家ラーメン/のり壁
私ほど家ラーメンに馴染みのない人間はいないかもしれない。外食好きでグルメの父の影響で、ラーメンは外で食うものという認識で育った。
サッポロ一番🎶は家にあったかもしれないが、自ら進んで食べた記憶はない。両親が作ってくれた記憶もない。
チキンラーメンは割と食べた気もするけど、困った時の最後の砦的存在だったと思う。
最もよく食べたラーメンはブタメンだと思う。駄菓子屋でよく食べたあの頃は色々パンパンだった。
中2の秋頃、何かの始まりのような音が鳴った気がして、受験勉強と減量生活を同時スタート。誰かが勝手にスイッチを押したように動き出し、10kgの減量と志望校合格を果たした。
今思えば、ブタメンも動き出せたきっかけの一つだったかもしれない。このピンク色のブタが、私のスイッチを押してくれたのかもしれない。
ちなみに私はいまだに自分のスイッチの場所を知らない。スイッチではない場所をだましだまし押し続けて、なんとか毎日動いている気がする。
28歳、家ラーメンの虜になる
そんな日々をちょっと支えてるのが、家ラーメンである。夫がマルちゃんか何かを食っているのが不覚にも美味そうで、実際食べたらやっぱり美味くてハマったのだった。今年から急に家ラーメンの頻度が急激に上がった。
どんなに馴染みが薄くても、すぐにハマれるのが家ラーメンの特徴かもしれない。家ラーメンといっても最近のはかなりクオリティが高い気がする。安くても結構うまい。いい値段するやつなんかはもうお店の味である。
家ラーメンは何よりも盛り付けが肝だ。味に関しては、どの市販スープも大体美味い。その味に見合う盛り付けができるかによって、その日の午後の生きるモチベーションが決まる。
盛り付けの定石
味噌ラーメン/定石①好きなものをバランスよく乗せる
盛り付けの定石①は、食いたいものをバランスを考えて乗せる手法だ。
ねぎ、わかめ、のり、めんま、卵、鶏ハム。野菜もタンパク質もミネラルもみな行儀良く並び、食うものを安心させることができる。
カレーラーメン/定石②好きなものを好きなだけ乗せる
盛り付けの定石②は、とにかく食べたいものを食べたい分だけ乗せる手法だ。食べたい分だけ、ともなると見た目の点数は下がることがある。
このカレーラーメンはいい例だ。キャベツとわかめだけ腹一杯食べれれば良いという魂胆の元、盛り付けると見た目20点のラーメンが出来上がる。
しかしその見た目に反して、満足度が高いのがこの手法の最大の特徴なのである。
「のり壁」システム導入
家ラーメンで気持ちを盛り上げることができるとしたらなんだろうか。それは「のり壁」を作るほかないと思う。のり壁はデカめの海苔さえあれば誰でもいつでもできる簡単な盛り付け手法だ。
徐々にその枚数を増やしていき、自分なりののり壁を築いてゆく。
ブラックラーメン/のり壁2枚→3枚
博多とんこつ/のり壁3枚
純蓮みそ(生ラーメン)/のり壁4枚
ついにのり壁4枚。しかしなんだろう。出てきたくなかったのにスープから生えてきたかのような、のりたちの気だるさを感じる。美とは程遠い。
のりを生かしきれなかった。このラーメン、味がかなり美味く、それもまた悲しかった。のりが良かったらもっと最高の家ラーメンになったかもしれない。ラーメンを通して、チャンスを逃しがちな人間であることが露呈した。
純蓮みそ(乾麺)/のり壁特大2枚
謝罪した方が良いレベルの見た目。だけど個人的にはこの見た目、嫌いになれないのが本音だ。どんなお店でもこんな盛り付けのラーメンは食べることはできない。唯一無二だとは思えないだろうか。
雑な盛り付けは綺麗すぎる盛り付けよりも安心感と庶民感を帯びる。そしてのりがでかいのがどんと2枚あるだけで、不思議とテンションが上がる。だんだん、我が雑ラーメンを擁護する姿勢になってきており、雲行きがあやしい。
自家製味噌ラーメン/乗り壁4枚
「自家製」という至極聞こえの良い言葉。実は自分の家で作ればなんでも自家製と名乗れるのである。ちなみにゆで卵は妙な剥け方なので、自家製ゆで卵などとわざわざ言わなくても良い。自家製は名乗りたいものだけにつければ良いのだ。
これ以上、私のようなインチキ自家製ニストが増えないことを切に願う。
インチキ自家製ニストは、のり壁4枚に落ち着いたようだ。食べやすい上に「海苔4枚も食えるのか〜」となんかあがる。6枚だと半分のりを余すことになるし、8枚だと食べづらくてのりを意識しすぎてしまう。
「のり壁は4枚が最適で最高」と言う結論に至ったが、のり壁で気持ちがあがると言う人は、私の他にいるだろうか。マイノリティ飯なのだろうか。
毎日在宅ワークなので、手っ取り早くインパクトを求めてしまう傾向にある。家ラーメン+のり壁はそれを満たせる。雑だけどダイナミックな飯は、完全在宅の暮らしによく馴染むのである。
雑な飯を顧みない人間は、自分の暮らしに馴染むなどといって、正当化するのであった。
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