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「遠野物語」のカッパ(2)Y字路【河童⽂献調査考察】

はじめに

私、⼾⾼⽯瀬のライフワークは、全国各地の河童伝承を収集することである。既に数多の⺠俗学研究者によりしゃぶりつくされた「河童」という怪
異。現代においては⼀般化されたイメージが定着した上で、忘れ去られようとしている。
これまでのローカルな活動(ZINE等)では、⽂字数の関係で原⽂を引⽤掲載できなかった。しかし本⾳では、原⽂を正確に蓄積し、いつでも参照できるようにしたかったのだ。
超ローカルな⽂献をあさっていると、河童伝承がメインでなはないもののほうが多い(〇〇地区の昔ばなし、など)。これら膨⼤な量の書籍を個⼈所有するには限界がある。そこでNOTE活⽤を思いついた。
このシリーズ【河童⽂献調査考察】では、原⽂から引⽤し、客観的考察と個⼈的感想、内容に応じて話題を広げていく。
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まずは第⼀弾として、王道中の王道、遠野物語。⻘空⽂庫に公開されているが、個⼈的には出版書籍を読んでいただきたい。縦書き・明朝体・組版された紙⾯。淡々と記載される怪異と⽣活の混沌。戦慄。京極夏彦による現代語版の書籍や絵本も⾯⽩い。

「遠野物語」とは

明治43年(1910年)に発表された、岩⼿県遠野地⽅に伝わる様々な逸話、伝承を記した説話集。⺠話蒐集家兼⼩説家の佐々⽊喜善きぜんが語った内容を、柳⽥国男が筆記・編纂した。⽇本の⺠俗学の先駆けと称される。佐々⽊喜善は「⽇本のグリム」と呼ばれ、⺠話収集オタク学者を語る上で⽋かせない存在である。

カッパの子が消えた話

上郷村の何某の家にても川童らしき物の子をみたることあり。たしかなる証とてはなけれど、身内みうち真赤まっかにして口大きく、まことにいやな子なりき。いまわしければてんとてこれを携えて道ちがえに持ち行き、そこに置きて一間ばかりも離れたりしが、ふと思い直し、惜しきものなり、売りて見せ物にせば金になるべきにとて立ち帰りたるに、早取り隠されて見えざりきという。
 ○道ちがえは道の二つに別かるるところすなわち追分おいわけなり。

柳⽥国男「五六」『遠野物語・⼭の⼈⽣』岩波書店 1976年

客観的考察

今回の河童定義ポイント〜消えるの早すぎ〜

河童伝承において興味深いのは、地元⺠が何をもって「それ」を河童と判断したのか、という点である。河童伝承それぞれで定義が違う。また、河童⾃⾝が「おれはカッパだ」と名乗る話はきわめて少ない。

今回の話においては、何某の家で「カッパらしきものの子が産まれた」、「確かな証拠はないけれど」と前置きがある。
そのうえで、以下の特徴を挙げる。

  1. 子は、身内(からだじゅう)が真っ赤で口が大きかった。

  2. 本当にいやな子だった。忌まわしいと思った。

  3. 棄てたあと、一間離れてから、思い直して戻ると消えていた。

1.は赤ちゃんが赤かったと言う当たり前な報告である。
また口の大きさについては、口唇口蓋裂などが思いつく……現代では治療方法が確立されているが、初見であれば驚くのも無理はない。それ以外の理由でも、単に口が大きいという個人差があって何もおかしくはない。

2.「いやな」「忌まわしい」とはどういう印象か。

【嫌な(いやな)】対象を不愉快に思っているさま、避けたいと思っているさま、良くないと思っているさま、などを意味する表現。

実用日本語表現辞典

【忌まわしい(いまわしい)】不吉だ。縁起が悪い嫌な感じである。不愉快である。

デジタル大辞泉

とにかく嫌悪感が強く、手離したい衝動にかられたことがわかる。

3.ここで一間(いっけん)という長さの単位が出てくる。
1間(いっけん)は約1.8メートル。だいたい畳の長辺くらいであると考えると、存外、近距離で見失ったのだ。獣や人が持ち去れば、五感でわかる距離。しかし「取り隠されて見えざり」。
この点について、何が起こったのか説明ができない。まさに戦慄である。

カッパ新生児への対応~Y字路に棄てる~

忌まわしくて追分に棄てたが、惜しくなって取りに戻ると消えていたという。

「道ちがえ」=「追分(おいわけ)」は、道が二股に別れるところである。三叉路、Y字路、二股の道。このロケーションについては特筆すべき習俗がある。

「関東」から「南東北」にかけては、かつて「馬」などの家畜が死んだとき、それを葬るに当たって特殊な習俗があり、どこもかしこもと云う訳ではないのだろうけれど、かなり広い範囲で、家畜などの死体を辻や三叉路の俣、あるいは単に路傍や河原などに埋めたりしたようで、多くの場合、墓標として二股に分かれた生木の卒塔婆を立てたりしたと云うのである。「馬」の場合は、よく知られているように「馬頭観音」の石碑などを建てることもあったが、「犬」の場合は既に記した二股の卒塔婆を立てるのが専らだった。このような卒塔婆を、俗に「犬卒塔婆」と云うのは、このためであるとされる。

猫の神様を求めて 「福島県の猫神・徳本寺の猫涅槃図」
http://nekonokamisama.blog3.fc2.com/blog-entry-45.html
参照(2022年4 月22 日最終閲覧)

柳田国男は他著物で「犬そとばの件」、「犬卒塔婆と子安講」という小編を書いており、主に安産祈願の風習として関心を持っていた。犬卒塔婆に関する議論脱線は今回は割愛する。詳しくは上記引用元のブログを参照いただきたい。

今回の話において「忌まわしいと思うもの=追分に棄てにいくという感覚が当事者の中にあった
その背景として、家畜や犬など、人間でないものの死骸を道の股の所に埋める風習が影響した可能性は高い。

個人的感想

東日本の胞衣(胎盤)

産まれたものがカッパか否かは置いておいて、お産がうまくいかなかった報告であることに変わりない。
東日本では胞衣えな(胎盤など)を人が通るところに埋める考え方もあったという。
犬卒塔婆の安産祈願と合わせて、次の出産がうまくいくようにという意識もあったかもしれないが、これはさすがに想像の域を出ない。

東日本では「えな」を家の出口に埋めるか辻(交差点)に埋めるかして、「えな」が多くの人に踏まれると赤ちゃんが丈夫に育つと考えるのに対して、西日本では「えな」を母屋の奥で人が入らない場所に埋めておくそうです。(『宮本常一「忘れられた日本人」を読む』網野善彦、岩波現代文庫)

水谷心療内科 こころの総合診療医ブログ
「環境・時代の変化と精神疾患[11]」https://www.dr-mizutani.jp/dr_blog/mailmag_oni_11/ 参照(2022年4 月22 日最終閲覧)


売りて見せ物にせば金になる

一度棄てたのに、金になるからと取りに戻る浅ましさ。
また、この話では、死産であった描写や、赤子を殺す描写がない。
「棄てた」「置いて離れた」。まるで増えすぎた子犬子猫をこっそり捨てるときのような。それはまだ、生きていたのではないか。

棄てに行ったのは父親なのか、姑か、産んだ母親本人か。
連れ去ったのは河童か、天狗か、慈悲深い何者か。
あるいは、それは、自分の足で逃げ去ったのかもしれない。

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