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東京大学2010年国語第1問 『ポスト・プライバシー』坂本俊生

 2010年といえば、世界経済がリーマンショックから立ち直ろうとしていたもがいていた頃。この段階において、膨大な個人情報を蓄積し処理する情報システムの発達、それを活用して、一躍世界企業にのし上がった「GAFA」のビジネスモデル、そしてそれらによるプライバシーの危機、などを見事に予言したかのような出題といえます。
 また、設問(五)を解く段では、それまでの設問が伏線になっていることに気づかされ、設問構成の見事さにも感嘆させられます。

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(一)「内面のプライバシー」(傍線部ア)とはどういうことか、説明せよ。
 のっけから実は難問である。ぼんやりとはわかるが、具体的に明文化するとなると、概念を整理し、適切に一般化した言葉で表現する必要がある。
 傍線部アは体言なので、「どういうことか」という問いだが、「~のこと」という形式で答えることができる。また、この設問が問われているのは、近代以前でも、今日の情報化社会の事象でもなく、「近代」に特に重視されたものだという特質も押さえておくべきである。
 第1段落に「個人の本質はその内面にあるとみなす」「近代ほど内面の人格的な質が重要な意味をもち、個人の社会的位置づけや評価に大きな影響力をもって作用したことはなかった」とあることから、近代には個人の内面こそが重要な本質であるとされたことがわかる。
 第2段落にはさらに「個人の内面を中心にして、同心円状に広がるプライバシー」とあるので、プライバシーは個人の内面を中心にして、同心円状に広がって形成されることがわかる。
 第3段落には「自分の私生活の領域や身体のケア、感情の発露、あるいは自分の社会的・文化的イメージにふさわしくないと思われる表現を、他人の目から隠しておきたいと思う従来のプライバシー意識」とあるので、プライバシー意識とは、上記の個人の内面を中心として同心円状に形成される自己の私的事項のうち、自分の社会的・文化的イメージにふさわしくないと思われるものを秘匿したいという意識だということがわかる。
 さて、ふさわしくないものは秘匿するということは、反対に、ふさわしいと思うものはあえて秘匿する必要はないということを含意するので、言い換えれば、私事に関する情報を開示するかどうか、またどのように開示するかは当人の裁量であるということになる。
 以上のことから、「近代に特に人格の本質とされた個人の内面を中心として同心円状に形成され、その開示のあり方が当人の裁量とされた私事に関する情報のこと。」(65字)という解答例を導くことができる。

(二)「このような自己のコントロール」(傍線部イ)とあるが、なぜそのようなコントロールが求められるようになるのか、説明せよ。
 直接的な理由に該当する箇所は、第5段落の個人が自らの社会向けの自己を維持するためのものであるである。それを詳しく説明したのが、傍線部の直前の「個人の私生活での行動と公にしている自己表現との食い違いや矛盾は、他人に見せてはならないものとなり、もしそれが暴露されれば個人のイメージは傷つき、そのアイデンティティや社会的信用もダメージを受ける」である。
 私生活上の行動と自己表現との矛盾によって社会的信用が損なわれることになる背景は、さらにその直前に書かれている。「自己は個人の内面によって統括され、個人はそれを一元的に管理することになる。このような主体形成では、個人は自分自身の行為や表現の矛盾、あるいは過去と現在との矛盾に対し、罪悪感を抱かされることになる。というのも自分自身のイメージやアイデンティティを守ることは、ひたすら個人自らの責任であり、個人が意識的に行っていることだから」である。
 以上から、「自己は内面により自己責任で統括されるため、行為と表現、過去と現在の矛盾は、当人に罪悪感を抱かせ、暴露されれば社会的信用を損なうから。」(66字)という解答例ができる。

(三)「情報化が進むと、個人を知るのに、必ずしもその人の内面を見る必要はない、という考えも生まれてくる」(傍線部ウ)とあるが、それはなぜか、説明せよ。
 第7段落には傍線部ウに関する二つの理由が書かれている。まず、一つ目は「その方が手軽で手っ取り早くその個人の知りたい側面を知ることができる」であり、「その方が」とはその前の文の「個人にまつわる履歴のデータ」を見る方が、という意味であり、短く言えば「個人情報を見る方が」ということである。また、何と比較しているのかと言えば、「その人の内面を見る」よりも、ということである。
 二つ目の理由は、「(他人の主観が入り交じった内面への評価などよりも個人情報による評価の方が、)より客観的で公平だという見方もありうる」からということである。こちらの方は他人の評価についてではなく、自分の評価について述べられたものだが、傍線部の理由としても当然成り立つものである。
 つまり、内面による評価よりも、個人情報による評価の方が簡便で、しかも客観的で公平だとも考えられるから、というのが解答の骨子だが、これでは字数がやや少ない。第5段落に「(社会向けの個人の)隠蔽や食い違い」が許容されてきたと書かれていたことから、「個人の内面」の評価には、主観の影響に加え、隠蔽や矛盾という危険がつきまとうことも述べた方がより詳しいと考える。
 したがって、「個人を評価する際、主観の影響や隠蔽・矛盾の恐れがある内面によるより、個人情報による方が、簡便な上、客観的で公平だとも考えられるから。」(66字)という解答例ができる。

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