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自分のよさは知らなくてよいのだ

こんにちは。『tobira.』店主のれいです。

今回は、現在Amazon Primeで配信中の『僕の姉ちゃん』を見て感じたことについて。

『僕の姉ちゃん』は、イラストレーター益田ミリさんの人気漫画が原作のドラマ。社会人1年生の弟・順平と三十路のベテランOLの姉・ちはるとの絶妙な掛け合いがユーモラスかつ心に響く作品です。

そして今回のお話しは、劇中のこんなワンシーンから……。

——

ある日、仕事でへこんで帰宅した順平。ネガティブオーラ全開で、ちはるの前で力なくこうつぶやきます。

「自分のいいところなんて、何もないような気がする……。」

するとちはるは順平を支えてくれる友人の存在に触れ、愛ある言葉のボールを投げ返します。

あんたのいいところは別にあんたが知らなくていいんでないかい?

「自分のよさ」は自分自身が知らなくても、友人は、家族は、そのよさをちゃんと知ってくれている。だから別に「自分のよさ」を無理に知ろうとしなくていいじゃないか、と。

なんだか、ハッとさせられるひと言でした。

というのも、少し前までの私は、「これからの自分」について暗中模索の状態。何をしたいのか、どうなりたいのか、いくら考えても未来の自分をまったく描けなかったのです。

ならば「自分のウリ」を整理して、「私はこんなことができて、これが強みなんだ」と無理矢理にでも“社会に役立つ私”を引き出そうと頭をひねりまくりました。

そして案の定ハマったのが、「どうせ私なんて」のネガティブループ。

「私なんて、役立たず。いいところなんて、一つもない。」

夫婦の喧嘩以上に犬も食わない、「どうせ私なんて」病を発症し、全く手に負えない人と化していました。

しかし、病は気から。最近はほんの少し、自分自身への見方を変えてみようと思ったのです

私は普段フリーランスで文章を書く仕事をしていますが、ここ数ヶ月リライト(すでに公開されている記事の構成や文章を修正する仕事)のアルバイトを始めました。

覚えることはたくさんあるし、独特のルールにうんざり、やる気をなくすことも多々あります(笑)。しかし一方で、これまで培った経験が役に立っていると実感することが多く、弱りきった私自身を立て直すきっかけにもなりました。

例えば、何気なく書いた文章に対して、「勉強になります」と伝えてくれる同僚たちのお褒めの言葉。ただただ心からうれしかった。

これまでは「書けて当たり前」「平均点以上を目指して」と言われているようで、とても苦しく、常にプレッシャーの中にありました。

だからこそなのか、「私は何者であるのか」「私のよさとは何なのか」にこだわって、いつも目線は「私」に向いてばかり。何にも見えてなかったな、と。

反省というより、無理をしている自分に「もういいんでないかい」と手を差し伸べたくなったんです。

より“個人”にフォーカスされるようになった今の時代、自分自身に対する定義づけを求められる場面も決して少なくないはず。つい「自分のよさとは?」という呪いにかかってしまう瞬間があるような気がします。

「自分のよさ」は相対的なものとして捉えがちなため、SNSで誰かの発信に心なしか傷ついたり、こんな自分では価値がないんじゃないかって自信を失ったり。

必要以上に背伸びをしてしまう私だからこそ、「あんたのいいところは別にあんたが知らなくていいんでないかい。」という言葉がじんわり沁みる。

だけど、誰かの温かい目線を受け止めるには、反面、勇気が必要なんじゃないかと思ったりもするのです。もしかしたら、それらは本来自分自身が求める「大きな賞賛」ではないかもしれない。まぶしいほどのスポットライトも何もない。

だけど、彼らの優しい眼差しの中にこそ、誰でもない「私」自身が映し出される。そして、等身大の「私」を認められたときこそ、「自分のよさとは?」の呪いから解き放たれるとも言える。

そんなこんなでようやく最近になって「私」を生きる覚悟ができたというのに……、気づいたら41歳。人生とはやっぱりままならないとつくづく思う今日この頃なのでした。










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