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自分に等しい出来事

ちょっと恥ずかしい話を書きます。自分の傲慢さについて、穴があったら入りたくなった話。就活をしていて気づいたことです。そして人生は、自分に等しい、自分が思い描いたようなことしか起こらないのだなということも再確認した話です。

どこまでも自分目線


わたしは現在無職で就活中。これまで記事に何度か書いているので、すでに「知ってるよ」という方もおられるかもしれない。しつこくてすみません。今回初めてこの記事を読んだ方にもわかるように書いているので、ご了承いただきたい。

先日とある会社の面接にこぎつけた。書類で落とされることもあるので、面接を受けられるとあって、話したい事柄をメモし、イメージトレーニングをして挑んだ。
真っ先に「どうして我が社やこの職種に興味を持ったのか」ということを聞かれた。想定通りの質問に、わたしは準備していた自分のありのままの考えを伝えた。
ちなみに職種は某業界における対人業務だった。対人業務についてどちらかといえば自分でも「得意分野」だと思っていたし、前職を問題なく続けられていたら何年後か先に挑戦していたかもしれない職種だった。

「質より量」か「量より質」か


何年後か先に挑戦していたかもしれない業務というのは、経験値や実績がないと研修が受けられないという理由もあった。前職の上司からも「もう少し歳をとったらそういったポストもあるかもしれない」と言われていた。わたしの中では「ある程度の年齢を重ねた人がやる仕事」=「知識や経験があれば体力はそれほど必要ない」と考えていたのだ。経営陣から直にそう言われていたことも大きい。

しかし、面接を受けた会社からは「体力が必要」「机上だけでできる仕事ではない」と言われてしまった。
これは考え方の相違ではなく、ちょっと考えればわかることだったのだ。
そして、自分が前職での経験を元にしか物事を捉えられていなかったことに気づかされた。そんなのは当たり前じゃないかと思われれるかも知れない。

ここでわたしが恥じ入ったのは「質より量」傾向の強かった前の職場において、自分の中ではずっと「量より質」だと思っていたのに、本当は自分も「質より量」の思考になっていたということだった。
そしてわたしはずっと「質より量」の考え方をする人をどこかで見下していた。自分も同じだと気づかずに。それはずっと自分で自分をも見下していたのだ。

それでもわたしは自分優先でいく


「質より量」を掲げていたのは、利益を上げて会社を発展させるためというのはわかっていた。「量より質」を掲げている会社が、相手や自分たちの会社の将来まで見据えて取り組んでいることもよくわかった。

どうしても質問することが憚られてできなかったけれど、「量より質」を語る面接官たちから、「自己犠牲」の雰囲気も感じ取ってしまったのも事実だ。
「自分たちはここまでがんばっている」
あかさらまな表現をすると「残業はないと言っているけれど、持ち帰り仕事をしていそう」という雰囲気がした。わたしの思い違いかもしれないが。

仕事のパフォーマンスを上げるために、自分の時間やお金を使って勉強するのは良いとして、休日も仕事そのものが頭から離れないというのは、わたしは嫌なのだ。わたしは自分の傲慢さも知ったけれど、それでも自分を優先して生きたいという自分の本心も知った。そして何よりくすぶっていた前職への思いが消えた面接だった。後日当然の結果として、不採用通知が届いたことをお伝えしておく。

きっとやりたいことに近づいているのだ。
がんばれ、わたし!




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