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京都にて発見「薩摩ガラッパ」軽石でできた郷土玩具

「石ふしぎ博物館」を訪問

2023年5月某日、京都御苑の隣にある石の博物館へ立ち寄った。友人と別の用事で京都に来たが、ふとWeb上で知って、筆者希望で目的地に追加した。
アンモナイトとか動物糞の化石とか、とりあえず行けばきっと「良い」はず!
その感覚におおむね同意してくれる友。

博物館ホームページより

公益财回法人 益富地学会館
(石ふしぎ博物館)
https://masutomi.or.jp

当日は五月快晴、歩くと汗。来館時あまりにも汗を垂らしていたため、スタッフがあわてて冷房をつけてくださった。
展示室は鉱物・化石・岩石の標本だらけ。1フロアであるが、素人目でも「うなる」面白さ、ときめき。没頭。

異常巻アンモナイトの愛おしさ
これが、ときめき
実家の掃除機の部品みたい
かわいい

美しい鉱物や結晶ももちろんたくさんあったが、それは割愛。
ぜひ足を運んでいただきたい。

唐突な石系民芸品コーナー

最後に世界の石製のおみやげや小物が並ぶコーナーがあった。ほっこり。

​─────── ん?

きみは...
軽石でできている「薩摩がらっぱ」


見覚えのあるこの表情。何度も、何度も彼を見た覚えがある。
それは河童に関する民芸品や美術品の図録的サイト、河童博物館で。以下の緑色のWebページである。

軽石で造られたガラッパ(河童)の人形
河童博物館 Webページより
収蔵品番号:KO265(2007/03/18)

筆者は鹿児島に4年近く住んだが、一度もこのような土産品を見かけなかったから、既にこの世にない品だと思っていた。
まさか京都で、偶然、直接(ガラス一枚越しで)会えるなんて...。

撫でたい。匂いをかいでみたい。桜島の潮風のにおいだろうか。
どんな接着剤を使っているんだろうか。
(友人を失うわけには...と堪えた)

石博物館の河童人形と、河童博物館の河童人形は、確かに同じ製品であろうが、同一ではない。
細かいところが違う。手作りで、複数製造されている感じだ。
共通点は、
・軽石を削って製造されている。
・ナスを半分に切って立てたような形状。
・頭に細藁(?)でできた笠のような飾り。
・ありふれた目玉シールだが、黒目が小さくとぼけた表情を演出している。
・とがって突き出したクチバシの先は赤。

なんと純朴な、芯のある河童像。一般的な河童ビジュアルに寄せる気がない。
それでいて河童以外のなにものでもない(正確にはガラッパ)。
制作者は、何を思って作っているのだろうか。

軽石とは

軽石(かるいし)は、火山砕屑物(火砕物)の一種である。火山の噴火の際にマグマが地下深部から上昇し、減圧することによって水などの揮発成分が発泡して多孔質となる。
名前の通り、見た目は石なのに、持つととても軽い。
九州西側出身の筆者は、海岸に行けば軽石が落ちている日常で育った。子供の頃、拾ってきた軽石を彫刻刀で削って小舟を作ったことがある。子供の力で加工できる石。
また、かかとの垢擦り用に風呂場に置いてあったり、園芸用にプランターの底に敷いたりする。

薩摩の軽石人形

下記サイトで、鹿児島の軽石人形についてまとめられている。

『民芸館』日本全国郷土玩具バーチャルミュージアム*「草の根工房Homepage」
著名な郷土玩具研究家、畑野栄三氏収集研究の成果。北海道から沖縄県までの日本全国各地の郷土玩具情報を収録。

上記Webページより「軽石人形」

■軽石人形■
 軽石は桜島のあるこの県の特産品であり、活火山帯にある北九州の自然の産物です。これを素材にして軽石人形は作られています。
 この人形の主役は、「田の神」と「寿だるま」で、その他に「干支(えと)物」などがあります。いずれも軽石を彫るというよりも削り込んで成形したもので、すべて自然のかたちを利用して作られています。大小はもちろんのこと、同じ形のもの二つとはないという面白さがあります。
「田の神」は、県内でも大隅半島の姶良(あいら)、曽於(そお)、肝屬(きもつき)の各郡と宮崎県の一部でしか見られない、「田のカンサア(神様)」と呼ぶ農村民俗信仰の像です。
 この軽石人形は「鹿児島ブランドショップ」にも各種が出品されています。
製作者:大迫 隆「薩摩洞」:日置郡東市来町長里

