創立70周年特別寄稿『東映行進曲』

映画から始まり、時代の荒波にもまれながらも「何でもあり」の精神で突き進んだ東映娯楽事業…

創立70周年特別寄稿『東映行進曲』

映画から始まり、時代の荒波にもまれながらも「何でもあり」の精神で突き進んだ東映娯楽事業の系譜を、創立70周年の節目に振り返ります

最近の記事

134.第5章「映画とテレビでトップをめざせ!不良性感度と勧善懲悪」

第17節「東映子供向けドラマ 東映特撮 東京12CH編」 1964年4月に関東地区にて放送を開始した東京12チャンネル(現テレビ東京)は、日本科学技術振興財団が立ち上げた通信制の授業を放送することを目的に開局した「科学テレビ」と呼ばれる放送局でした。  1967年11月から20%の割合で娯楽番組も放送できるようになります。  東映も、月曜21時からの1時間枠用に、東映東京制作所(制作所)で女性アクションドラマ『プレイガール』(1969/4/7~1974/9/30 全287話)

    • 133.第5章「映画とテレビでトップをめざせ!不良性感度と勧善懲悪」

      第16節「東映子供向けドラマ 東映テレビプロ特撮 NET・ANB編」 1972年7月、NET系土曜19時30分枠の大ヒット番組『仮面ライダー』(1971/4/3~1973/2/10 全98話)に続く20時枠で、等身大ロボット特撮『人造人間キカイダー』の放映が始まります。  前枠の『仮面ライダー』は東映東京制作所の生田スタジオにての制作ですが、『人造人間キカイダー』は東映東京撮影所(東撮)にある東映テレビ・プロダクション(テレビプロ)の制作でした。  今回は、東撮のテレビプロで

      • 132.第5章「映画とテレビでトップをめざせ!不良性感度と勧善懲悪」

        第15節「東映子供向けドラマ 生田スタジオ特撮 後編」 前回に続き、今回は内田有作退社後に東映生田スタジオで作られた東映特撮作品を紹介いたします。 ⑦ NET系土曜19時30分『秘密戦隊ゴレンジャー』(1975/4/5~1977/3/26 全84話) 1975年4月、NET(現テレビ朝日)は、関西地区において毎日放送(MBS)から朝日放送(ABC)にネットチェンジしました。  これによってNETは、MBS製作土曜19時30分枠の人気番組「仮面ライダーシリーズ」の放映がなく

        • 131.第5章「映画とテレビでトップをめざせ!不良性感度と勧善懲悪」

          第15節「東映子供向けドラマ 生田スタジオ特撮 前編」 1971年、東映東京制作所(制作所)関連事業室長の内田有作は、川崎市の郊外にあった細山スタジオを借り「東映生田スタジオ」(生田スタジオ)を設立しました。  そしてこのバラック建ての倉庫のような撮影所から、日本のテレビ史に残る大ヒットシリーズ「仮面ライダー」や「スーパー戦隊」シリーズの先駆けとなった『秘密戦隊ゴレンジャー』が誕生します。  また二大ヒーローシリーズの他にも、東映本社テレビ部のプロデューサー平山亨は、197

        134.第5章「映画とテレビでトップをめざせ!不良性感度と勧善懲悪」

          130.第5章「映画とテレビでトップをめざせ!不良性感度と勧善懲悪」

          第14節「東映子供向けドラマ 昭和ライダーシリーズ 後編」2.第2期MBS「仮面ライダー」シリーズ(東映東京制作所・東映映像制作)  東映東京制作所(制作所)の特撮ドラマ『宇宙鉄人キョーダイン』(1976/4/2~1977/3/11 全48話)、『大鉄人17』(1977/3/18~11/11 全35話)と続いて放映されたMBS系金曜19時枠は、その後アニメ番組が放映されます。  『仮面ライダーストロンガー』から3年間のブランクを経た1979年10月、待望の「仮面ライダー」シ

