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SNSのサブスクリプションについて感じること

ソーシャル・ネットワーキング・サービス大時代

特に名も売れていない一般人の私ですら、1台のスマホを持ち、複数のSNSアカウントから情報を得ている

その情報の発信元である、私の好きなクリエイターさんたちはpixivFUNBOXというSNSで活動をしている
そんなクリエイターさんたちは、有償支援のお礼に様々な情報やデータを、このインターネットで公開している

私は好きなクリエイターさんたちを「好き」という理由だけで有償支援したいという気持ちは大いにあるし、そのお礼として限定で発信している情報にも大変興味がある

自分の収入と設定されている月額を睨めっこすると、ぶっちゃけ払える金額だ
ただし、ひとりのクリエイターさんのひとつのアカウントに限った話になる
私が有償で支援したいのは、複数のクリエイターさんたちのそれぞれのアカウントである
10人も20人も有償で支援していたら、貯金が無くなってしまうだろう
私は買いもしない宝くじにそっと希望を委ねるのであった

さて、恒例的に話がズレてしまったので戻ろう

別にpixivFUNBOXに限った話ではない
このnoteというSNSでも大手動画サイトのYouTubeにも、メンバーシップという機能がある

それら全てにいる好きなユーザーの支援者の1人になりたい気持ちがふつふつと沸いてくる中、月額というお金の枷が私につきまとう

「情報をお金で買う」って、少し前はどうだったっけ?
好きなクリエイターさんから有償支援の対価でもらうという形ではなかったはずだ

真っ先に思い浮かんだのは、平成の半ば
私は制服に身を包み、意味もなく近場のスーパーに入っている本屋さんにいた
人物画の描き方、好きな絵柄の漫画、気になるライトノベルの続きなど、今思えばイラストに関するものばかり探していたように思う
アタリの資料であれば、何度も1ページ目から捲ってイラストの参考にしていた

それは本屋さんだけじゃなくて、名古屋のポートメッセなごやでやっていたオンリーイベントに行ったときも、今より収入がなかったはずなのに財布に入れてきた諭吉分だけ薄い本やグッズを手に入れた

そうだった、私はを買って情報を手に入れていたんだ

今より収入のなかった学生時代に買い切りの本は、手に取りやすくて買いやすかった
買ってしまえば、自分のモノとして手元に残り、今後は金銭は一切発生しない

製本をしたのがプロでもアマチュアでも関係なく、私は情報を手に入れていた
平成の半ばは、確かにこれが主流だった

スマホが普及して、データ通信が活発になり、気軽に発信しやすいSNSで綴る言葉もデータで販売されるようになった
SNSのフォローする・フォローされの、個人から個人で気軽に支援しやすくなった
スマホ1台だけで支払いまで全てが完結する、簡単なお話

音楽や映像と同じ月額で、一個人の情報も簡単に収集できるようになった

ただ音楽や映像と異なり、一個人の情報に対価を払えるのか?という不安と疑問

賃貸契約は、生活するために必要だから家を借りている
Amazonプライムのような映像作品が見れるように契約しているのは、作品に触れて自分を豊かにするためだ

この規模なら対価を払えるのに、好きなクリエイターさんたちの活動を応援して自分が豊かになるための対価を支払えない自分はワガママを言っているのだろうか

インターネットで多大なる情報が手に入れられるようになった
情報の真偽を考えたり、取捨選択やをするのは自分だ
この点だけはワガママではないはずだ

クリエイターさんたちも、お金をかけて作品を作っている
その価値ある情報を無料で見せて欲しいとは思わない

それでも月額という「これからずっとかかっていくお金」で、真偽問われる「一個人の情報」を買えるのだろうか?

そんな不安の枷に私は付きまとわれ、これからも好きなクリエイターさんに有償支援ができないことに葛藤していくのだろう

おわり(むりやり)

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