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あれ、誕生日ってそんなにビッグイベントだっけ?

LINEやFacebook、WhatsApp、Messengerでいろんな人からお祝いのメッセージをもらった。ありがたい。うれしい。だってこういうことしてくれるのって外国の女の子なんだもの。男友達からももちろんうれしいけれど。

最近やりとりしてたバンコクのお嬢さんはぼくの誕生日を入念に確認した上で何もなかったからやきもきしたりもしたけれど、それすらも楽しかった。

東京にいたときはお祝いのメッセージなんて送ってこなかった母からも連絡が来てびっくりした。ぼくの中では東京もセントビンセントも地元の淡路島からは遠くて、簡単に帰省できない点では同じなんだから何ら違いはないのだけど、やはり海外は母にとっては特別で心配なのかもしれない。

来年は妹からもメッセージ届きそうだなと思っていたら、留学でセントビンセントに来てるナイジェリアン女子から電話がかかってきた。

ぼく何か悪いことしたか?あれ?ぼく何も約束してないよなとか思いながら恐る恐る電話にでたら、ハッピーバースデーのお祝いの電話だった。

びっくりした。

Whatsappでメッセージも送ってくれてたし、何より彼女の声はガラガラでスナックのママみたいだったから。たぶん前日までバカンスで訪れてたバルバドス(歌手のリアーナの出身地)で派手に遊んだんだろうけれど、そんなコンディションで知り合って間もない東洋人にかけてくれるんだと思った。

今日は何するの?って聞かれたから、何もしないただゆっくりするだけ、友達からのメッセージにニヤニヤするだけだよと答えた。前日の夜にディナーで祝ってもらっていたから誕生日っぽいことはそれで十分なのだ。

そしたら、彼女は誕生日はいかに特別な日かを饒舌に語り始めた。

あたしの誕生日なんてママが時差なんてお構いなしに電話をかけてくるのよ。こっちは早朝で困っちゃうんだけど、祝福されてるって気がするの

なんて言いながら、年に1回の誕生日なんだから日常じゃないなにか特別なことをすべきだと言った。

言わんとしていることはわかるけれど、29回目なんだよ。去年だってその前だって変わらずやってきたし、来年も何も変わらずぼくの誕生日はやってくる。

初めてのことじゃないからそこまでテンション上がらない。ほぼ平穏。

なんなんだろう。

宗教的な価値観の違いなのかな。

文化的なものなのかな。

もちろん、祝われるのは普通にうれしいんだけれど、ぼくとのそのテンションのギャップにびっくりしてしまう。

昔、ちょっと考えてたのは、誕生日とか、日本なら七五三とかをお祝いするのは、昔はその年齢まで生き延びることが難しかった、乳児死亡率が高かったからなんだろうなと。日本で生活してたら、なかなか死なないなと当時考えていて、もはや誕生日だからってちょっと高い出費をさせる言い訳にしかならないんじゃないかなと(それは決して悪いことではない)。

で、途上国なら乳児死亡率は改善してるとは言え、先進国レベルではないし、人って簡単に死んでいくんだなという実感がある。

昨日まで道端でよく話してた青年が、最近見ないなと思ってたら事故や病気で亡くなってたとか平気である。

平均寿命が短い国は乳児死亡率が高いからというのはよく言われていることだけれど、それ以外でも若者を含む大人が事故や病気で突然亡くなってしまうリスクは先進国より高い。

そういう背景があって、ナイジェリアン女子は誕生日っていうのはいくつになっても特別なんだよ、当たり前じゃないんだから祝わないといけないんだよって言いたかったのかもしれない。

そっか、今ぼくはその途上国にいるから、死ぬリスクって日本にいるより高いんだ。

忘れてた。いま温室にいないんだった。

母もそのことを無意識的に感じてたから、お祝いのメッセージを送ってきたのかもしれない。

うっかりしてた。

ここは日本じゃない。

しっかり祝うべきだったなぁ。

今年も1年、なんとか生き残った!って。

それに、なにもしてないのに無条件に祝われるって誕生日以外ないもんね。

それだけでも特別だね。

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