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在宅飯の記録

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在宅飯の記録。 外食では満たせない何かがある気がしてならない。
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沢山咲いたらヘルペスできた、飯でも食おう

2日連続で大地震で被災する夢を見る。そのうち1日は生き埋めだった。閉所が極端に怖い私は、もがいているうちに突然に隙間を見つけて無理やりこじ開けてみる。すると、行ったこともない屋根裏部屋のような場所に辿り着く。 そこには父や近所の人が数人すでにいて、忙しなくウロウロとしている。現実では100kg超えしている父は、夢の中では今まで見たことないくらい痩せていた。 お馴染みの頑固な脂肪がついてなくても当たり前のように父であると認識し、会話もしたが、何を話したかは記憶にない。 最近

生きてさえいればベーグル食える

なんにもなくたって人は生きていていい。 取り柄、特技、生きがい、趣味、あったら生きやすさにつながるが、実は何もなくたっていい。 そんなはずなんだけど、どこかそう思えない自分がいる。一方で、生きるのに理由はいらないことを完全理解している自分も確かに存在している。 対極の考えを持つ二人の自分に、長い事振り回されている。 そしてこれを書く私はきっと三人目の自分か何かだろう。 この至ってシンプルな論争を、殊更厄介にさせてるのが、週5日の8時間という生活の大半を占めている「仕事」の

病院後に食べるプリンが沁みないわけない

ここ数年医療費が年間10万超えしていたこと、そしてことごとく異常なしであることから、定期通院以外で病院に行くことを禁じていた。 しかし、今年に入り体調悪すぎている。募る心配が更なる体調の悪化に繋がっていたので、安易に薬をもらわないという強い意志の下、久しぶりに病院に行った。 待ちは0人、保険証を出して2分で呼ばれて診察室へ向かう。 穏やかで賢そうな笑みを浮かべ「お久しぶりですね」と声をかけられる。 違和感なしに懐に入ってくる医師に、つい、覚えていてくれたのか‥などと勘違いし

飯、頼むから私を健康にしてください

1月後半に右上、2月頭に右下、2月の中旬〜後半にかけて中央、左上。 要するに、左下にできれば全制覇できるというあと一歩のところ。 今は左上に赤黒い血塊をつけながらこうやって振り返っているわけなのだが、何が悪かったかと言われると具体的にこれというのはない。強いて言えば全てが漠然と悪かった。長く辛く痛い2ヶ月だった。他でもない、口唇ヘルペスのお話である。 調子が降下する前、私の唇にはいつも決まってヘルペスができる。まず手始めになんとも言えぬむず痒さが現れ、半日経たずしてみるみる

答えのない余地/色んな角度

「他人に興味がある」などと簡単に言う人のことに対し、身構えてしまう自分がいる。「人は元来自分以外に興味がない」といういかにも偏屈そうな考えが根強くあるからだ。そのため、 自分への興味が根底にある ↓ 自分と関わる人に興味を抱く(どんな人なのだろう) という流れに限っては唯一信憑性があり、大いに共感できる。つまり、ものは言いよう考えようであり、「他人に興味がある」という言葉の裏に、こういう信頼できる背景のようなものが付随していることがわかれば一気に警戒は解ける、なんたる単純

果物/乗せる料理/ご馳走感

生きてるといろんなルールに遭遇する。国の法律、会社の規則、賃貸物件の約款。人間はルールの上に生かされている、右も左もルール、ルール。 ひとえにルールといえども、秩序を守るための適切なものだけに留まらず、一部の人間のエゴを含んだ質の悪いルールなんかもあったりで、幅広いバリエーション展開となっている。 判断力が未熟な子供の頃は、母と父がルールだった。そして根が真面目であるほど、それに添い遂げようとする。だが本来の自分とかけ離れているルールを度々課せられると、添いたい気持ちの裏

食正月/おせち/験担ぎと羽休め

「あけましておめでとうございます」今年は父母の他、5名の知人に新年の挨拶をした。言わずもがなLINEで。 数年前は携帯を所持しておらずLINEもやってなかったのに、今やしっかり現代味が染みに染みた生活をおくってる。年賀状は一通だけ書いた。 夫とは「明けたね」くらいのやりとりはあった気がするが、もう元旦から5日も経っているので明確に覚えてない。 残りの出来事もだんだん記憶が薄れていく。 既にうろ覚えの年末年始を、うろ覚えのうちに振り返っておこうと思う。 🙈大晦日 2023/

