働き続けること、年齢の壁とか
40代、人生に対する敗北感なんていうと、まだ少し早いような気もするし、「お前は日々そんなに戦っているのか」とツッコミを入れたくなる気持ちもある……だけど、その気持ちは確かに「敗北感」であって、何が自分をそう感じさせているかって、やっぱり急激に衰えていく体力や気力、萎んでいく感性、薄れゆく時代感覚がとてつもなく大きい。
先日、仕事関係の方とランチをしたときのこと。今の自分は一向にキャリアが積み上がっていかないと、彼女たちに弱音を吐いてしまった。
例えば、この世にある仕事の中には、年齢とともに経験を積み重ね、同時に技術を高めていけるものがある。だけど、今の私は圧倒的な経験とスキルを持ち合わせているわけでもなく、かといって仕事柄必要となる時代感覚をつかむ感性もない。30代の私は、前者を持ち得ないことを恐れもしなかったし、後者への卑屈さもなく、むしろ年齢的な旬を意識して仕事をこなせていた。つまりは時代が求めることと、自分の興味関心のベクトルが同じ方向を向いていたのかもしれない。
ここ数年、40代になった私は、ひとつの「人生のあがり」を通過して、次はどこへ向かうべきか考えあぐねていた。10年前の私にできたはずのことが、今の私にはできない。社会的に年齢の重みを感じ、今の自分に与えられる席はないのではないかと不安になることも増えた。
以前は書くことさえできればなんだっていいと思っていた。でもいつしか、求めれられることに合わせにいってばかりの自分に疲れてしまい、殻に閉じこもるようになった。以前の私は無知だったからこそ、単純に求められることに対して純粋な気持ちで喜べたのだろう。それも悪いことじゃない。
私の弱音に対して、「つまりは場所だね」という話になった。結論、年齢も経験もどうでもいいから、その分野の猛者に恐れることなく、とにかくバカなふりをしてやる。そのことに尽きるとアドバイスをいただく。
と、ここまで書いて何より言いたいことは、自分自身に対する敗北感を感じようが、自分はダメだと思おうが、それでも何者でもない私に仕事を与え、引き上げてくれた人たちがいたということ。日々、彼らへの感謝を忘れず、私は私を、たまには信じてあげなきゃと思う。
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