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仕方がないよね

「児童を虐待するなんて、酷いですよね。」
「あたりまえだ。なんでそんな事聴くんだ。悪いに決まっているだろう。」
「環境破壊が深刻になっていますね。」
「とんでもない事です。大問題でしょう。自然は大切にしないと。」
誰に訊ねても、きっとほとんどの人はこんな風に答えるのではないかと思う。
そういった考えを持つ人に、更にこんな質問をしてみたい。




「多くの大手メーカーや有名ブランドのチョコレートは、子どもを虐待する事で作られています。誘拐されたアフリカの子どもたちや貧困に喘ぐ子どもが、過酷な労働条件下でつくっているものです。今日はバレンタインデーですが、そのチョコレートは大切な人に相応しいですか。義理チョコって、そうまでしてあげたいものでしょうか。」


「多くの大手スーパーなどで市販されている食品のほとんどは、化学肥料や猛毒の農薬を使用して作られたものです。そういった作物の農地は汚染され疲弊し生態系に重大な悪影響を及ぼし再度利用することが困難です。だから農地を拡大するために膨大な広さの森林が伐採されています。それでもその食品を買いますか。」


こんな云い方で詰め寄られたら、さぞ気分が悪いに違いない。せっかくのバレンタインデーに水を差すなんて、と叱られるかもしれない。しかし、そういった気分の悪さと児童虐待や重大な人権侵害、止まらない環境破壊と比べてみたら、どう感じるのか。
「そんな事云ったって、仕方がないじゃないか。」
そう、仕方がないのだ。だって、便利なんだもん。安いんだもん。美味しいんだもん。今までそうしてきたんだもん。そんな事、知らないもん。




ナチスドイツでユダヤ人の大量虐殺に大活躍したアドルフ・アイヒマン。彼は、約600万人のユダヤ人を効率的に虐殺するシステムの構築に、優れたリーダーシップを発揮した。戦後囚われたアイヒマンの裁判を傍聴し、彼の証言を分析した政治哲学者のハンナ・アーレントは、その著書「エルサレムのアイヒマン(悪の陳腐さについての報告)」に、
「悪とは、システムを無批判に受け入れることである」と書いた。


裁判に現れた大悪党である筈のアイヒマンは、悪党らしい冷酷で邪悪な姿をしておらず、そこらへんにいる平凡なさえない男だったそうだ。オレは悪くないんだ、上司の言い付けを守っただけなんだ、仕方ないだろう?とアイヒマンは主張したという。




システムに組み込まれた子どもの誘拐、過酷な労働、大地の汚染、過剰な生産、貧困、暴力。そしてそれらの意図的な無可視化。何気ない日々の生活の中に、何も知らされずになされるこれだけの悪事。最悪の悪事は、凡庸と無関心と平凡な日常のなかに淡々と折り込まれているのだ。




「仕方がない」、「知らなかった」、「そんな事云ったって」。
それは、とんでもない悪事へ自動的に効率よく加担するための優れたキーワードだ。

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