天国旅行|短編|5,962字
以前に連載で投稿していたものを1記事にまとめた作品です。
天国への旅
その日、木村は天国にたどり着いた。
といっても、木村は死んだわけではない。観光で天国へやってきたのだった。
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限定的ではありつつも民間人の宇宙旅行が始まり、世界中を旅し尽くした旅行者が次に訪れるのは宇宙になるだろうと誰もが考えていた。それが月なのか火星なのか、はたまた地球の衛星軌道を1周するだけなのかはともかく、宇宙旅行の時代がやってくると思われていた。
そんな矢先、なんと天国に行く方法が発明されてしまったのだ。
生命が死後がどうなるかについては、人類において永遠の謎とされてきた。一般的には死後は意識がなくなった状態になると思われていたが、輪廻転生するという考え方や、善い行いを続けていれば天国、悪い行いを続けていれば地獄に行く、といった多くの説が唱えられていた。しかし、いずれにせよそれを確かめる術は永遠に訪れない、人々の間ではそう考えられていた。
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その常識を覆したのが、英国の研究者であるリチャード博士であった。博士は、人を臨死状態にした上で特定の周波数の電波を与えることで、一定の時間だけ天国に行けることを発見したのだ。
学会に発表された当時は、批判されるどころの話ではなかった。それこそ世界中のほとんどすべての人間が、リチャード博士を嘘つき呼ばわり、あるいは頭がおかしい人間であると馬鹿にした。しかし、実証実験の結果が公開されていくにつれ、どうやらそれは嘘や冗談、ましてや博士の頭がおかしいわけではないことが理解されてきた。
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最初は、一種の催眠状態に陥って夢を見ているような不思議な体験をしているだけであろうと思われていたのだが、隔離された環境下において同時に行われた実証実験において、被験者同士で同じ体験を共有できていることが分かり、その信憑性はまたたく間に高まった。この分野は一躍注目されることになり、多くの研究者がここぞとばかりに研究の成果をしのぎあうことになった。
その後、ついに民間人向けのサービスとして『天国への観光旅行』が開始された。
ようこそ、天国へ!
木村は昔から冒険や挑戦が大好きな人間であった。
大学を卒業してからはベンチャー企業を立ち上げ、それがビジネス的に成功するとまた次のベンチャー企業を立ち上げ、それが成功するとまた次の……ということを繰り返していた。成功したイスに収まるのをよしとしない人間だったわけだ。
仕事の才能に恵まれた木村であったが、別に仕事一筋という人間ではなかった。とくに一人旅をするのが大好きで、世界中のありとあらゆる絶景を自分の目で見てきた。さらに、莫大な費用がかかる宇宙旅行にもでかけていた。その時は、地球の衛星軌道上を周回するだけだったので『宇宙旅行』と表現するのはいささか大げさではあるのだが。
そんな木村が『天国への観光旅行』などというものに興味を抱かないはずがなかった。
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「ここが天国か。なんだか……ラスベガスみたいだな」
それが木村が最初に思ったことだった。
天国と聞いて思い浮かべるイメージは人によって大きく異なる。雲の上にいるような幻想的な空間をイメージする者、何もない大草原のような場所をイメージする者、漠然とした楽園のようなイメージをもつ者、本当に人それぞれとしか言いようがない。
木村も漠然と天国がどんなところなのか想像を膨らませていたのだが、完全に予想の範囲外すぎて面食らってしまった。そして、自分は騙されているのではないかと思い始めた。そう、フィリップ・K・ディック原作のあの有名SF映画『トータル・リコール』のように一種の夢を見せられているのではないか。ここは火星ではなく天国であるという点に違いはあるが。
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しかし、木村は考え直した。
仮にこれが『トータル・リコール』のような作られた設定の旅行であったとしても、それはそれで木村にとっては前代未聞の旅であることには違いないと気づいたのだ。それならば、正しさに疑念を持つよりも今現在の旅行を楽しむほうが正解だ。
木村は気持ちを切り替えて歩みだした。目の前の大きな看板にかかれている文字が徐々に読み取れるようになってきた。
『Welcome to the Heven』
「いや、おかしいだろ」
木村は思わず一人でツッコミを入れてしまった。最初にラスベガスのようだと思ったのは、単に雰囲気でそう感じただけであったが、これでは本当に観光地のようではないか。
「しかも、スペル間違ってるし」
せっかく切り替えた気持ちが、ものの数十秒で萎える形になってしまったが、こういう予想外の出来事こそ旅の醍醐味だ、と木村はさらに気持ちを切り替えた。
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すると、近くの建物から一人の女性が現れ、木村の前まで歩いてきて元気に挨拶した。
