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人間が持つインターフェイスとインプット・アウトプットのバランス

 Apple社から発表されたARゴーグルが話題だ。他社から販売されている既存の普及価格帯機種に比べると著しく高価な製品だが、高級モニター内蔵の新しいPCの形と思えば相応の値段なのかも知れない。そう言えばApple社は昔、モニター一体型のPCを色々出していて、私もMacIntosh Classic IIを愛用していた。

 VRゴーグルにしてもARゴーグルにしても、要するに人間と機械(PC)のインターフェイスをどうするかという問題だ。
 PCのインターフェイスは、まずキーボードが使われ、それにマウスが加わって以降、変わっていない。テレビリモコンの形態もほぼ変化なし。スマートフォンが普及してから10年以上が経過したが、こちらも同様だ。
 マウスやスマホが登場した時には、その革新的なインターフェイスに世界中が沸いたが、その様に世界を動かす実用的なインターフェイス・デバイスはここのところ登場していない。
 結局のところ実用として定着しているのは指を使うデバイスだ。普段はあまり意識されていないが、それだけ人間にとって指は重要ということだろう。

 対して人間側のインターフェイスを考えてみると、目、耳、鼻、口といった器官は全て頭に付いていて、どれも主にインプット用だ。感覚器として体全体を覆う皮膚は、きっと物凄い量の情報を得ているのだろうけれど、日常ではあまり意識されない。多くの人は目からのインプットを最重要視している。
 人が持つアウトプット用のインターフェイスは、口(声帯)、指、手、指、脚、足など、身体全体に及ぶ事に気付く。歌やダンスや楽器の演奏もアウトプットの手法だし、何なら全ての活動がアウトプットだ。
 
 人にインプットされた何か(情報?)の多くは、神経系を伝って脳に集約される(と思われがちだ)。そして脳の指令で身体が動く(と思われがち)。
 この様な人モデルは何故か分かりやすいから、殆どの人が脳内に司令官が住んでいると思いこんでいるだろう。
 人モデルでは、本当は一体でひとつのものである頭(脳)と体を分離して考える。頭は制御する側、身体は制御される側として位置づけられる。
 このように身体を機能で分割して考えるやり方は西洋医学の得意とするところで、つまりは人をある種の機械と捉えることに他ならない。
 身体を分割されたものと思い込まされた私たちは、それを繋ぎ合わせるための概念として心を発明した。

 残念なことに、心はどこにあるかと問われた時に、頭か胸を指す人が殆どではないだろうか。
 心が身体の何処かに偏在しているという感覚では、分割された身体を心によって繋ぎ合わせることは出来ない。
 心は身体全体を満たしているものだからだ。身体は心そのものだからだ。

 かねてより私はインプットとアウトプットのバランスが大切と思っているが、日頃終始手にしているデバイスは人へのインプット用のものとして使われることが圧倒的であるが為に、私たちはインプット過多になりがちな世を生きている。
 だからこうして指を動かしてnoteで垂れ流すことでインとアウトのバランスを調整しているのである。

おわり

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