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16.「アート」と「エンターテイメント」③

「アート」は作者の意図により「アート」となる
というところまで、前回考えたが、ここで少し作者という概念を広げ、その原動力に思考を広げてみる

人はなぜ「アート」を作ろうとするのだろうか?創造の欲求はどこからくるのだろうか?この活動は動物的とは言いにくく、生産性もないように思える。しかし、古来より、美術品のようなものや音楽は長く人類から親しまれてきた。これらの人間的な活動の欲求はどこからくるのだろうか?

これは勝手な私の個人的な考えだが、これは人間の神秘に対する興味ではないかと思う。興味ということがば適切かはわからないが、自分の創造や理解を超えた世界の秩序や乱雑さ、大きさ、美しさを体感したい、というのが原動力にあるように思う。
この点において、科学の探究心もこれと良く似ているように思う。さまざまな自然現象の中から、秩序を数式化し、一見関係のないようなものとの関係を見つけ出す、この知的探究心と人間の創作意欲は感情の深い部分で繋がっているような気がするのだ。

「アート」と「サイエンス」が対の概念だとすると、「エンターテイメント」にも対の概念があるかと、考えるのは当たり前かと思うが、意外と簡単にそれらしい言葉が見つかる。それは「エンジニアリング」だ。サイエンスは個人のうちで完結するものだが、エンジニアリングは個人の思考を飛び出し、不特定多数の人へ向けた活用を念頭においている。この「サイエンス」と「エンジニアリング」の関係は「アート」と「エンターテイメント」の関係と相似であるのではないだろうか。

そう考えると、少し全体の構造図が捉えやすい。
人間の神秘的な事象に対する探究の欲求から生まれるものが「アート」や「サイエンス」であり、不特定多数の人間とのコミュニケーションにより生まれるものが「エンターテイメント」であり、「エンジニアリング」なのだ

前者は欲求という視点で見ているので、後者もそれに合わせるとすると、こちらは共感による欲求という言葉がしっくりくる。誰かを助けたり、誰かを元気づけたりしたいという、人間がコミュニティを形成する上で必要な共感の欲求を原動力として生まれるのが後者である

つまり、「アート」は探究、「エンターテイメント」は共感をその原動力として行われる。と言えるのである。

余談だが、なんだか、探究は深いイメージがあり、共感は広いイメージがあるのが対照的で面白い


2つの関係の相似性

ここで、一点だけ、注意したいことがある
先ほど2つの関係が相似系だという話をしたが正確にはそうではない。原動力という観点で見たときに、一部共通した構造を持っているという意味で使ったが、それらが全てに当てはまるわけではない。ここで言いたかったのは、制作の原動力や意図というものが、作品そのものの役割に大きく作用しているということで、その観点から見ると両者は同じ構造を持っているということだ

アートは個人的な視点から生まれるがサイエンスはそうではない
エンターテイメントは人を楽しませるがエンジニアリングはそうではない
サイエンスは定量的、定性的に議論するが、アートはそうではない
エンジニアリングは日常になるがエンターテイメントはそうではない

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