「ようこそ、天国へ!」
「いや、それはもういいから……」
どうやら彼女がこの天国の案内役であるようだ。天使ならともかく、人間の女性が天国を案内するというのは荒唐無稽に感じるが、木村はここまでの流れで半ばここを『観光地』として受け入れつつあった。
とりあえず、木村は彼女の話を聞いてみることにした。
彼女の話
彼女の話は非常に興味深いものだった。
まず、ここは間違いなく天国であり自分も半年前に死んだばかりだということ。天国では、現実世界の感覚で約3年ほど滞在することができ、その際は自分の好きな年齢の姿で居られること。そして、仏教徒が長い修業の末に得られる解脱のような、すべての苦しみから開放されたような心境で過ごせること。最後に、いくらかの制限はあるものの自由自在にモノを生み出す力が使えること。
そのような天国にまつわる知識を木村に分かりやすく説明してくれた。最初のベタすぎる挨拶には面食らったものの、どうやら彼女は親切な人間であるらしい。そして、彼女は先を続けた。
「実はね、天国がこんな……ラスベガスみたいになってしまったのはわりと最近なの」
どうやらラスベガスっぽいという自覚はあったらしい。
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彼女の話をまとめるとこういうことだった。
彼女が天国に訪れたタイミングでは、天国はほとんど何も無いようなところだったという。
「例えるなら、最低限のイスやテーブルが置かれた公園といったところかしら」と彼女。
天国に来た人間は、事故死などの例を除けば長い人生を終えた人ばかりであり、そうした人たちが解脱のような苦しみから開放された心になると、ただ座って安らかに過ごすようになるらしい。稀に自由自在にモノを生み出す力を使っていろいろと試してみる人も居たものの、途中で飽きてしまうのか結局は他の人たちと同じように過ごすようになるという。
「これが天国パワーってやつなのかしらね」と彼女。
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木村は、彼女が死んだ時に何歳であったのかが気になってきたが、さすがにそれを尋ねるのは不躾であるような気がして黙っていることにした。
そんな天国に変化が訪れたのは、生きた人間が天国に訪れたという歴史的な事件によってだった。
「最初は本当に驚いたわよ、幽霊にでも出会ったのかと思ったくらい」
死んだ人間が『幽霊』などと口にするのも変な気がしたが、木村は黙って話を聞き続けることにした。
彼女の話によると、天国へ訪れる人が増えていくにつれ、天国にいる人達は少しでも『おもてなし』をしようと考えたらしい。さすがに天国に来て、イスとテーブルだけある公園みたいな空間だけ、というのはあまりに忍びないという意見が多く出たそうだ。
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「ほら、私達ってこうやって自由にモノを生み出せるわけでしょ」
彼女はそういって、手のひらの上に何かを生み出した。木村はいきなりの出来事にやや面食らいながらも彼女に訪ねた。
「それは何?」
「天国まんじゅうだけど。食べる?」
彼女のセンスは相変わらずどこかズレているように感じたが、今回は話がつながっていた。
「最初は温泉を作ったのよ。たまたまその時に天国に多く滞在していたのが日本人だったこともあってね。元より『おもてなし』をしたいと言い出したのも日本人グループからだったしね」
そしてせっかくだから名物っぽいものも作りたいということで、温泉の熱で作られた「天国まんじゅう」も一緒に作られたらしい。
「これが意外と評判良くてね!」と嬉しそうに彼女。
彼女も生前には温泉が好きだったのかもしれないと木村は思った。
「ただ、そこからが問題だったのよね」
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その後の顛末をまとめると次のようであるようだ。
その『おもてなし』に感化された天国の人たちは、こぞって色々な施設を作り、現世の人たちをもてなそうとし始めた。なにせ天国には世界中の人間が集まっているわけなので、作りたい施設は無限にあり、しかも自由自在にモノを生み出せてしまうということもあって、天国の世界は混沌としか言いようがない様相を極めたらしい。
「あれはあれでドン・キホーテみたいで面白かったけれどね」と彼女。
しかし、さすがにあまりにも秩序というものが欠けていたので、いっそのこと観光地として都市のようにしてしまえばよいのでは、という意見が出始めた。賛否両論あったものの、この案は可決されて1つの都市のようなものが作られることになった。しかし、それでどうしてラスベガスっぽい様相になってしまったのかはよく覚えていないという。
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木村はここまでの話を聞いて、ようやく目の前に広がるラスベガスのような都市について納得がいった。
「イスとテーブルだけで過ごしていた人たちが、どうしてここまで築き上げてしまったのかしらね……現世の人たちの煩悩が移っちゃったのかしら?」
彼女は最後にそんな本気なのか冗談なのか分かりかねることを言って話を締めくくった。
死去
