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趣味とtasteと「考える」と言葉

taste

趣味について少し書いてみよう。 というのも、知人と趣味について話しててなるほどと思うことがあったからだ。

趣味ってもっと頑張らないといけないものだと思ってた。 思ってたより気楽で合った。

「趣味」という言葉に囚われていたのかもしれない。

趣味じゃなくて、tastsという言葉の方がずっといい。 ただ、ほんの好き。ちょっとニヤってしちゃう。 なぜかわからないけど、これいいなぁってなっちゃう。

そんな状態、そういう風にしてくれるものをtastesと言おう。

蛇足かもしれないが、私が想定しているtasteの意味を以下に引用しておく。

a person's liking for particular flavors 

New Oxford American Dictionary

ここでは、特に香りと限定しているが、個人的にこの概念は拡張していいと思っている。また、言葉に対して、少し寄り道をしておこう。

「考える」と「思う」

大学では、前者を善とし、後者を悪とする風潮がある。 でも、それって少し変だと思う。同じ言葉じゃないかと。

少し前の自分だったら、間違いなく、大学的な考えであっただろう。 でも、どうだろう。自分と向き合えば向き合うほど、感性について 感じ方について考えるほど。

いや、それだけじゃないだろう。 研究だってそうだ。本当に「考える」と言えることにしか価値はないのだろうか。

私は、自分の研究を通して、「思う」ことにこそ、価値があると思う。

まぁ、また詳細についてはいつか書いてみよう。 話を戻そう。

言葉の奴隷

私たちは、言葉に囚われている。 言葉でしか、表せない。 言葉を通してしか、考えることができない。

そう私のように。 趣味とtastesでどんだけその重さ、考え方が変わったことか。

そんな、ちっぽけですごく大切なことを教えてくれた知人に感謝。

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