          130.第5章「映画とテレビでトップをめざせ!不良性感度と勧善懲悪」

          129.第5章「映画とテレビでトップをめざせ!不良性感度と勧善懲悪」

          第14節「東映子供向けドラマ 昭和ライダーシリーズ 前編」1.第1期MBS「仮面ライダーシリーズ」(東映東京制作所・生田スタジオ)  現在、テレビ朝日系にて放送中の『仮面ライダーガッチャード』はテレビ朝日と共に製作しています。  これまで50年以上続く「仮面ライダーシリーズ」は、当初、東映と大阪の毎日放送(MBS)との共同製作で始まりました。 ① 『仮面ライダー』(1971/4/3~1973/2/10 全98話)  第1作『仮面ライダー』は1971年4月3日から関西地区

          129.第5章「映画とテレビでトップをめざせ!不良性感度と勧善懲悪」

          128.第5章「映画とテレビでトップをめざせ!不良性感度と勧善懲悪」

          第13節「東映子供向けドラマ NET・テレ朝金曜19時30分枠編」 東映は、1959年2月に日本教育テレビ(NET)を開局する前、テレビドラマ制作のために東映テレビ・プロダクション(旧・テレビプロ)を設立し、京都撮影所(京撮)にて『風小僧』、東京撮影所(東撮)にて『捜査本部』を制作。『風小僧』は1958年12月2日から西日本放送、『捜査本部』は12月27日から東海テレビにて初めてテレビ放映されました。  『風小僧』は、NET開局後、火曜19時枠にて1959年2月3日から12月

          128.第5章「映画とテレビでトップをめざせ!不良性感度と勧善懲悪」

          127.第5章「映画とテレビでトップをめざせ!不良性感度と勧善懲悪」

          第12節「テレビ事業拡大 東映テレビプロ刑事ドラマ後編」 1980年、東映東京撮影所(東撮)にあるテレビドラマ制作会社東映テレビ・プロダクション(テレビプロ)では、1977年にテレビ朝日(ANB)で始まった『特捜最前線』が高視聴率を維持、好評のまま続いていました。  また、1965年に同じく東撮内に設立されたテレビドラマ制作会社東映東京制作所でも、1975年からTBS系にて始まった『Gメン’75』が大ヒット、シリーズ継続中でした。  今回は、この後の1980年代から東撮内で制

          127.第5章「映画とテレビでトップをめざせ!不良性感度と勧善懲悪」

          126.第5章「映画とテレビでトップをめざせ!不良性感度と勧善懲悪」

          第12節「テレビ事業拡大 東映テレビプロ刑事ドラマ前編」 1958年7月、東映は翌年開局予定の日本教育テレビ(NET)で放映するテレビ映画制作のため、東映テレビ・プロダクション(旧テレビプロ:翌年11月第二東映に改組)を設立しました。  そこから現在まで続く東映東京撮影所(東撮)刑事ドラマの歴史が始まります。 1.東映東京地区刑事ドラマのはじまり  ① 旧テレビプロ制作『捜査本部』波島進主演(NET系金曜21時45分 30分ドラマ:1959/4/6~6/26:全13回)

          126.第5章「映画とテレビでトップをめざせ!不良性感度と勧善懲悪」

          125.第5章「映画とテレビでトップをめざせ!不良性感度と勧善懲悪」

          第11節「東映 一般洋画配給進出 後編」4.東映ユニバースフィルム『隣の女』『迷プレ・珍プレ大百科‼アメリカン ブルーパーズ』『カルメン』大ヒット  東映洋画配給部が『人類創生』の不入りで洋画大作の輸入配給の断念を決定づけた1982年6月。  東映ユニバースフィルムは、セントラル・アーツが製作した『世界の空軍 ATRFORCE’82 ドッグファイト』(河辺和夫監督)を配給公開します。  この作品は、東映洋画配給部が企画し1976年11月に東映ビデオ製作にて公開し大ヒットした

          125.第5章「映画とテレビでトップをめざせ!不良性感度と勧善懲悪」

          124.第5章「映画とテレビでトップをめざせ!不良性感度と勧善懲悪」

          第11節「東映 一般洋画配給進出 前編」1.東映洋画配給部、洋画大作配給進出  1980年1月、東映社長岡田茂は大手興行会社東急レクリエーションの社長に就任します。  これによって東映は、松竹と共に洋画系のSTチェーンの一翼を担う東急レクリエーションとより密接な関係を構築することが可能となり、ここから洋画配給部は一般洋画配給への進出に乗り出しました。  11月、東映洋画配給部はジャン・ポール・ベルモンド主演『警部』などフランス映画6作品を輸入し東映直営劇場にて「フランス・

