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知らない間に染み付いてしまった資本主義経済的な思考

 誤解を恐れずに言えば、資本主義とはお金があるところにお金が集まるのを是とする考え方だ。

 例えば製品を製造/販売して儲けるためには、少なくとも工場をつくる費用と原材料を購入する費用が必要で、それにはそれなりのお金が必要だ。だからお金かお金を借りるための信用がなければそもそも金儲け競争に参入することすら許されていない。

 このような説明が成り立つのは質量のあるものを造るには大掛かりなハードウェアが必要だったからだという意見があるかも知れない。それは正しくその通りで、現在では自前の工場を持たないファブレスという形態の企業も増えているし、モノではなくサービスの提供を業務の軸とする企業であれば、ほぼ手弁当で起業し事業を軌道に乗せることも方法論としては可能な時代になった。しかし起業が全て上手く行くかというと決してそんなことはなく、生き残る企業よりも潰れて消えていく企業の方が多いのが自然の摂理だ。

 最近ではクラファンでお金を集めればオリジナルの製品開発・販売も出来ると思われているフシがあるけれど、事はそんなに簡単ではない。まだ出来てもいない製品に容易にお金を投じるほど消費者は寛大ではない。何より、そのクラファンを世間に周知することは、完成している製品を広告するより何倍も難しい。

 それでも人はお金に憧れ、いつかお金持ちになることを夢見ている。何故なら、お金を多く持っている事が資本主義の暗黙の正義だからだ。他に価値観を見いだせない場合、人はどうしてもお金で計られる価値観に頼ってしまう。価値という言葉を聞いたときに、幾ら? と思った人は間違いない。価値判断基準の優先順位上位にお金が来ているはずだ。 

 インターネットの広まりによって、個人レベルでもマスを相手に商売を行うことが比較的簡単に出来るようになった。データはリソグラフよりもずっとずっと容易にコピー出来るし、運搬費も掛からない。形もなければ質量もないものに値段が付き、それを販売コストほぼゼロで大量に売ることができる。

 こんなことが出来るようになったのは、フォロワーという仕組みのお陰だ。フォロワーには不思議な法則がある。

 フォロワー数は増えれば増えるほど増える。
 フォロワー数の持つ力は、その数が増えるほど指数関数的に強化される。
 フォロワー数は信頼性を表す。
 フォロワー数は広告価値を表す。
 フォロワー数は増えることはあっても自然に減ることはない。
 フォロワー数はブランド力であり、ネット上での価値そのものだ。

 つまり、フォロワー数は力と価値の両方を測ることができるし、ネット上での価値はフォロワー数で決まる。そして、フォロワーはフォロワー数が多いところに集まる。
 これは人気店に行列が出来るのと同じだ。行列が出来ているから人気店になったのかも知れないが、人々にとってはそんなことはどうでもいい。

 そしてもっと重要なのは、フォロワー数が多いところにはお金が集まるということだ。
 つまりネット社会で効率よくお金を稼ぐにはフォロワー数を増やせば良い。
 当たり前だ。

 そして結局のところ、そうやってお金があるところにお金が集まる。

 ネットワークビジネスと言うと、ネズミ講を始めとして怪しい商売の典型と言われていた。しかしこれは、顧客獲得と同時に販売チャネルを自己複製していくという極めて巧妙な仕組みだった。
 買ってくれる人の数の多さや拡大スピードもそうだが、それらが有機的に繋がっている点が効率的だった。
 しかしインターネットの世界ではネットワークビジネスのようなネットワークを作る必要もない。ただフォロワーを増やせば良いのだ。

 そして、がっつりとフォロワーを集めてお金を集めるという枠組みは資本主義の枠組みに他ならない。
 いまさら資本主義以外の主義を唱えても人々には響かない。というか感覚的には分かって貰えない。
 資本主義の終焉、新しい資本主義という議論が分かりにくいのは、言っている本人すらよく分かっていないということもあるが、聞かされた側に新しい主義の概念を受け入れる引き出しがないからだ。
 それほどまでに、私達には資本主義経済的な思考が知らない間に染み付いてしまったのだ。そんな気がする。別にそれでいいじゃないか、という気もする。

おわり
 
 


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