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アスノヨゾラ哨戒班についての「ひとり」ごと

先に言及しておく。独り言である。

私は、中学生の頃初めてこの歌を聞いた。そう、このページのタイトルにもなっている、Orangestarさんの「アスノヨゾラ哨戒班」だ。まだ聞いていない方がいれば、このnoteを読む前に読むことを進める。
では、ここからは、このアスノヨゾラ哨戒班の歌詞について考察していく。考察という大それた表現を使っているが、中身は一個人としての解釈である。これについては、このnoteを読むにあたって、承知してほしい。

今の時刻といえば、2023年4月23日(日)23時だ。いつものように研究室から帰ってきた私は、自分ではどうしようもないような不安を抱えていた。その不安とは、ぶっちゃければ、世の中に対するもの、自分に対するもの、将来に対するもの、数えきれないけど、ただそれだけの悩み、不安である。そう、たくさんあるのだ。しかも、その悩み(敵)は無数にいるのだ。

この悩みたちと戦い、明日が嫌になった。もう明日が来ないで欲しかった。私の研究は「羽ばたき飛行ロボット」の開発である。これは、なぜかというと、中学生の頃に初めて聴いたアスノヨゾラ哨戒班の影響であろう。あのMVの美しさ。今でも、言葉を失う。この曲が私の人生を変えた。そういっても過言ではない。

そんな思い出の曲にまさか、自分の気持ちが救われることになるとは思わなかった。中学生から、どの曲よりもたくさん聴いてきた。それは間違いない事実である。だって、美しいから。そして奥深かった。わからなかったのだ。何がかといえば、歌詞だ。その不思議な世界観がわからなかった。

そして、月日は流れ、大学2年になった私は研究を始め、たくさんの人と関わり、社会や現実の閉塞感に苛まれていた。その閉塞感は、自分が将来について考えた際に強くでた。強い強い絶望感。

帰ってきて、聴いたこの曲に救われた。

自分語りが過ぎただろうか。本題に入ろう。
いかに歌詞を引用する。

気分次第です僕は
敵を選んで戦う少年 叶えたい未来も無くて
夢に描かれるのを待ってた
そのくせ未来が怖くて
明日を嫌って 過去に願って
もう如何どうしようも無くなって叫ぶんだ
「明日よ!明日よ!もう来ないでよ!」って
そんな僕を置いて 月は沈み陽は昇る
けどその夜は違ったんだ 君は僕の手を

空へ舞う 世界の彼方 闇を照らす魁星
『君と僕もさ、また明日へ向かっていこう』
夢で終わってしまうのならば
「昨日を変えさせて」
なんて言わないから
また明日も君とこうやって 笑わせて

ずっと理解できなかった「敵」は自分であり、将来であり、現実であった。そう任意のものである。それは研究なのかもしれない。成績なのかもしれない。私を悩ませる本当に全部。しかも、その「敵」を気分次第で選んできた。

それによって、苛まれ、結果的に「明日よ!明日よ!もう来ないでよ!」って叫ぶんだ。明日への、未来への閉塞感、絶望感。それでも残酷にも、明日は来てしまう。

その悩み、敵をものともしない。ここでは、相手にしない「君」がいたんだ。だって、私の悩みは私が作り出した「敵」だったんだ。それに気づいたとき、すごく楽になった。だって、「敵」は敵じゃなかったんだ。「敵」を作っていたのは、私自身だった。

こんな簡単なことにも気づけない私の幼稚さに乾杯。気づけた自分に乾杯。
今日は人生において、きっと良い日だろう。

だから、いこう。明日へ。

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