          124.第5章「映画とテレビでトップをめざせ!不良性感度と勧善懲悪」

          123.第5章「映画とテレビでトップをめざせ!不良性感度と勧善懲悪」

          第10節「1980年代東映配給香港映画」1.東映配給ジャッキー・チェン主演映画大ヒット  1970年代中盤、東映は香港ゴールデン・ハーベスト(G・H)社製作のブルース・リー主演映画を配給し、日本におけるカンフー映画ブームの一翼を担いました。  その後東映はカンフー映画の輸入ばかりでなく、千葉真一主演空手映画などの輸出を通じ、香港映画界と密接な関係を築きます。  そして、1970年代の終わりに新たなカンフースターを見出しました。 ①1979年7月東映公開『ドランクモンキー

          123.第5章「映画とテレビでトップをめざせ!不良性感度と勧善懲悪」

          122.第5章「映画とテレビでトップをめざせ!不良性感度と勧善懲悪」

          第9節「プロデューサー黒澤満 東映ニューアクション ④あぶない刑事と長渕剛」8.舘ひろし、柴田恭兵、仲村トオル、浅野温子『あぶない刑事』誕生  『ビー・バップ・ハイスクール』の大ヒットで始まった1986年。セントラル・アーツからもう一つの大ヒットシリーズが誕生します。 〇 NTV『あぶない刑事』(1986/10/5~1987/9/27)  1986年10月7日、日曜夜9時から日本テレビ(NTV)系で『あぶない刑事』(1986/10/5~1987/9/27)が始まりまし

          122.第5章「映画とテレビでトップをめざせ!不良性感度と勧善懲悪」

          121.第5章「映画とテレビでトップをめざせ!不良性感度と勧善懲悪」

          第9節「プロデューサー黒澤満 東映ニューアクション ③仲村トオル」7.セントラル・アーツ「仲村トオル」大活躍  1986年5月、正月映画『ビー・バップ・ハイスクール』(那須博之監督)の大ヒットを受け、那須真知子脚本、那須博之監督、仲村トオル、清水宏次朗、中山美穂、宮崎ますみ(萬純)など同じメンバーが出演する第2作『ビー・バップ・ハイスクール 与太郎哀歌』の製作が発表されます。  公開に先立ち東映映像事業部は、人気が爆発した主演の仲村トオル写真集『トオルがトオル』を発行、

          121.第5章「映画とテレビでトップをめざせ!不良性感度と勧善懲悪」

          120.第5章「映画とテレビでトップをめざせ!不良性感度と勧善懲悪」

          第9節「プロデューサー黒澤満 東映ニューアクション ②東映セントラルフィルムからセントラル・アーツ」4.東映セントラルフィルム、独立プロ作品全国配給に貢献  1980年11月11日、東映ビデオは映画、テレビ制作子会社セントラル・アーツを設立、元日活撮影所長で東映ビデオの嘱託プロデューサー黒沢満が社長に就任します。  これまで黒澤の映画を製作配給してきた東映セントラルフィルムは、セントラル・アーツ設立後、部長の中西晃を中心に独立プロ作品を積極的に配給、東映シネマサーキット(

          120.第5章「映画とテレビでトップをめざせ!不良性感度と勧善懲悪」

          119.第5章「映画とテレビでトップをめざせ!不良性感度と勧善懲悪」

          第9節「プロデューサー黒澤満 東映ニューアクション ①松田優作と舘ひろし」 1.東映セントラルフィルム設立、松田優作・舘ひろしブレイク  1977年12月1日、岡田茂社長は、この年4月に日活を退社した黒澤満(みつる)をスカウトし、東映芸能ビデオ製作部の嘱託として雇用します。  黒澤は、1955年に早稲田大学を卒業し日活に入社。大阪の梅田日活の劇場職から劇場支配人、宣伝を経験した後に製作職に転じ、ロマンポルノ時代に製作部長、撮影所長として低予算映画を量産することで数多くの若

          119.第5章「映画とテレビでトップをめざせ!不良性感度と勧善懲悪」