『民芸館』
日本全国郷土玩具バーチャルミュージアムより
https://www.asahi-net.or.jp/~SA9S-HND/agal-980-20.html


日置郡東市来町の大迫氏が制作しているという点は先にあげた河童博物館の情報と一致する。
どうやら、彼が軽石ガラッパの生みの親。
通常は西郷どんのような顔のダルマや、田の神さぁを土産用に制作しているらしい。

田の神ガランデンドンとガラッパ

軽石人形制作地の日置市内に次のような伝承がある。

伊集院町の入佐部落にはガランデンドンと呼ばれる水田がある。この田の水口に一坪ほどの大きさで、天というような文字が彫ってある石がある。これは、昔、大鳥神社という氏神の神主がガラッパのために水難にあったので、氏神がガラッパを集めて入佐部落で悪さをしないように約束させ、石にそのことを刻んだものであるという。ガラッパはこの文字が消せないので、悪さができないという。

怪異・妖怪伝承データベース  より
「森山とガラン山との報告」
https://www.nichibun.ac.jp/YoukaiCard/1220054.html

ガラン田のそばにガランデンドンが祀られている。ガランデンドンはガラッパ(河童)の神といわれ、荒神で木や枝を取ると祟る。昔、大鳥神社の神が河童を集めて悪戯をせぬよう約束させ、石に文字を刻んだ。この石がガラン田にあるため、河童は暴れきれない。

怪異・妖怪伝承データベース  より
「ガランドン(伽藍様)」
https://www.nichibun.ac.jp/YoukaiCard/2180514.html

引用によると、ガラッパ(河童)よりも強い「伽藍(がらん)」の「田(でん)」の「神様」がいたことがわかる(鹿児島〜宮崎ではしばしば信仰対象や怪異や人物を「〜どん」と呼ぶ)。

東市来町と伊集院町は車で30分弱の距離である(※)。近隣地元地域に伝わる「田の神がガラッパを封じた」という伝承。
軽石人形作者(大迫氏)は、普段は一般的な民芸品・土産品として「田の神さあ」を作っていて、「本当は役者が他にもいる」とばかりに、こっそり(?)ガラッパを作っている。
作られたガラッパ人形はとぼけた顔がなんともユーモラスで、イタズラが好きそうである。

※鹿児島県日置市は、2005年5月1日、日置郡の伊集院町、東市来町、日吉町、吹上町が新設合併してできた。

河童の取り扱い

軽石人形作者の真意は分からない。
遠く離れた京都の石研究所に、大切に保管されているなど誰が知ろうか。
多くの現代人にとって、知ったこっちゃあない、取るに足らない話。
しかし筆者の胸は高鳴るのだった。

だれかの遺した河童のかけらが、まだどこかでホコリをかぶっている。
河童は、ヒトに認識されるとまた「居る」ことになる。
私はべつに使命感があってこのような調査考察報告を続けているわけではない(ただの趣味である)が、
柳田国男の言葉を借りるなら
ぜひ皆様に「戦慄」していただきたい。

水難の原因、水田を荒らす犯人、様々な厄災の要因=ガラッパ、河童(人ではない者)→制圧または駆逐すればよい
という取り扱い(地域によって図式は様々)。

これを皆が納得して多用したこと(本当の原因や犯人が明らかでないのに)。
一方で郷土玩具にひっそり遺される愛らしさ。親しみ。慈しみ。

我々は、人間は、当時、何を見ていた?
彼ら(河童)の目に映る我々は、どんな顔をしていた?

そんなことを、地域ごとに、日々思いふけっている。

筆者は、自分が人間か河童か判然としない。
皆様は、人間か?

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