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身近な生態系を意識した生活を試みるところから始めてみては

 飼い猫がいると、旅行や出張でも無ければ毎日動物と顔を合わせる。何なら触れ合ったり(一方的な)会話をしたりもする。
 我が家の場合、飼い猫以外にも家の中に蜘蛛いることはしばしばあるし、蚊や蝿を含めた昆虫もいる。猫の額ほどの庭に出れば、アリ等の小さな昆虫はもちろん、春にはアシナガバチが飛んでくるし、秋にはコオロギのさえずりが聞こえる。もちろん、招かれざる客的な焦茶色の昆虫も出る。

 しかしこれも土の地面に近いところに住んでいるからであって、アスファルトやコンクリートで覆われた地では、生き物の棲む世界とは関わりが浅く無縁であることも多いだろう。特に階層的建物では、上階に行くにつれてヒトだけが生息する世界が広がっている。
 ヒトの生息域でも実は目に見えない微生物が沢山のいるのだが、これも近年では抗菌だとか除菌と言って忌み嫌われる傾向にある。
 かくして私達が目耳にする生き物は小さなボトルの飲料に入った乳酸菌だけになる。

 文明の発展によって自然環境が破壊され、ひいては人間の生息環境が危ぶまれるようになって、世界は慌て出したかに見えることがある。しかしこうした環境ブームはこれまでも定期的に巡ってきては消えて行った。その│度毎《たびごと》に人類の危機が叫ばれ、時には希少生物がクローズアップされた。
 生態系というキャッチフレーズは人々の心を捉えて離さないものの、何処か現実離れしている。何故なら提示される生態系マップには本来その頂点で暴利を貪っている筈のヒトが正確には描かれていないからだ。

 生態系の話に出てくる弱肉強食や食物連鎖、エネルギー収支といったものとは直接関わりのない二酸化炭素を環境指標の一つとして取り上げて、その排出量の取引までをも行うのは、本来見るべきものから視線を遠ざることに役立ったとしても、自然環境を改善することには役立たない。
 人間の経済的活動を支えるのはもはや自然環境ではなくて、人工的空想的な人類環境になっている。そこでは、自然環境からその一部を切り取られたものに経済的な概念が織り込まれたハイブリッドでバーチャル世界が広がっている。
 都合良く使われて切り取られた側の自然環境は無造作に打ち捨てられる。ヒトの目の届かないところに押しやられ、地中深くに埋められ、海水で希釈される。
 身近に置きたくないものをヒトはゴミと呼ぶ。

 しばらく飼い猫に会わなくても、旅先から戻ればまた以前のように懐いてくる。一時的にあいた距離感は瞬時に縮まる。
 どんなに無視され続けても自然はきっと人間を見捨てずに、再び振り向いてくれるのを待っている。異物として生態系から排除されることは無い。人類が棲息出来なくなる時が来るとしたら、それは人類自身がゴミ化する時だ。
 いくらアルコールで拭っても、あなたの体表や体内から微生物はいなくならない。それどころか、この世から微生物がいなくなったらあなたは生命を維持できない。
 まずは身近な生態系を意識した生活を試みるところから始めてみてはどうだろうか。

おわり

 

 

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