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関西カッパ考察#1「ガタローに勝った子ども」(河童民話伝承収集)

大阪は河童が遠い

大阪では、地名の多くが水にまつわるものになっている。
筆者は2023年4月に大阪府へ引っ越してきた。30年余の人生で、初めて九州の外に住民票を置く。
まず「大阪歴史博物館」にて古代の遺跡に萌えた。加えて、この土地が如何に水と密着した歴史をたどってきたかを知る。
湿地、沼、池、沼、川、池・・・。
「これは河童伝承がたくさんありそうだ!」
期待に胸を膨らませたのだが、調べても調べても、オモシロ河童話に巡り合えず。(ちょっとした小話は見かけるものの…。)

九州では、どの県でも、郷土資料をめくれば河童話がマスト。地元民によって盛りに盛られた(?)個性的な河童話がひしめいていた。
〇〇川に河童、河童が〇〇寺の和尚と喧嘩、〇〇さんを呪い殺した、〇〇町の〇〇さんに恩を返した、〇〇山で叫んでいた
・・・など、まことに河童が近い。

大阪では河童が遠い。
あと何年住むのか未定だが、できる限り大阪の河童を近くに感じたい。
地道に地道に、文献資料を巡って引用考察していく。
今回は昭和53年の図書から。

「ガタローに勝った子ども」

むかし、ガタロー(かっぱ)は、たいていの村の池にすんでいたもんや。
頭の上にさらがあって、そのさらには、いつも水が少しあってな、子どもがひとりで池へ泳ぎにきたりすると、池の底から出てきて、
「やい、子どもや、わいとすもん(すもう)とろか。」
と、いいだすんや。ガタローは、体が小さくて、子どもの姿をしているんや。このガタローというやつは、頭のさらに水がある間は、えらい強うて、どんな子どもでもかなわんのや。そいで、ガタローは、すもうでまかして、子どもを池の底へひきずりこんで、おしりから生き血をすうたということや。
ある日のことや。ひとりの男の子が、おかあに、おやつがほしいとおねだりしとったんや。けど、なにもおやつになるもんがなかったんで、おかあは、
「おっぱん(仏さまにお供えしてあるごはん)をいただきなはれ。」
といったんや。そいで、子どもは、おっぱんにつけものをそえて、うまそうにたべてから、ひとりでこっそり池へ泳ぎにいったんや。池のふちで遊んでいると、ガタローが出てきて、
「おい、子どもめ、すもんとろか。」
といいよったそうな。子どもは、しかたがないので、その相手になってすもんをしてやったんや。ところが、どうしたことか、ガタローは、きょうは子どもに勝てんのや。いつもなら、子どものひとりやふたりぐらい、ころりとこかしてしまうのに。ガタローは、首をかしげていたが、しばらくして、
「こら、子ども、おまえはきょう仏さんのごはんをたべてきたな。そんなことをするから、おれはおまえに勝てんのや。」
と、くやしそうにしながら池の底へかくれてしもたんやで。
おっぱんのおかげで、男の子は、あやぶく命がたすかったという話や。
  宇津木秀甫(宇津木文化研究所)

「大阪のむかし話」
大阪府小学校国語科教育研究会  
「大阪のむかし話」編集委員会/編著
(日本標準発行 昭和53年9月)
p49-50

児童向け昔話集からの出典であり、具体的な地名や池の名前は登場しない。
特徴的なのは
①河童の呼び方「ガタロー」。
②「相撲で負かして、子どもを池の底へひきずりこんで、おしりから生き血をすう」性質。
③仏飯を食べた子供には負ける。
④報告者「宇津木秀甫」。


それぞれ紐解いていく。

筆者(戸高石瀬)イラスト

①河童の呼び方「ガタロー」

河太郎と書いて、ガタローと読む。近畿地方を中心に使われる呼び方である。宮崎や鹿児島でも一部資料では「河太郎(かわたろう)」があったため、広く一般に浸透した呼称なのだろう。
日本人男子の代表名「太郎」と付けるのはなぜか。以下のように興味深い説もある。

③カタリの世界では、タロウという音に意味があるとしている。タロウ=タレルで、「タレル」は神のこの世での御姿のこと。太郎は神の子とみなされる。
「カタリの世界 別冊太陽129号 平凡社 2004」のp2に回答③の文章を見つける。

