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人間と文字

 動画メディアが生活の隅々にまで普及した現在でも、わたしたちの周りには沢山の文字がある。動画にだってキャプションを入れるのが当たり前になっている。昔に比べて写真や図表が増えたとは言っても教科書は文字で記述されているし、仕事の報告書も本当に大切なことは文字で伝えられる。行政文書や法律も文字だし、聖書もお経も文字があったからこそ広く伝えることができたと言えるだろう。

 文字からの脱却を目指すはずの芸術も、展示する段になるとタイトルという文字を強制的に与えられてしまう。
 それほどまでに文字と縁を切るのが難しいのは何故だろうか。わたしたちは文字から自由にはなれないのだろうか。
 そして、わたしたちにとって文字とは何なのだろうか。文字がわたしたちに与える影響について考えたい。

 IKEAの組立説明書は文字を使わない絵で表現されていて、ユーザーの使用言語を問わず家具の組み立てが出来るようになっている。組み立てるたびにいつも感心している。
 それに似たものにオリンピックで使われたピクトグラムがある。競技を絵で表したアレのことだ。
 こういった事例を見ると、人類もようやく文字から離れる手掛かりを見つけたかと錯覚しそうになる。しかし、文字の起源が絵だったことを思い出してみれば、文字から絵への変容は進化どころか退化ですらあるということになってしまう。

 国や地域による言葉の違いは文字の違いとほぼ同じで、文字は言葉すなわち私たちの口から出る音とリンクしている。音を記号化した発音記号があるからして、文字は音の記号と同じではない。しかし少なくとも今の私たちにとっては、音としての言語を記号化したものが文字である。

 文字は時間と空間を超えて情報を記録するものとして使われ続けてきた。文字の持つ効率性や柔軟性を完全に代替出来る新たな方法やテクノロジーは未だに見つかっていない。

 文字を使うことで口頭よりも情報が伝わりやすくなる一方で、twitterやLINEで分かるように、口語文字だけのコミュニケーションは情報量が少なく誤解を生じることも多い。記録として残ることが逆に欠点になることすらある。そこでスタンプのような文字以外の道具を使ってコミュニケーションを円滑にしようという試みが行われている。絵の方が直感的に伝わることがあるということは、実は進化でも退化でもなく、新しい何かである可能性がある。それは動画も同じだ。

 文字がこれほど重用されるということは、頭の中で起きている現象そのものが文字のようなもので、きっと文字との相性が良いのだろう。
 そして、それがなくては生活が成り立たないもののひとつになっている。私たちには電気も水道もガスも必要だが、それ以外に文字が必要なのだ。

おわり

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