家ラーメン/のり壁

私ほど家ラーメンに馴染みのない人間はいないかもしれない。外食好きでグルメの父の影響で、ラーメンは外で食うものという認識で育った。 サッポロ一番🎶は家にあったかもしれないが、自ら進んで食べた記憶はない。両親が作ってくれた記憶もない。 チキンラーメンは割と食べた気もするけど、困った時の最後の砦的存在だったと思う。 最もよく食べたラーメンはブタメンだと思う。駄菓子屋でよく食べたあの頃は色々パンパンだった。 中2の秋頃、何かの始まりのような音が鳴った気がして、受験勉強と減量生活を

割れる卵黄/かけた前歯

私の右前歯は欠けている。小学2年生のとき、公園で口を開けた状態で転倒。遊具に歯を打ち付けてしまったのだ。残念なことに永久歯だった。欠けた部分はプラスチックのようなもので補われている。私が口を開けるたびに、プラスチックだけが見られているような気分になる。 このプラスチック部分は日々汚れる。夫との何気ない会話で口を開けガハハと笑ったところ、「前歯、汚いんじゃない?」と指摘された。どんなに素敵な笑顔を振りまいても、みんなの視線はプラスチックにいく。それでも私は笑い続ける。 かく

まーさんの煮物

祖母は親族から「まーさん」と呼ばれている。まーさんも自分を「まーさん」と言う。一人称がまーさんなのはきっと祖母だけだ。 私の母(まーさんの娘)が人前でのママ呼びが恥ずかしくなり、「ママさん」→「マーさん」と誤魔化して呼ぶようになったのが由来。 両親は共働きで一人っ子だった私は、両親が帰宅するまでの時間をまーさんの家で過ごし、夜ご飯も食べさせてもらっていた。小学校低学年の頃は、ぱーさんも一緒にご飯を食べていた。祖父である。ぱーさんとは蹴り合いの喧嘩をするほど仲が良かったが、突

久しぶりの卵かけご飯は、真黄色だった

共働きだった両親は、家を出るのが早朝だった。満員電車を避けるためと、電車内の椅子取りゲームで確実に勝利するためだ。 そんな工夫あってか、20年くらい経った今も元気でなんとかやっている。人生のうち、不快な時間をいかに削ぎ落とせるかが健康寿命に直結しているかもしれない。(父は病気がちではあるが。) 両親不在の朝、私は冷蔵庫にあるもので朝ごはんを食べた。そのバリエーションの一つが、卵かけごはんである。小さい頃から馴染みはあるが、簡単すぎる故、大人になるにつれてだんだん食べなくなっ

一生飽きない献立「焼き茄子 on the 麺」

一昨日、なすのイラストの下に「きゅうり」と書いてあるTシャツを着た男性とすれ違った。一瞬でも「きゅうりかも」と思わせるような柔和な微笑を無償で振り撒いていた彼につられて、夫と二人で笑ってしまった。 なすでもきゅうりでもどっちでもよくなる雰囲気をまとっていた彼からは、拍子抜けするくらいの平和を感じた。そして「絶対にきゅうりではない」という事実が状況を面白くさせていた。面白Tシャツをここまで自然に着こなしている人を、初めてみた気がする。 もしかしたら壮絶な人生を歩んできたかも

丸ごと坊ちゃんかぼちゃグラタン

ハロウィンが近い。世の飲食店はかぼちゃ一色に染まりつつある。かぼちゃを使ったメニューが一斉に売り出されるこの時期は、かぼちゃ好きにとって1年で最も忙しい。言わずもがな、私のかぼちゃ欲にも拍車がかかっている。 かぼちゃへの偏愛を発揮できる季節が到来したというのに、今わたしのガッツは大変枯渇している。こんなにも大事な時期だというのに、どうも一人で外食する気力がない。寿司、ラーメン、カレー・・・普段なら一人でどこにでも飛んでいくのに、どうにも身体が動かない。 電車に乗り、並んで

会社をクビになりかけた人間の「家蕎麦図鑑」

丁寧な暮らしという表現をよく見かける。それも頻繁に、いろんなメディアで。わたしはというと、丁寧じゃなくていいから自分らしく力を抜いて暮らしたいなと思う。もちろん丁寧であるにこしたことはないが。 今の暮らしをあえて言葉にするなら、“体調不良にならないための慎重な暮らし”と思う。「丁寧」と「慎重」とではわけが違うし、皆が憧れるのは丁寧の方だろう。私としても慎重な暮らしを人様に勧める気にはならない。 別でも書いたが、先月会社から契約終了を宣告された。単刀直入に、クビである。私以