続けている。
彼の、好きなものを好きだと語る姿は本当にグッとくる。共感然り、新たな発見然り。普段Youtubeをほとんど見ないので、教えてくれた旦那には感謝である。つかっちゃん、本当にすごい人だ。
とと戸の本棚
本棚、自分の中身が筒抜けになる感じにちとビビっている。つかっちゃんの足元にも及ばない我が本棚だが、自分の人生を脱却する方法は一歩踏み出す他ない。何かを振り絞って公開してみる。
友人にも見せたことのない本棚。友人に見せる前にネットで公開する私は多分感覚がバグってる。
使ってるのはマルゲリータ。机が一体になっているタイプで、普段ここで在宅勤務をしている。誘惑(本)が目の前にあって集中できなそうだが、慣れるとそんなこともない。
1日〜3日に1冊は読むので、全部定価で買ったりすればまもなく破産するだろう。
好きな作家に出会ったら全て読みたい、揃えたいという気持ちがある。大体ブックオフで100円〜200円で購入するか、図書館で借りることが多い。時間とお金と相談しながら息詰まらないようやっている。
純文学
直木賞よりも芥川賞系の小説が好きだ。つまりジャンルで言うと「純文学」のことだ。
純文学って、読書メーターとかAmazonで「よくわからなかった」とか「意味不明」とか結構辛辣に書かれている。私も決して理解できているとは思わない。でも間違いなく面白いと感じている。
そもそも純文学は、理解できなくて当然のものと思う。自分の解釈で良いから楽しむ、ということに尽きるのではないだろうか。それこそが醍醐味というか。
ここまで偉そうにかいたけど、数年前まで「芸術ってなんなんだ、理解できない、わからない、悔しい」などと旦那の前で癇癪を起こしていた。それに対し旦那は「わからなくて当然」であることを教えてくれた。
言われた当時はもちろん「は?」っていう感じだった。だけどその分からなさにこそ魅力があることにいつしか気付き、はまっていた。なんとなくだが「わからないものの楽しみかた」を自分なりに掴むことができた。
救いようのないくらいの完璧主義なので、すぐ100を知ろうとしてしまう。でもわからないのが当たり前、わからない自由があるということを知れたことは、私の人生の中でかなり大きな出来事だった。
私の身体は私の人生をすべて知っている。28年ものの我が身体を通して、「わからない」ことを自分なりに考える。これ、読書の醍醐味の一つなんじゃないかと思う。つい一つの考えに囚われがちな私にとっては良い訓練でもある。
読書にハマるのが遅すぎた自分を恨む日々。しかし恨む暇もないほど、この世には無限に本がある。取り戻すように読むであろうこれからの人生、苦難あっても本がある限りなんとかやっていける気がする。
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