木村は長いようで短い『天国旅行』を終えて現世に戻ってきた。感覚としては1日くらい居たような気がしていたが、実際に現世の時間では30分ほどしか経っていなかった。
彼女との会話を終えたあと、木村は1人で天国を散策してみたが、地球にある観光都市を散策している感覚とあまり変わりなかった。唯一、天国の人たちがその場でいろいろなものを生み出すというショーは面白かったが。
「やはり、次は火星にでも行きたいな」
天国で想起したあの映画のことを思い出しながら、木村はそうつぶやいた。
*
その後、天国への旅行ブームはしばらく続いたものの、宇宙旅行ほどではないにしろ料金が高額であったこともあり徐々に廃れていった。民間の宇宙航空技術が格段に進歩し、最初期よりも遥かに安価かつ遠くまで行けるようになったこともそれを後押しした。
つまるところ一時的なブームで終わってしまったのだ。
それでも、死んだ人間にもう一度会えるという理由で利用し続ける人は一定数居たため、天国旅行のビジネス自体が終了することはなかったが。
木村はというと、再び何度目かわからないベンチャー企業を立ち上げ仕事に精をだしつつも、たびたび宇宙旅行に行き、念願であった火星にも足を踏み入れることができた。
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木村は最終的に180歳まで生きた。
宇宙航空で開発された技術が医療技術へと転入され、以前は重い病気であった癌なども普通に治療できるようになったこともあり、人々の平均寿命は人類史上かつてないほど圧倒的に伸びた。
しかし、寄る年波に体は勝てるようになっても精神は勝てなくなるのか、木村は150歳を超えてからは仕事も旅行もほとんどしなくなり、最後の30年は読書や絵画などの芸術をしずかに楽しむようになった。
死ぬ直前、木村はあの日の天国旅行のことを思い出していた。
「まったく最初は冗談のようなものだと思ったし、想像していたようなものに巡り会えたわけではなかったが、あの天国旅行も悪いものではなかった……やはり旅は良いものだ」
そして最後に、天国の案内を努めてくれたあのヘンテコな彼女のことを思い出し息を引き取った。
再訪、そして
「なんだか……寂れた観光地みたいだな」
木村が天国にたどり着くと、そこはかつての活気を失った廃墟のような都市があった。入り口の看板の文字は剥げており、入り口の近くにあった名物『天国まんじゅう』のお店もすべて閉まっているようだった。
木村がしばらく歩き続けると、天国の住民の1人に会うことができた。
「おや、あんたは死んだ人間だね?」
「はい、そうですが……この廃墟のような都市はどうしたのです?」
「わしも2年ほど前に死んだばかりだから、歴史的なことは伝聞でしか聞いておらんがな……」
その老人のような見た目をした男は、ぽつりぽつりと語りだした。
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現世から観光に来る人が大幅に減ってしまい『おもてなし』をするだけの気力を失ってしまったこと。医療技術の急激な進歩により伸びた寿命によって、一時的に天国が過疎化してしまったこと。天国の人は自由自在にモノを生み出せるが、破壊したり消す能力は持ち合わせていなかったこと。
そうしたいくつかの要因が重なった結果、この観光地のような都市は完全に放置されて現在のような廃墟の姿に成り代わってしまった、というのが歴史的な経緯らしい。
「まぁ、解脱したような心を持つ我々にとっては別にこれでも構わんのだがな。これもまた風情があるじゃろ?」
その男は穏やかに笑いながらそう言った。
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木村はその男に礼を言い、その廃墟に近い都市を散歩しはじめていた。
たしかに寂れた観光地の様相を呈しているが、一部のお店(という表現が天国で妥当なのかはさておき)では観光サービスを提供し続けているところもあるようだ。先ほど「廃墟のような」などと口にしてしまったのは失礼だったかもしれない、と木村は反省した。
そんなことを考えながら歩いているうちに、木村の目は一つの看板に止まった。
「これは……」
その内容に驚いて目を通していると、1人の女性が建物の中から現れた。
「はい、ここはこんな状況ですので……」
木村はその女性が何を言いたいのかはもう十分に理解していた。
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木村は少し逡巡したもののそのバスに乗ることに決めた。バスは長い海岸を抜けたあと、山道に差し掛かり、巨大な山の長い長いトンネルに入った。
長いトンネルを抜けるとそこは地獄であった。
木村は自分が昔のチャレンジ精神を取り戻していることに気づいた。そう、自分はここで再び大きなチャレンジに取り組むのだ。
数カ月後、そこには立派な観光都市が築き上げられていた。それはかつて天国にあったラスベガスまがいのいい加減な都市ではなく、人々を魅了するような素晴らしい観光地の姿があった。
そして、入り口の看板にはこう書かれていた。
『Welcome to the Hell(ようこそ、地獄へ!)』
ー了ー
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