昔話に登場する名前「○○太郎」の「太郎」の意味、象徴するものについて知りたい。| レファレンス協同データベース(2023/10/14閲覧)
https://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000114590

桃太郎、金太郎など、人間離れした力をもつ主人公は神の子。
河太郎・ガタローもまた、河の神の子(人ではない)なのだ。

今回、河童の体格について
ガタローは、体が小さくて、子どもの姿をしているんや」とある。
・河童が相撲をとりたがる→子どもが恐がらずに応じる
・河「太郎」(ガタロー)と呼ばれる。
このことから、見た目も表情も怖くない(むしろ可愛かった?)、皆からガタローとよばれ親しまれていた、とわかる。

どうやら大阪の河童は、あまり「畏怖」されていないらしい。

例えば以下は幕末の河童絵。

大阪歴史博物館 特別企画展「異界彷徨 ―怪異・祈り・生と死―」(令和5年)より
大阪歴史博物館 特別企画展「異界彷徨 ―怪異・祈り・生と死―」(令和5年)より

誰一人怖がっておらず、網の中から人にちょっかいをかけている。リアクション芸といったところか。

②「相撲で負かして、子どもを池の底へひきずりこんで、おしりから生き血をすう」性質。

言わずと知れた「河童」の伝統スポーツ、相撲・角力・すもうをとろう!と誘う。
そして「尻から生き肝を抜く」「尻から尻子玉を抜く」「尻から生き血を吸う」、狙うブツは各伝承で変われど、とにかく尻を狙う。
この特徴は、水難事故への戒め・警鐘として全国に浸透している。

※過去の寄稿では、「生き肝譚」について少し紹介した。案外根深く、宗教や信仰のもとになっていて世界的に普及した説話なので、興味があれば↓↓。
(現代でもプラセンタ美容などはある意味生き肝信仰なのですかね。)

③仏飯を食べた子供には負ける。

同じ特徴の伝承を鹿児島、熊本、宮崎の各県で拝読した。仏飯に限らず、仏様や寺の和尚の念仏や梵字によって撃退されていた
仏教・和尚にめっぽう弱い。なぜなのか。廃仏毀釈の時代の影響も考えられるのか?(あるいはキリシタン?)
何も定かではない。今後の課題である。

④報告者「宇津木秀甫」先生。

何者なのか。
1926年生まれ。影絵劇アクト座、昔ばなし語りべ集団を創設・・・という情報。
昔ばなし語りべ集団とは(公式HPより)、

創始者・宇津木秀甫が戦後60年かけて収集した郷土高槻とその周辺の昔ばなしをまとめた『高槻物語』を基に、地域に伝わる昔ばなしを語り継いでいくために2003年に結成。年2回昔ばなし語りべの会を開催し、依頼公演、ボランティア口演にも出かける。宇津木秀甫がつづけてきた 「高槻百人一首かるた大会」も継承。

http://akutoza.starfree.jp/mukasikatari.html

影絵劇アクト座も語りべ活動の派生なのだという。
以下著作がある。
『高槻物語』高槻地域と周辺の口承文芸集大成 上・下巻 編・著:宇津木秀甫
・『てるてるひめ』 文: 宇津木 秀甫 絵: 長尾 紀壽 出版: 新日本出版社
・せっつむかしばなし〈1〉~〈11〉
 著:宇津木 秀甫 +各共著者  出版 ‏ : ‎ 摂津の民話絵本刊行委員会
ほか多数。

個人的に現代創作の手が入りすぎると調査資料としては敬遠してしまうのだが、宇津木先生の場合は、伝承に対するまなざしが創作とは違う。かたりべのまなざしである。
昔話や伝承というのは、子どもに伝わらなければ意味がない。かれらは大人から押しつけられる教訓や正義を敏感にはねのけて、子どもたちだけの想像の世界で遊ぶことに夢中である。
宇津木先生はそれをとてもよくわかっていらっしゃるのではなかろうか。

おわりに

以上、大阪の河童について初めて紹介考察した。今後もチマチマと続けていきたい。

筆者(石瀬)の大阪居住地は元々水田だったらしく、水はけが悪く、時々、沼くさい。周囲は開発でマンションが立ち並ぶ。
引越したばかりの関西で、冬季の乾燥と寒さには驚いたが、
「あの川沿いのアパートやマンションの一室で、河童たちがぬくぬくと冬を越しているのではないか」……と妄想し微笑するのであった。

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