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#5.孤独と作詞

―連載マガジン『ポンコツだらけの音楽会~私の夢の叶え方』第5話。
全話はこちら第1話第2話第3話第4話

中学に入り、私は陸上部に入部した。
すごく入りたかったわけではなく、仲の良い先輩に誘われ断り切れずの入部だった。(本当はバスケ部に入りたかった)

この頃の私は、なんでもはっきり言ってしまう性格で
好き嫌いがはっきりしていた。
そのせいで、中学入学早々にいじめられることになる。

私が仲良くしていた女子グループの何人かが、
陸上部にいる先輩の悪口を言っていた。
陰では悪口を言っているのに、先輩の前では煽てている姿が
当時の私には滑稽に見えていた。

そして、ある日。
私はその先輩から誰かが悪口を言っていないかと
相談をされてしまった。

大人になればわかることだが、
この場合「悪口なんて聞いてませんよ」と言うのが
いざこざ回避の得策だと思う。
でも、この時の私はそんな事も考えず
悪口を言っている人がいると話してしまった。

数日後、悪口を言っていた友達はその先輩に呼び出され
怒られてしまった。

そしてその翌日、今度は私が呼び出された。
なぜ、悪口を言っていると言ったのか?
言っていないことまで、でっち上げて話すな、と。

私は悪口を言っているとは話したが、どんなことを言っているかまでは話していないし、そもそも嫌いなら煽てる必要なんてないのではないか?と言い返してしまった。

その次の日から、私はこのグループから無視されるようになった。
これだけなら大したことはない。
でもこの女子グループは学年内でもリーダー格のようなグループで、
各クラスの男子や他のクラスメイトとも仲が良かった。

結果、私はクラス全員から無視されるようになった。
挨拶しても目を合わせてくれなくなり、
ペアでの実験や準備運動すら避けられた。
下校時には、「馬顔おんな!馬顔おんな!」と
背後からこそこそと言われ続けた。

昼休みには話す相手がいなかったので、
寝たフリをしていたこともある。

泣いたら敗けだと思っていたので、
学校では一度も泣くことはなかった。

この頃、私の心の支えは
当時『歌姫』と呼ばれていた浜崎あゆみだった。
あゆの歌が唯一の救いで、学校に行く原動力だった。

あゆに影響を受けた私がこの時夢中になったもの。
それは作詞だった。

曲が書けるわけではないし、
どこかに披露するわけでもない。
ただただ、今の気持ちを表すのに作詞が一番しっくりときていた。

苦しくて悲しくて
泣きだしたい気持ちを詞にした。
英語辞書で色んな単語を探し、それをタイトルにした。
気づけば大学ノート1冊分ほどの詞を書いていた。

いつだったか、友達を思って作詞をしプレゼントしたことがある。
それを何年もお財布に入れて大切に持っていてくれたことがあった。

「辛いことがあると、これを読むんだ。すごく救われる」

その友達はそう言ってくれた。
今でも忘れない。

学校に行っても居場所がない私にとって、
作詞をすることは夢中になれることだった。
曲がなくても、発表することがなくても
誰かひとりが喜んでくれたり、笑顔になってくれることが
たまにあればいい。

作詞は私が私自身の手で創れる
唯一無二の世界で、居場所だった。

作詞と向き合ったことで、
私はまたステージへの憧れを持つようになった。


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